#4 感想戦

 卒業式が終わるとわたしは、その足で待ち合わせ場所に向かった。三年間を懐かしむクラスメイトも、別れを惜しむ友人もいないから、人と待ち合わせているという大義名分は、教室を抜ける上で非常にありがたかった。

 交通費は出すと言われているから、遠慮なくタクシーを使った。わざわざ電車のダイヤを調べるのも面倒だし、入試当日の失敗がちらついて、電車を使いたいとは思えなかった。

 向かったのはDスクールの近くにある探偵小説サロン『ソレイユ』。会員制の喫茶店で、ミステリ好きの連中しか集まらないお店として有名である。長野に本店があって、京都に最大規模の一号支店があるという。

 会員ではない人間を店に上げることができるのは、会員の中でも一握りの上級会員だけらしいので、わたしを呼んだのはよっぽどの人だということになる。

 いや……よっぽどの人でないはずがない。

「どうぞこちらへ」

 招待状代わりにもらっていた名刺を受け付けに渡すと、さらっとだけ確認してすぐにこっちへ返す。偽造の可能性なんて疑ってもいない。それだけ、これから会う人物が信頼されているということだろう。

 返ってきた名刺を見る。『NG探偵事務所所長・探偵養成学校講師 猫目石瓦礫』とそこには書かれている。黒い明朝体で必要なことだけが簡潔に書かれた、ビジネスライクにすぎる名刺だった。

 この名刺が自宅の郵便受けに入っていたのは、つい昨日のことになる。名刺の裏には『入試のことについて聞きたいことあり。都合が良ければ翌日ソレイユへこの名刺を持って訪れたし』とだけ書かれていた。時間は指定されていなかったけど、相手が相手なのでその辺は向こうが勝手に推理しているような気もして、連絡など入れずにソレイユへ向かったというわけである。

 店の二階にある個室に通される。そこには既に、二人の人間がいた。

「クロウ! 元気してたか?」

 ひとりは声を聞いただけで誰か分かる。言わずもがな宇津木だった。彼は入試の時と同じ制服を着ていたが、胸に花をつけているところから、彼も今日は卒業式だったことが窺える。

 そしてもう一人は……。

「やあ。元気そうでなによりだよ」

 入試の日に、わたしを控室まで案内してくれたあの試験官だった。黒い背広を着ているけど、カジュアルにネクタイはしていない。格好はビシッとしているものの、ボサボサの髪が相変わらずちぐはぐな印象を与える。

「始めましてではないけど、一応自己紹介をさせてもらおう。僕が猫目石瓦礫だ」

「猫目石さん、Dスクールに入学しようって人があんたのこと知らないはずないだろ」

 いや……知らなかった。わたしはラジオを主に聞くだけなので、著名人の存在は知っていても顔は知らない。

 個室にあったのは四人掛けの席で、空いているのは猫目石さんの右隣と宇津木の右隣だった。宇津木の隣に座るのは遠慮願いたいところだったけど、かといって猫目石さんの隣に座るのもどうかと思い、結局宇津木の隣に腰掛けた。

 猫目石さんの後ろには窓がついていて、座ると窓越しにDスクールの校舎が見えた。

 どうして宇津木と猫目石さんが一緒にいるのか説明してほしい所……。わたしの顔を見て察したのか、猫目石さんの方が説明してくれる。

「彼も僕が招待したんだよ。入試のことについて、いろいろ聞きたいと思っているだろうからね。まあ、そういう込み入った話は後にして、まずは二人に賛辞を贈ろう。二人とも、合格おめでとう」

 合格発表は入試の一週間後に終わっているので今更感があるけど、それでもDスクールの講師にそう言われると、実感が沸いてくる。

 その後はすぐウェイターを呼んで各々注文をしていたので、少しだけ会話が途切れた。猫目石さんがウェイターと話している隙に、わたしは小声で宇津木に話しかけた。

「猫目石さんのこと、ぽっと出って言ってた割には普通に話すの?」

「いや、それはな……」

 宇津木が口ごもると、聞いていたらしい猫目石さんが話に加わる。

「彼と僕は初対面だよ。ただ、僕は正義くんのことを前から知っていたんだ。宇津木さんのお兄さん、つまり正義くんの父親とは交流があってね」

「ああ、はは……」

 それだけ近しい人物だったはずなのに知らなかったんだ……。

「さて、本題に入らせてもらうかな。黒鵜さん」

 わたしと猫目石さんは向き直る。表情は柔らかくても、彼の目の奥にはこちらの深層まで鋭く見抜こうとするような光が宿っていて、それに僅かながら怯んだ。

「君を呼んだのは他でもない。例の筆記試験のことについてだ。あの試験を作ったのは僕だから、採点も一通り目を通している。だから君が特例問題一問だけを解いて満点を取ったのも知っている」

