第5話 ただ一緒に居るだけで男に自信を植え付ける生まれながらの

 正志が出て行った後、敬子は、床にこぼれた紅茶を拭き取り、二つのカップに残っていた中味を流しに捨てた。

 部屋には正志のものがちらかっていた。クローゼットには彼の服がある。少なくともこれを取りに、彼は戻ってくる。そう思うと敬子は安心した。

 どこかの部屋から、いつものロックの音がわずかに伝わってきた。私たちと同じ水商売のカップルが住んでいる。生活が深夜になるので、音楽を聞くのもこの時間になってしまうのだ。

 敬子は、そのカップルが、仲良く抱き合いながら音楽を聞く姿を想像した。すると、自分と正志の間についさっき起こったことが浮き彫りになり、淋しくなった。

 テーブルの上の灰皿に、正志の吸い殻が二つ残っている。たった二つ吸う間の出来事だったのだ。彼が押しつけて火を消したそのままの形の吸い殻を見ていると悲しくなった。敬子はマルボロの箱を床の隅に置いた。タバコを取りに戻ってくるかも、と期待した。だが、それはない。タバコくらいどこででも買うだろう。

 ……バカなことをした。チラシやカードを正志に見せたところで、どうなると言うのだろう。私は何を期待していたのか? あやまって欲しかったのか?

 ちがう……

 最初からそんな店に行ってほしくなかったのだ。

 それに……ヘルメットに小細工してまで隠した、というのも許せない。

 正志はそんなことをするはずない人だった。同じ店で働いていた頃も、正志は、以前関係のあった女の子の名前を全て敬子に言った。自慢するふうでもなく、悪びれたふうでもなく、淡々と過去の女のことを話した。そんな男は今までにいなかった。

 だが、今、正志は、隠しごとをしている。ガラにもないことをやっている……いや、それが本性だったのか?

 けれど、私の目の前で、ローレックスの時計とルイヴィトンの財布とキーホルダーを出して、昔の女にもらったものだからもういらない、と言って駅のゴミ箱に捨てたのは、正志だった。

 敬子は溜め息をつき、彼が飲み残した缶ビールを、喉を鳴らして飲んだ。

 缶を置くとあくびが出た。うっすらと頭痛がしていた。今はこれ以上考えられない。正志のことも、私のことも、よくわからない。

 バッグの中から頭痛薬を出し、二錠手のひらにのせた。その白い粒を見ていて思い出し、棚の奥を探して、昔もらった安定剤の残りを見つけた。それを頭痛薬と一緒に、ビールで飲んだ。

 少し眠ろう……

 といっても眠れはしないだろう。でも、横になって休むだけでもいい。疲れた顔で店に出るわけにはいかない。


 次の日、昼過ぎにベッドを出た。

 空のビール缶と灰皿を始末し、部屋をざっと整理した。

 正志が出勤前に、新しい服に着替えに帰ってくるかも知れなかった。

 顔を洗って鏡を見ると、いつもと変らない自分の顔があったので、がっかりした。目の上が腫れぼったいのは毎朝のことだった。もっと劇的にやつれていれば、正志が帰って来た時に心配してくれるのに。

 台所で紅茶を入れ、玄関口まで持って行き、耳をすましながら飲んだ。駐車場の方からエンジン音が聞こえたが、音が正志のバイクではなかった。

 部屋に戻り、カーテンの隙間から外を見ると、良く晴れていた。買い物に出ようかと思ったが、その間に正志が帰ってくるかも知れないのでやめた。

 ありあわせのもので食事を済ませ、洗濯をし、日が傾いたころ化粧を始めた。

 下地を塗りながら横目で時計を見ると、四時半だった。正志は今日、六時から店に出るはずなので、もし着替えに帰ってくるなら、そろそろだ。

 敬子は化粧の手を早めた。その時、化粧の途中だったりしたらいやだ。

 服を選び、ブレスレットもアンクレットもネックレスもつけ終わり、姿見で何度もチェックしたが、正志は帰らなかった。

 ……きっと、直接仕事に行ったのだ。同じシャツを、絶対に二日続けて着ない人が、着替えに帰ってこなかった。

 その時、不吉な予感が敬子を襲った。

 まさか……これっきり?

 いや、そんな大ごとのはずはない。あんなチラシくらいで? ばかげている。テレクラに行ったくらいで二人の生活が終わってしまうなんて、そんなの……ばかげている。

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