第29話 サイ戻りました

 アーネスたちが精霊の泉に辿り着いてもう数日になろうとしている。フィンネルの背中に乗ってエルフの村からここまで辿り着くのは一瞬だったのに、魔星の谷へ向かう様子のないサイホーンに、アーネスは落ち着かない気持ちになっていた。


 サイホーンは朝しか姿を現さない。アーネスとクリクは泉の周辺に実る果実だけを食べて満たされていた。二人で弓矢の鍛錬や、泉に身を清めることだけの一日を繰り返していた。


「ここにいると生きているのか死んでいるのかも分からなくなるな」


 湧き出る泉にアーネスは白い肌を浸して、近くで矢作りをするクリクに話しかけた。クリクは手を止めて、アーネスに応えた。


「ここはそういう場所だね。あんまり居過ぎると人間は人間であることを忘れ清められて森の一部になって消える。サイホーンぐらいだよ、自我を保って霊体のままでいられているのは」


「……あいつは、邪念があり過ぎるからじゃないのか? 」


 アーネスのサイホーンへの悪評に、クリクは素直に笑った。アーネスは顎まで水面に潜らせて不機嫌な顔を覗かせた。泉の水は清らかで鉱質を含み身体をゆっくりと温める。


「違いないよ! サイホーンは、もう数百年も待っているんだ。それももう直ぐだよ」


「もう直ぐ? 」


 それを待ってここに留まっていたのかと、アーネスは察した。これだけ深い森の奥、魔物や精霊たちの住む未開の森にググランデ達が早々に到着するはずがないと我慢していたが、理由が知りたい。


 アーネスは質問を続けた。


「もう直ぐ、何を待っているんだ? 」


「——大流星群だよ。アイネイアス」


 質問に答えたのはサイホーンだった。アーネスはその姿に気がついて身構えるが、サイホーンが泉にその足を進める。


「大流星群が間も無くやってくる」


「……」


「千年に一度の、俺はこの日を待っていた」


「……」


 一歩二歩と近づいてくるサイホーンにアーネスは泉の水を掻いて後退りした。


「……手を出さないって約束だったはずだ」


 丸腰状態のアーネスがサイホーンを睨みつけた。


「手は出さないけど、見ないとは言ってないぞ」


「————!! 詭弁だろ!! 」


 アーネスは手では隠し切れない白い肌を赤くにして怒るが、サイホーンは全く解さず泉に脚を浸しながら近づいてくる。


「そもそも、今までだって全部見てるしな。サイの目を通じて。減るもんじゃないだろ。クリクは良いのかよ? 」


「……お前、絶対に許さない! サイを返せ!! 」


 ゴツッ!!


「いてぇ! 」


 クリクの投げた太い枝がサイホーンの頭にぶつかった。


「サイホーン、そのぐらいにしてよ。普通にキモいよ! あと、人間とエルフ族といっしょにするなよ」


 呆れるクリクと涙目で訴えるアーネスにサイホーンは観念して「はいはい」と言った。


 刹那に、サイホーンの姿がサイに戻る。


「——なに!? 」


 サイは目の前のアーネスの裸に激しく動転して泉の中で足を滑らせた。サイは泉の水を飲んでせると、アーネスはサイを立たせて背中をさすった。


「ゲホッ……はっ、いや、もう、大丈夫だから。あれ? ちょっと頭痛いんだけど!! って、ここどこだよ! ……いや、なんでも良いから、アーネスは服を着てくれ!! お前には淑女という概念はないのか!? ちょっとは俺も男だと気がついてくれ!! 

————ぶがっ!? 」


 怒ったアーネスはサイの頭を思いっきり水の中に沈めて、泉から上がった。クリクが「あーぁ」と呆れ声を吐いた。


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