第3話 ただ一緒に居るだけで男に

 財布の中味を目の前に出された時の、正志の嫌そうな顔がずっと気になった。敬子の胸の中に、何か苦いものがいつでもあるように感じた。

 ある朝、鏡を見ると、目の端が鋭く吊り上がった、自分の一番嫌いな顔があった。

 ……確かめるなんて、したくない。そんなことをしちゃ、他の女の子と同じじゃない。彼の手帳を調べ、ポケットを探り、行った所にいちいち電話を入れる……マリやミズキやアイみたいな可哀想な女に、私はならない。相手を信じられなくなった時、二人の関係はもう終わっているということを、あのコたちは気がつかないだけ。

 そう考えてヒヤリとした。まさか、私たちも、もう……? ……とんでもない。私と正志の間に嘘はない。本当に? 会員証の日付けは? 店員が本当に書き間違えたのかしら? 直に電話して聞いてみれば……いや、電話しなくたって、正志の言うことは本当だと分かっている。だけど……それなら、電話したって同じじゃない。

 敬子は、そう自分に言い聞かせ、店で仲のいい木村というボーイに頼んで、正志の行っていたテレクラに電話してもらった。

 木村は正志のふりをして、テレクラの店員に入会日を問いただした。店員は言い渋ったようで、しばらく押し問答があった後、木村は乾いた命令口調になった。

「そちらに台帳があるでしょう? それで確認してみてください。いつの日付けになってます?」

 彼は中央大学に行っている、頭の回転の早い子だった。彼がここでバイトを始めた時、敬子は少し興味を持ったが、時々こんなふうに経理士か弁護士のようなしゃべり方をするので興醒めした。正志のように、強引な男っぽさをお洒落でくるんだような色気が、彼には無かった。

「オレ、昔、テレクラでバイトしたことがあるんスよ」彼は、携帯から顔を離して、敬子に言った。

 しばらくすると、木村は電話を切り、聞き出した日付けを敬子に伝えた。正志の会員証に書かれた日付けは正しかった。テレクラの店員の書き間違いではなかった。つまり、正志の説明は嘘だったことになる。正志は、二人が付き合い始めたあの楽しい時期に、テレクラにも通っていたのだ。

 ふいに、引越の様子が目に浮かんだ。段ボールを軽々と運ぶ正志の大きな体と、頼もしい横顔が思い出された。すると、膝の力が抜け、立っている感覚が無くなった。

 あの時の正志は、何だったのか?

 嘘をついたのはなぜなのか?

 テレクラの受付にかわいい女の子がいて、その娘とデキていたからしょっちゅう通っていたのかも……と、突拍子もない考えが浮かんだ。正志が手当たり次第に女を漁りに行ったと考えるより、ライバルがいる方がマシだった。

「はい、これ」

 木村が会員証を差し出した。

「もういらないから、あげるよ」敬子は言った、「まだ使えるんじゃない?」

「いらないっスよ」

「ねえ」敬子は躊躇してから続けた。「木村君も、こういう所行くの?」

「こういう所って、テレクラっすか?」

「そう」

「まあ、たまには」彼の、ちょっと西洋風の顔に、笑い皺が寄った。

「彼女いても?」

「彼女いないっすから」

「いたとしたら、それでも行く?」

「うーん……やっぱり、行くこともあるんじゃないすかね」

「どうして? ねえ、教えてよ、テレクラに行くってことは、新しい女の子と知り合いになりたいからでしょ? 今の彼女じゃ満足してないってことじゃないの?」

「それは人それぞれじゃないっすかねぇ……それ、茜さんの彼のことっすか?」

 「茜」は敬子の源氏名だった。

「え? まあ……ね」

「あんまり気にしない方がいいですよ。男って、そんなもんっすから。たまには他の女の子と、話してみたくなるもんっすよ。ここにくるお客さんだって、そうじゃないっすか」

 そっか……と敬子は思った。ここに来るお客の全員が、女漁りに来るわけじゃない。

「でも、チャンスがあればやっちゃおう、って思ってるんでしょ?」

「だから……、それもいろいろじゃないっすかねぇ」彼は、奥の調理場を覗き込んで、そわそわしはじめた。

「いろいろ、って、例えば?」

 通用口と調理場を仕切るビニールのすだれが開き、マネージャーの恐い顔がのぞいた。

「今行きます」木村は首をすくめて中に入った。

 敬子は、平気な顔をして後に続いた。

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