「その特例問題以前の質問だけどよお、そもそもどうして筆記試験は全部で五一問なんだ? 満点は五〇点なんだろ?」

 根本的に特例問題と縁の無い宇津木には、その程度の認識しかないらしい。大方の予想はついているけど、そういう裏方の帳尻合わせみたいなものにはわたしも興味がある。

「平均点をちゃんと算出するためだよ。特例問題の『それさえ解けたら満点』って条件は平均を出す上では厄介だ。それまでの経緯を問わずに満点にしてしまう問題の存在は、ちょっと平均を出すには例外的過ぎる」

「だから、四八問目が特例問題だったんですよね?」

「そういうこと。でも、君が特例問題を特定できたのはそれだけじゃないんだろう? その辺、教えてくれよ」

「分かりました。そういうことなら、感想戦といきましょうか」

 ちょうど、頼んだ物も運ばれてきた。わたしは目の前に置かれたホットココアを一口啜ってから、言葉を再開させる。

「先ほども猫目石さんがおっしゃったように、特例問題は置く場所に気を遣う問題です。わたしはともかく、実技を受けた人間はおおよそ、筆記で満点を取れば合格したようなものですから。正答即満点となる問題を、そうと知らずに解かせるわけにはいかない。解くのなら、それが特例問題だと理解した状態で解かれないといけない。裏を返せば、特例問題を解いている受験者は、特例問題を推理して特定したことが分かるような位置にあると」

「……んん? だとしてもクロウ、どうして四八問目がそれなんだよ」

「筆記の平均点は二五点。そしてそれは、問題の難易度によるものではなく、問題の量によるものだと推測できる。つまり、平均的な受験者は二五問目までしか解けないということ。ならば二五問目以降、余裕を持たせるなら、適当に予想して三五問目以降からのどこかに、特例問題はある。そこに置けば、そうと知らずに受験者が特例問題を解いてしまうという事故は起きない」

「もし後ろから解くやつがいたらどうするんだよ」

「それは合理的じゃない。宇津木みたいに筆記試験を知識問題として見ていた受験者は一問目から解けばいい。気をてらう必要がどこにもない。そして筆記試験を思考問題として見ていたわたしのような受験者は、尚のこと時間が足りないのだから後ろから解こうなんて思わない。一〇〇ページ以上に及ぶ資料を、わざわざ逆から読もうとすればそれだけでタイムロスが生じるのだから、むしろ絶対にそれは避ける」

 まずこれが、特例問題を見つけるためのとっかかりその一。

「でもよお、特例問題はそれだけじゃ見つけられないだろ? 見た瞬間、そうだと分かる問題だったのか? 例えば、五〇問は過去の事件から出題されていたけど、特例問題だけ未解決事件から出題されていたとか」

「それはない。未解決事件ということは明確な回答が示されていないということだから。それに、解決できる事件をそのまま放置して試験問題にするようなこと、探偵を育成する学校でやるわけがないでしょう。解決できるならとっくにしている」

「じゃあなんだよ」

「『見た瞬間特例問題と分かる』のは、結果論的になるけど正解。そして『未解決事件ではない』し、『解決済みの事件でもない』」

「あー、ああ。解決済みの事件じゃ答えがまる分かりだもんな。それ解きゃ満点って問題に答えが分かりきった事件は使えねえぜ」

 宇津木は若干誤解していて、これは『知らずに特例問題を解いてしまう』パターンを潰すためのものだと思われる。特例問題に賭けるしかないわたしのような受験者を対象とするなら、解決済み事件でも非公開情報を利用すれば(それこそ残り五〇問のように)答えがあからさまでない問題を作ることはできる。だからこれは、宇津木のように非公開情報に触れることのできる受験者が、四七問目まで解いてしまって、次の特例問題にぶつかった時のためのプロテクトである。その時点で四八問目に辿り着いた受験者には(知識問題と思っていたものが終盤でいきなり思考問題に変わるのだから)それが特例問題とばれるわけだけど、もう四八問目まで解いてしまっている受験者に配慮する必要は無いだろう。合格は見えているに等しいのだから。

