第9話 磁石のプラスとマイナスは永遠に一体なのに引き合えない

 二月の終わりに近づいたある日、敬子は、勤め帰りに、男物の栗色の革ジャンを買った。正志がその革ジャンを着てバイクに乗る姿を想像すると、うれしくなって、どうしても買ってやりたくなった。今着ているのは、敬子と知り合う前からのもので、肩のあたりがひび割れていた。新品の革ジャンは、十八万円ほどだった。

 リボンをかけた箱を、玄関の前にきちんと置いて、敬子は正志の帰りを待った。

 いつも通り、朝の六時過ぎに彼は帰って来た。敬子は居間のテーブルの前で、膝をかかえて待っていた。

「何だよこれ」正志は不機嫌だった。

「見た?」

「何だよこれ、って聞いてんだよ」

「開けてみなよ」

 正志はうんざりしたように目を逸らし、リボンを手早く解き、箱を開けた。

「何だ、革ジャンかよ」正志は両手で革ジャンを広げて持ち上げ、全体を見た。「ふうん」

 顔はむっつりしたままだったが、皮一枚下には、今にも喜びが出て来ようとしているのが分かった。

 よかった。

「着てみなよ」

「いいよ」

 そう言った正志の、唇の周りが緩んでいた。

 彼はあちこちのジッパーを一通り開けたり閉めたりし、裏返してタグを見、また「ふうん」と言った。その後、いつものハンガーに新品の革ジャンをかけ、自分が着ている古い方を脱いでクローゼットにしまった。

 壁にかかった新しい革ジャンを見ていると、敬子は誇らしい気になった。

「高かったのか?」

「ううん、十八万くらい」指輪の三十万に比べれば安いもの。「いいの、指輪のお返しだと思ってよ」

 正志の機嫌がよかったのは、その日一日だけだった。次の日からまた、どこか不満げな顔になり、その次の日も、その次の日も同じだった。

 敬子は、ヘルメットの内張りのスポンジがはがれたままだったことを思い出し、正志をバイクショップに連れて行って、新しいヘルメットを選ばせた。ついでにグローブも買ってやった。正志は、その後五日ほど機嫌がよかったが、やがて元の仏頂面に戻った。

 敬子は、正志のブーツを買い、春物のスーツを買い、ライターを買い、時計を買って贈った。買ってあげる度に、正志は素直に喜ぶようになった。

 こうしてだんだん慣らしていけば、いつしかしかめっ面は完全に消えるのではないか、と敬子は思った。応急処置でしかないことは分かっていたが、好きな人が喜んでくれれば、その間、自分も幸せになれる。幸せを買っていると思えば、お金は決して無駄ではない。指輪のお返しはとっくに超えた金額になっていたが、敬子には痛くも痒くもなかった。毎月八十万以上金額が入ってくるのだから、毎月三、四十万使ったところでどうということはない。

  正志の持ち物は、週に一度チェックし続けていた。

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