第2話【ニゲテタスケテ】

 ぶかぶかの服をひきずりながら走る。


 息は切れ切れに、誰も居ない午前4時の路地裏を駆け抜けるも、長い髪を自分で踏んで転ぶ。


 走れば走るほど、揺れて擦れる大きな胸のせいで痛みが身体に走る。


「マルトの奴……信じてたのに……ッ!」


 走行スピードが以前より遅く感じるのは、身長が縮んだせいだろうか。


 1歩進むごとに胸の重さを感じる。重さを感じるごとに、今朝の忌々しい記憶が脳裏に反響する。


――――


「……あ……す、すまんツクヨっ!!? 俺、何やってるんだろうな……はは……本当にすまん、この通りだ!」


 マルトはボクから離れ、急速に床に頭を擦り付けた。


「せっかくの旅立ちの日だってのに……変なことしちまった。……それに、起きたらそんことになってたら、お前だって混乱してるよな、そんなときだってのに……俺は、バカやっちまった」

「マルト……ん、長い付き合いだ。許すよ。だから、頭を上げて?」

「ツクヨぉ……お前は本当にお人好しだ……そんなところに、俺は救われたんだろうな……」


 マルトは半泣きで、けれど笑いながら顔をあげて語りかける。


「さ、今日からお前は、勇者様の仲間だ。その身体も、あの店のネーチャンに相談すれば治るだろ、わからんけど。……ま、行ってきな! 荷物、忘れんなよ~?」


 彼はボクの荷物をまとめたカバンを指差した。と同時に、ボクの右胸をわしゃっと掴んでいた。


「な、なにやって……!!?」

「へ? なにって……あ……やっちまった!」

「マルトってば、まったくこの……やっちまったじゃ……ねーだろ!!!」


 マルトの腹を何度も蹴飛ばす。しかし、筋力が下がったせいもあってか、ボクの胸を掴んだ手は力強い握りによって離れない。


「痛いって……マルト……やめてよ……」

「っ……!?」


 どうして、親友に無理やり痛い思いをさせられているのと考えれば考えるほど、悲しくなって泣きそうになる。弱々しい姿のボクを見たからか、マルトは掴む事をやめ、顔を下に向けた。


「ツクヨ、その、あー……あぁ、正直に言うよ……」

「マルト……?」


 言い過ぎたかとしょぼくれたのも束の間に、ボクに身体が覆い被さる。


「その痛み、痛覚を倍加してからさ、もう1回、もう1回だけ味わってくれ!」


 声が詰まった。


 彼はボクの返答を待たないまま、先程よりも強く、胸を鷲掴みにしてきた。胸の形が彼の指の動きに合わせてわにゃんと変形していく。嫌だ、親友じゃなかったのか、痛い、痛い、痛い……。


氷理・瑠璃ラピスラズリ……!」


 両手を突き出し唱えると、マルトは驚愕した様子で目を見開く。そして、彼は一切合切の肉体の動作を止めた。


「2秒間……逃げろ、ボク……」


 彼の手を振り払い、用意していた荷物を背負うと、この部屋から逃げ出した。


 5年間過ごした部屋との別れ、こんな形で済ませたくなかったことだけが心残りだ。


 凍結魔法は2秒しか持たない、いつマルト追いかけてくるかわからない焦りから、慌ただしい音をカタカタ鳴らしながら階段を降りる。


 ボクは逃げた。


 ボクが魔法学校に通うために汗水流して働いてくれた両親のこと、男のままボクのまま勇者と冒険に出る夢、そして、いつも気にかけてくれた、優しかったマルトのことを思い出しながら、涙を浮かべて逃げた。


――――


 ひたすらに走ってたどり着いた。赤茶けたて文字の見えなくなった看板と、謎の煙を煙突から出し続けるこの建物は、ボクの行きつけの魔法道具店【アルプリエト】だ。


「ハッ……ハァッ……すみ、ません……ボクです、ツクヨ、です……開けてっ! くだ……さいっ!」


 脇腹を抑えながら、抑える腕にも柔らかいモノが当たる感触にやや恥じらいを感じながら、扉を叩く。


「朝早くにナンダイ……ツクヨ? あんたの声、ツクヨの声と違う。出直してきな」

「……マンドレイク大合唱事件の時、【ナネ】さんの地下部屋に隠蔽されていた大量のBL本のこと、ボクくらいしか知りませんよね?」

「………………………………………………」


 返答は無くとも、扉は開かれる。


 ソファに座っていた彼女は、杖をつきつつも大量の魔法本を掻き分け、黒ローブの中の両房を揺らしながら、ボクの眼前で歩みを止める。


「また面倒な事件に巻き込まれたナ、ツクヨ。入りな、まずは、あたたかい紅茶でもドーダイ?」


 深いクマ、やる気のない目、けれどもどこか柔らかに微笑んでいる目で、彼女はウィンクした。


「……はいっ!」


 何も聞かずに、ナネさんはボクのために紅茶を用意してくれた。


 多肉植物みたいな形をした彼女手作りのコップから、あたたかな湯気が昇る。


 ボクは少しだけ安心したようで、以前より高く感じる椅子に座り、重くてたまらなかった胸をテーブルに乗せる。


 ちょっとだけ甘くて、あたたかい紅茶を口にすると、安心感からかまた涙が一気に溢れた。


「……泣き疲れるまで、泣きナ。あんたの悲しみも、ここなら皆にゃバレないからさ」


 大量の積み書の中、紅茶の湯気立つテーブルの上、橙の光を放つランプの下、ボクの泣き声だけが響いている。


 最中彼女は、その細い指でボクの涙を拭ってくれた。細い指でも、元親友とは大違いだと、ボクは思った。


 こんな時でも気遣ってくれる彼女に、ボクは感謝してもしたりないくらい、ありがとうと伝えたかったけれど、何て言えばいいのか、感情がぐちゃぐちゃになって、わかんなくって、ただ、ただ涙を流し続けることしかできないまま、時間が流れていった。

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