#2 探偵養成学校

 探偵養成学校。通称Dスクール。学校としての歴史はまだ、僅かに五年くらいだと聞く。国内でも有数の探偵たちを育成し世に送り出してきた実績を持つこの学校はしかし、つい二年前まで政府非公認の学校、つまり私塾のような扱いだった。

 それを正式に認可し、探偵という存在さえ免許制の正式な職業とした政府の思惑は分からない。度重なる不祥事から警察組織が信用できなくなったから。凶悪化する事件に対抗するため。政治家が事件の捜査に干渉するための手駒として探偵を必要としているなどという陰謀論的な説まである。

 いわゆる『大人の事情』というやつを抜きにして、十五歳のわたしにも分かる事実だけを言えば、探偵という存在が認められるようになってから、迷宮入りする事件の数は極端に減った。そして探偵たちはタレントさながらの地位と名声を得て、一般人たちからの人気も獲得していった。

 認可される以前から活動していた『国内唯一警視庁黙認の名探偵』宇津木博士を筆頭に、宇津木の正統後継者と目される『正統率一〇〇%の探偵』猫目石瓦礫、暗号解読のみを専門とする特異な探偵『解読屋』睦月雨水、免許制導入からわずか一年で探偵派遣会社を設立した『七つの論を持つ探偵』七色七。今やテレビをつければ、そこに探偵が映らない日はなく、彼らが事件を解決する様はスポーツ中継のように、一般市民の娯楽と化している。

 受験生であり、未だ探偵の卵ですらないわたしには関係の無い話だけど……。それにわたしはテレビより専らラジオ派だから、彼らの活躍は耳でしか聞かない。

関係があることと言えば、今挙げた探偵がそれぞれ、今回の入試を自身の身内に受けさせているという噂が立っていること。

 試験は午前の実技と午後の筆記の二科目で、一科目五〇点満点、二科目一〇〇点満点で計算される。一応、政府の認可を得る前からのデータも加味したものとはいえ、平均点は示されている。どの科目も平均二五点前後で、二科目総合五〇点近似。それが本来ならボーダーとも言える数字だけど、今回は探偵の身内が関わっているのだから当然そのボーダーは上昇する。

 ただでさえDスクールは専制的、つまり探偵の身内が多く受験していて、一般生徒はほとんど合格しないと聞く。あくまで噂にすぎないと話半分で聞いていたけど、今回ばかりは本当に噂通りになるかもしれない。

「…………やっと着いた」

 現実逃避の情報整理が終わった頃、ようやくわたしは受験会場、すなわちDスクールに到着した。

 あの後、次の電車に乗ればギリギリ間に合うかもしれないと思っていたわたしはさらに足止めをされていた。後発の電車が事故を起こしたらしく、三時間も遅れたのだ。おかげで、着いたころにはもう昼になっていた。

 わたしが間違って降りてしまった駅からここまでは、そう遠くない。ただ、わたしは元来体が丈夫な方では無いし、方向音痴なので歩いて向かおうとすればトラブルになることは簡単に予想された。急がば回れの精神で、安全に電車を使うことにしたのだ。

「事故があったとはいえ……再受験は無理かな」

 根っこの原因はわたしのミスなのだから、あまり期待しない方がいい。でも、とにかく筆記だけでも受けなければならない。今は落ち込んでいる暇はない。そう頭で言い聞かせても、鉛を飲んだように体がズシリと重たかった。

 もともと、実技は落とす気でいた。わたしは頭で勝負するタイプだと自負しているから、たとえ平均点二五点の筆記でも満点を取るだけの自信はある。それに、筆記試験は毎年似たような内容で、大概は戦後に実際発生した事件を扱う知識問題が主らしい。イレギュラーが発生することはまずない。

 一方、実技試験は毎年内容が大きく違っている。傾向と対策なんてあったものではない。事件現場を見立てた部屋に連れて行かれて推理を実際にさせられる時もあれば、純粋に犯人との格闘を想定した試験もあったらしい。前者のような試験ならともかく、後者のような内容では零点も覚悟していた。

 だから実のところ、実技試験が受けられなくてもそれほど悲観しなくてもいい、はず。筆記試験さえ受けられれば。

「えっと、場所は……」

 看板くらいあると思って、周囲を見渡す。しかしどこにも、受験会場を示す看板は見当たらなかった。ここが正門付近だからかもしれない。もう受験生は全員中に入っているだろうか、この辺りの看板は撤去された可能性がある。

「ああ、君。こっちだ」

 呼びかけられて、そちらを見る。スーツ姿の男性がひとり、立ってこちらに手招きしていた。二十代くらいとまだ随分若そうで、高そうなスーツをビシッと着こなしているが、髪が鳥の巣のようにボサボサでしまりがない。腕には『試験官』の腕章が巻かれていた。