「残るのは、『捜査中の事件』ってわけか!」

「ただし、ここでも非公開情報を得られてしまう宇津木のような受験者が問題になる。捜査中の事件なんて、マスコミに開示されている以上のことは非公開だけど、探偵で捜査当局にコネがあれば入手も難しくはないだろうし」

「じゃあどうなるんだよ。全部消えちまったぞ?」

「ひとつだけ残ってる」

「何が?」

「『発生直後の事件』。しかも、その日の内に起きたものが好ましい。例えば宇津木は、受験当日の朝に起きた事件の詳しい捜査情報を仕入れることはできる?」

「いや無理だぜ。身内の誰かが捜査してるってならともかく、発生直後はだいたい警察が処理するだろ」

「しかも受験当日なら、わざわざそんな情報を仕入れようとしないし、身内もそんな情報を伝えようとしないかもね。だからこそ適任なんだよ」

 そこまで言い終わって、もう一度ホットココアを啜った。少し冷めて、ちょうどいいくらいの温度になっていた。甘い匂いが鼻孔を満たしていく。

 猫目石さんは納得したように頷いた。

「実に模範的な解答だ。でも、いくつか気になることがある。まず、受験当日にそんなに都合よく事件が起きるかって話。そして君たちも見たとおり、問題の資料は一〇〇ページ以上に及ぶ。たとえ筆記試験が午後からで、都合よく朝の内に事件が起きたとしても、半日で全員分刷ってファイリングするのは無理だ」

「ですから、それらしい事件をでっちあげたんですよね?」

「ほう……」

 少しだけ、猫目石さんは口元に笑みを浮かべた。

「そもそもわたしが特例問題を『発生直後の事件』と考えたとき、最初に行き詰った課題は未解決事件同様、『明確な答えがまだ出ていない』という点でした。それと前後する形で『事件が起きなかったら?』『印刷は間に合うのか?』と不審な点が出てきて……。Dスクールには猫目石さんを始めたくさんの探偵がいますから、事件さえ起きれば概要を印刷、試験中に講師陣も考えるという手段は取れます。とどのつまり、この場合一番の課題は三つの内、ふたつ目の『事件が起きるかどうか』に集約されると思います」

 だったら、事件をこちらから起こしてしまえばいい。

「事件が捏造だとしたら? それならDスクール側が任意のタイミングで事件を起こしたことにできる。印刷もあらかじめ行えるし、解答も正確なものが用意できる。試験の作成者自ら事件を作れば、すべての問題は解決する」

 ここまで分かれば、後は簡単。条件に当てはまる事件を、資料を後ろからめくって探せばいい。

「……捏造だとすると、今度は君が四八問目を『発生直後の事件』と判断できなくなるな。捏造ということはつまり、ニュースじゃどこも取り扱わないってことなんだから」

「いや、分かるんじゃねえか? 問題には大抵事件の発生年月が書かれてたはずだ!」

「僕は全部に記しちゃいないよ」

 それは第一問と第二問を見比べれば分かる。わたしはそのふたつと、四八問から五一問しか見ていないから、どれだけの比率でどの程度、発生年月が省かれていたかは知らないけど。

「でも、クロウの視点から言えば『発生直後の事件』も『未解決事件』も同じだろ? それまでの五〇問とタイプの違う事件から出題しているって分かった時点で、それが特例問題だって気付くんだからよ」

「一応、理屈ではね。しかし宇津木くん。あのときは受験で、しかも黒鵜さんは特例問題を狙い外せば不合格確実だ。しかも自分が詳しく知っていると思っていた事件の非公開情報がポンポン飛び出すと来ている。既知の事件も未知のように感じるし、未知の事件も既知のように感じかねない。もうひと押し、欲しくなるところだ」

