探偵候補生・黒鵜白羽の挑戦

紅藍

試験への挑戦

#1 電車内にて

「8時半になりました。DJササハラの血みどろニュースチャンネル! 毎日最新の凶悪事件を、どこよりも早くお届けするこのチャンネル。探偵候補生のみんなはちゃんと今日も聞いてる? 聞いてる。OK! 今日はDスクールの試験だけど、頑張っていこう! 試験に臨むみんなを応援するかのように、今日は珍しく事件ゼロ。よって全力でわたしもみんなを応援するよ! わたしだって今日くらいは、ニュースより熱い応援メッセージを読みたいのさ! 昨日からバンバン届いているLINEツイートメールFAX電話電報ハガキ封書矢文をドシドシ紹介しちゃうよ。頑張れ受験生! 名探偵への一歩を踏み出すんだ! まず紹介するお便りは地元愛知県在住の――――」

 ラジオはそこで音声が途切れた。オレンジ色の灯りが車内を照らして、わたしが見ていた参考書を染め上げる。その灯りは明滅を繰り返し、わたしの勉強を邪魔してくる。風を切る轟音も耳障りだった。

 顔を上げて窓の外を見ると、暗闇と光が交互に映る。電車がトンネルに入ったらしい。ラジオが繋がらなくなったのも、それが原因か。

 鞄からスマートフォンを取り出して画面を明るくする。きちんと電波は届いている。トンネル内でも最近は圏外になることがないとは聞いていたけど、まさか本当だとは。都市伝説の類だと思っていたのに。

 なるほど、クローズドサークルも一昔前ほど上手くはいかないわけだ。

 もしスマホのラジオアプリを使っていたら、トンネルに入っても聴けたのかもしれない。わたしが今使っているのは、ボイスレコーダーについているラジオ機能だから……。

 周囲を見回す。乗客の年齢層はバラバラで、上はとっくに社会から引退しているご老体から、下はわたしと同い年くらいまでいる。全員がスーツや制服などフォーマルな格好をしているけど、これから仕事か学校ということはないはず。推理しなくても分かる。今は通勤通学時間からは少し外れているし、そもそもこの電車はいくつかの駅だけを繋ぐ臨時便。通勤通学で使える便ではない。

 車内はぎゅうぎゅう詰めというわけではないけど、わたしと他人の間はチェス盤に整列させられた駒くらいの間隔しかなかった。そんな状態だから、乗客が各々おのおの片手に持って開いている書籍のタイトルから内容まで、見る気がなくても視界に飛び込んで来た。

 『戦後の凶悪事件100』。わたしの隣で本を開く、同い年くらいの男子が持っていた本に視線が移る。青い表紙に黒字でデカデカと、しかし派手すぎないゴシック体で書かれていた。中の1ページには『十二角館殺人事件』。帯には『受験生必携』の謳い文句。他の乗客が持っている本も、種類は違うがだいたい似たような内容のものだった。わたしが持っているのも、そういう類の参考書なのだから。

「よう。君も試験、受けるのかい?」

 隣の男子が話しかけてくる。

「…………」

 聞こえていないフリをした。幸い、まだラジオを聞くためにつけていたイヤホンを外していなかったから。

「なあ、聞こえているだろ? ラジオ、トンネルの中じゃ聞こえないんだからさ」

 仕方なく、わたしはイヤホンを外して仕舞うと、その男子に向き直った。目元にかかる前髪がうざったげな、どこか鼻につく男だった。ルックスは悪くないし、会ってすぐで性格もあまり理解できない段階なのに、好きにはなれそうもないと思う。これが「生理的に無理」という感覚なのかもしれない。

「聞いているのが音楽という可能性は考えなかったの?」

「制服の胸ポケットからボイスレコーダーが出てるぜ。まさかそれで音楽は聞きゃしないだろ? 見たところラジオ機能付きのやつらしいし、なら聞いてたのは『DJササハラの血みどろニュースチャンネル』だな。なあに、簡単な推理だよ」

「…………」

 それを推理と、自身を持って言い切る彼の態度を見て、わたしは今すぐ電車から飛び降りたい衝動に駆られた。それくらいの嫌悪感を彼はわたしに与えた。

「説明してほしいか?」

「いい」

 彼の推理は見え透いている。ラジオ機能付きのボイスレコーダーで何かを聞くとすればそれは『録音した音声』か『ラジオ』しかない。『ラジオ』なら、わたしのようなDスクールの受験生がこの時間帯に聞くのは『血みどろニュースチャンネル』しか考えられないというわけだ。

 『録音した音声』をわたしが聞いていた可能性を論理的に否定しきれていない。わたしが彼の声に反応してイヤホンを抜いた時点でラジオだとは知れるけど……。わたしがイヤホンを抜く前に、彼はラジオだと断言している。

 当てずっぽうなのだ。

「……用が無いなら話しかけないで」

 彼はわたしに試験を受けるのかと聞いてきたけど、それくらい誰だって分かる。Dスクールの受験生でなければ持っていないような参考書をわたしが持っているのだから、一目瞭然。ではなぜ彼がそんなことを聞いてきたのかといえば、要するに、ナンパ目的なのだろう。

「そうツンケンすんなって。余裕って大事だぜ? ほら、笑って笑って」

 この男子の余裕な態度は、電車内の不快指数を飛躍的に上昇させた。みんな受験直前でピリピリしている中、こんなことを言われればストレスにもなる。

 乗客はちらちらとこちらを見ていた。どうやらわたしもお仲間と思われてしまっているようなので、ここは初対面であることをアピールしておいた方がいいかもしれない。

「あなた誰?」

「俺? おいおい、冗談よせよ」

 それはこっちの台詞だった。これではわたしが、知り合い相手に赤の他人を装おうとしているようにしか見えない。

「俺は宇津木正義。ほら、聞いたことあるだろ?」

「いや、ないけど……」

 宇津木正義なんて名前は初耳だけど、しかし宇津木という名前は聞いたことがある。というより、おそらくこの電車内で『宇津木』の名を知らない人間はいない。

「嘘だろ? あの宇津木だぜ? 今は亡き、日本で最初の警視庁黙認の名探偵と言われた宇津木博士。俺はその一族で、宇津木博士の甥なんだよ」

「え、うん……」

「国内じゃ今のところ、猫目石瓦礫っていうよく分からないぽっと出の探偵が叔父さんの正統後継者なんて言われてるけどな。でも、宇津木博士を真に次ぐのは俺だ! よく覚えておけ!」

 だからどうした。

「おっと。君の名前をまだ聞いてなかったな! 名前は?」

「…………」

 言いたくなかった。この男子に名前を覚えられることさえ、わたしは嫌悪し始めている。

 電車がトンネルを抜け、減速し始めた。駅に着いたらしい。この軽薄な人間から離れたかったわたしは車内のアナウンスも聞かず、ドアが開いた瞬間飛び出した。車内のむせ返るような人の臭いから解放されて、一月の冷たい風が出迎えてくれる。

「おい、ちょっと待て!」

 まだしつこく、宇津木が話しかけてくる。無視することにして、わたしは車両から離れる。

「そこはまだ、目的の駅じゃない!」

「…………え?」

 振り返ったとき、電車は動き出していた。

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