「宇津木君から、降りる駅を間違えたと聞いていてね。えらく遅く着いたようだが、もう実技は終わっているぞ?」

「筆記は受けられますか?」

「まあな。ただ、それで合格するかは――」

「…………受験会場はどこですか?」

「分かった。着いてきてくれ」

 その人に連れられて、学食のラウンジのような場所に案内された。扉の前に『控室』と書かれた張り紙がしてあった。中に入ると、そこは学食というより談話室と言った方がいいような空間だった。扇形に広がった部屋で、弧の部分は外の景色が臨めるガラス張りになっている。左右の壁にはいろいろな種類の自販機が並び、ソファや椅子に腰掛けた人たちはみな一様に、手元の参考書とにらめっこしていた。中には自作なのか、ファイリングされた資料に目を通す人もいた。

「よう! ようやく着いたな」

 部屋に入るなり、聞きたくもない声が聞こえてきた。ソファから立ち上がった宇津木がこちらに向かって歩いてくる。逃げたいところだったけど、今朝の失敗がちらついて、どうにも談話室を飛び出すことができなかった。

「そういえば、まだ名前聞いてなかったな。なんて言うんだ?」

「…………」

 一応、彼がわたしの遅刻を伝えてくれたから、正門の前で人が待っていてくれたという恩義はある。もしわたし一人だったら、道に迷ってまたぞろ遅れていただろうから、そこは義理立てしておいても良いかもしれない。少なくとも、自己紹介に答えるくらいには。

黒鵜白羽くろうしらは

「そうか。クロウか」

 わたしは手近なソファに腰掛けた。断りもなく宇津木は隣に座ったけど、それを咎めるだけの気力が今のわたしには無かった。

 ソファの正面には大きな円柱があって、そこには大型の液晶テレビが掛けられていた。お昼のワイドショーらしく、画面の中のレポーターが「今日七時ごろに発生した殺人事件について、警察は――」とよろしくやっている。

「へえ、怖い事件もあったもんだ」

 まるで他人事のように宇津木は呟く。

「……実技は何をしたの?」

「格闘。一人で正面から走ってくる犯人役の人と取っ組み合いだぜ」

「ふうん」

 少しだけ安心した。格闘ならどうせ受けていても零点だろう。

「参考書のひとつも開かないとは余裕だなおい! 他の連中見ろよ。お通夜みたいな顔してにらめっこだぜ」

 電車内の繰り返しになるのを避ける為、肘で強めに宇津木の脇腹を突いた。幸い、こちらを気にしたのはわずかだった。その時初めて、この談話室にいるのがわたしたちと同い年くらいの受験者だけということに気づいた。

「他の人は?」

「一般科は控室が違うぜ」

 Dスクールの探偵学部には一般科と高等学科がある。わたしや宇津木は高等学科を受験していて、これは探偵の免許取得の勉強をしつつ高校卒業の資格も得られる科となっている。一方の一般科は高校生以上が受験し、こちらは単に探偵の免許を取得するためだけの学科である。

 一般科はDスクール創立当時、私塾時代からのスタイルであるのに対し、高等学科は一年前、政府に認可されたときに設立された。つまりわたしたちが二期生になる。

 もちろん、合格すればの話だけど。

「しかし本当に大丈夫かよ。実技は零点なんだろ? ボーダーと考えられてる平均点五〇点に到達するには、筆記だけでほぼ満点を取らないといけなくなったな」

「別に。元から実技は落とす気でいたから」

「でも、受けないのと受けて落とすのじゃ違うだろ」

 変なところで痛い所をついてくる男だった。予定とほとんど違わない状態であるにもかかわらず精神的に余裕が出ないのは、彼の言う通りの理由による。

 宇津木はやれやれと言わんばかりに、肩を大仰にすくめるポーズを取った。

「それに、君みたいな一般人は筆記の点数が低いのが通例だ」

「……はあ?」

「だから。俺みたいに探偵のバックホーンを持つような人間と、君のように何のバックホーンを持たない人間じゃ、筆記試験はだいぶ違うって話さ」

「…………?」

 不意に、噂のことを思い出した。Dスクールの入試を突破できる人間の多くは探偵の身内であるという話。……条件的にはわたしのように独学の人間と、探偵から体系化された知識を仕入れた宇津木のような人間では、どちらが有利かは明白。もし噂が本当だとするならそれらの条件によるものだと思っていたけど……。

 ちらりと、宇津木の顔を見る。彼は笑っていたが、そこに嫌味とか蔑みといった感情はなさそうだった。買ってもらった玩具を見せびらかす子供のように、自慢げな顔。それは彼にとっていつものことなのか、それとも彼の話が本当だった場合の、わたしが置かれた立場のまずさを理解していないのか。

「どうだ? 俺が筆記試験にパスできるよう、力を貸してやってもいい」

 彼が紡いだその台詞から、おそらく前者だと予想できた。

「却下。わたしがあなたの助けを借りるほど、落ちぶれているように見える?」

 ちょうど、談話室の扉が開いて、スーツ姿の女性が顔を出す。ここの正門で見かけた男性と同じ『試験官』と書かれた腕章をしている。

「そろそろ時間になりますから、試験会場に移動してください」

 その声を福音とばかりに、わたしは立ち上がる。事故に見せかけて鞄を彼の顔面に直撃させた気がしないでもないけど、たぶん気のせいだろう。

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