 たぶんそこまで分かっていて、猫目石さんは用意したんだろう。

「……お昼のワイドショー」

「へ?」

 宇津木が素っ頓狂な声を出す。わたしが試験開始直後に出しかけたものと、それは類似のものかもしれない。

「控室にいたとき、テレビが点いていた。ワイドショーが映っていて、『今日七時ごろに発生した殺人事件について、警察は――』なんてレポーターが話していた。今日の朝に事件なんて起きてないはずなのにね」

 行きの電車で聞いていた『DJササハラの血みどろニュースチャンネル』。あの番組は八時半の段階で「今日は珍しく事件ゼロ」と言っていた。だからあり得ない。お昼のワイドショーに当日朝七時に発生した事件が報道されるなど。

「お見事。事件の情報収集は探偵にとって基礎とも言える。入試当日でもちゃんと基礎を守った君は、自分の習慣に救われたというわけさ。逆に宇津木くんみたいに身内から勝手に情報が入ってくるタイプは、積極的に情報収集する習慣が無い。そこら辺の差別化を図ったテストでもある」

 わたしの推理をすべて聞いて、猫目石さんは満足げだった。コーヒーを飲んで、そして一息ついてからわたしたちの方へ向き直った。

「完璧だよ。こちらから特に補足するようなことは無い。君レベルで推理ができる人は、今年の入学者でも一握りしかいないんじゃないかな」

「わたしは逆に、補足してほしいことがありますね。どうして筆記試験は、あんな不公平な形で行ったんですか? 非公開情報に触れることのできる受験者が圧倒的に有利なテストを用意しては『専制的』と言われても反論できませんよ」

「それにはいろいろ、理由があるんだよ。大人の事情ってやつでさ」

 猫目石さんはやれやれと、ため息をついた。

「スクールの重役が、身内有利にしたくて仕方ないのさ。一度掴んだ利権は離したがらない。そういう大人の汚さってのは、探偵でも同じってわけだ」

「それで……?」

「まあ、今の校長はそういう俗っぽい探偵とは一線を画している、きちんとした人だけどね。だからこそ僕がこういう、黒鵜さんみたいな立場の受験者への一発逆転を用意できた。それに、それだけが理由じゃない。君は、スクールの理念を知っているかな?」

「理念、ですか?」

 言われてみると、Dスクールの教育理念かそれに準ずるものは、どこにも書いていなかった。学校案内にも、公式のホームページにも。

「『探偵は誰にでもなれる』。才能なんかいらない。推理とはすなわち論理。つまり『1+1』が二であるように、適切な手法さえ取れれば誰が推理しても同じ結論になる。そういうものなんだ。だからこそ、スクールで探偵を教えることができる」

「……才能なんかいらない、ですか。それは、基礎部分の積み重ねさえあれば誰であれ探偵になれるというわけですか?」

「そんなところだ。だからあの筆記試験だ。より多くの事例を、非公開情報まで知ることができているか。これまできちんと積み重ねてきているか。それを試すための筆記。一応、重役はそういう理屈を持っている」

「屁理屈じゃないですか?」

「当然、屁理屈だ。しかしスクールが連中のフィールドである以上、それは理屈になる。そして連中の理屈で言うなら、一五年間積み重ねてきた人――宇津木くんのような人と君は、カリキュラム三年間では絶対に追いつけないだけの差がある、とさ」

「はあ……」

 宇津木の方を見る。話についていけていないのか、ついていく気が無いのか、彼は呑気にコーヒーを啜っていた。

「だからわたしのような受験者は、シンプルに実力が求められたんですね……。これから探偵としての技術を培うのではなく、既に培っているべき。そうでないと、差は埋まらないと」

「そう考えられている」

「案外、つまらないことするんですねスクールも」

「ガッカリしたかい?」

「いえ。大人の事情でしょう? 振り回されるのは慣れてますから」

 猫目石さんの方を、というより、猫目石さんの後ろに見えるスクールの校舎を見る。まるで猫目石さんがスクールを背負っているような構図は、しかしわたしを萎縮させることは無かった。

 既にわたしは、スクールにとって部外者ではない。母校となる校舎を見て畏怖も萎縮もありはしない。

 ただあるのは、身体が浮き上がりそうになる感覚。高揚? 期待? それよりは少しだけ、ネガティブなものかもしれない。

「とりあえず、これからよろしくお願いします。猫目石先生」

 わたしは今、名探偵としての一歩を踏み出した。

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