壱13

 真紅郎は宿毛屋で高知における瘴気溜まりなどにおける現状を確認した翌日、いつものように日課である神社の境内の清掃を終え朝食を食べ終えた後に天神橋を超えてとある場所へと向かっていた。


 潮江天満宮から天神橋を超えて歩いてすぐのところにある大きな屋敷、南邸山内家の屋敷である。


「潮江天満宮の鷹家真紅郎だ。

昨日のうちに今日俺が来ることは伝えていたはずだが……」

「鷹家殿、伺っております。

どうぞ中にお入りください」


 真紅郎は門前に控えている者に案内されて屋敷の表玄関まで向かう。

 この者とは真紅郎も知らない仲ではないため、昨日のうちに今日真紅郎が来ることを伝えていたということもあって特に問題なく迎えてくれる。

 それでも別段親しいということでもないので表に案内される道中は会話も何もないのだが。


「お待ちしておりました、真紅郎殿」


 表玄関で待っていた者もまた真紅郎のよく知る人物だった。

 この屋敷の主の家老として南邸山内家の細々としたところを任されている老年の人物であり、名を乾時臣という。

 老年といえどもこの時代から見たものであり、まだ五十代に差し掛かった頃の彼は老いを感じさせない着物の上からでも分かるほどの筋肉質の身体をしており、まだまだ老いていないところをうかがわせる。


 時臣はいつものように何の感情もうかがわせないような無表情で自身の主の元へと客人である真紅郎を案内する。

 彼にとってこの南邸山内家の当主に仕えているのであって当主本人に忠誠を誓っているということではないのだ。

 こんな家には仕えるが人には仕えないという有り様はまさに縁のない他家から養子を迎えるというような主家の存続のことしか考えない江戸時代ではそんなに珍しいことではない。

 それにしても時臣のように当主に仕えていることに関して嫌な顔どころか何の表情も見せないというのも珍しいのだが。


 そうして家老の時臣に案内されて目的のこの屋敷の主とところまで歩いて行く。

 分家といえども流石は土佐山内家の系譜に連なる者の屋敷だということが細々とした意匠を見ればよく分かる。

 別に仲のいいわけでもない時臣と話そうとも思わないので、真紅郎はいつ見ても飽きない立派な屋敷の中やその調度の意匠などを見る。


「殿、真紅郎殿をお連れしました」


 真紅郎だって何度もこの屋敷には来ているわけだから目的の人物のいる場所なんていうのは知っているのだが、知らない仲とはいえ他人を主人の屋敷の中を好き勝手に闊歩させるわけにもいかない時臣のよって目的の場所へと辿り着く。


 目の前にある襖が時臣の手によって開けられるとそこにいたのは、下士である龍馬たちにとってはともかく真紅郎にとっては馴染みの山内豊信がいた。


「ご苦労。

お主はもう下がってよい」


 豊信がそうやって時臣の方も見ずに下がるように言うと時臣の方も何の文句もなく真紅郎をその場に残してその間から去る。


(いつも思うがよくもまあこんな主従関係でこの家も成り立つものだな)


 真紅郎が時臣が去った方を眺めながらそんなことを考えていると、豊信はそんな真紅郎が何を考えているのかを想像して苦笑しながら言う。


「何を考えているのかは分かるが、武家なんてものはこんなものじゃ。

上士はともかく下士にまでなると自分の主君が誰であっても構わないと思う者は多くなる。

俸禄をもらえる主家がありさえすれば良いのじゃからの。

まあ、儂の場合は妖魔の件もあって近しい家臣からもよく思われてはいないのだがな。

むしろ儂には弟がいるのじゃからいつ殺されてもおかしくはないかもしれんの」


 当たり前のように横に置いてある一升徳利を自らの盃に傾けながら当の本人がカッカと笑っている中で、何とも笑えない話に真紅郎は口元を引きつらせる他なかった。

 何故か一升徳利が三本も置いてあることに関しても疑問に思わざるを得なかったというのもあるが。


 現在、この南邸山内家の当主は真紅郎の友人とも言える山内豊信が務めている。

 南邸山内家の長男として生まれたのだから一般的に見ればこの時代において一般的な長子相続という常識にかなったものであるが、豊信に関しては屋敷にいる家臣の多くから幼い頃より妖魔の類いが見えることで普通の人ではないということで気味悪がられていたのである。

 藩主の系譜で分家の当主ということで豊信の父はよく分からずとも朝山家の存在から人には見えない何かが存在することに関しては知っていた。

 それゆえに父親は豊信を次期当主としたものの他の者たちは違う。

 屋敷の家臣の多くは兄を気味悪がっている弟を中心に当主であるはずの豊信をよく思っていない。

 それでもこうして御家騒動も起こらずにいられるのは別に豊信が南邸山内家の権力を欲しいままにしているわけではないということと、妖魔や妖祓いなどに関して理解のある江戸の土佐藩主や重臣一同が豊信の当主就任を推していたからだ。


 こうしてこの土佐において家臣や実弟に嫌われながらも当主が難なく仕事をこなす南邸山内家という不思議な家が出来たわけである。


「さて、今日は何しに来たのじゃ。

まさか記念にお主が手に入れた妖魔の遺物をくれるというのかな」


 豊信は宿毛屋の弥生と同じようなことを聞いてきた。

 しかし、真紅郎は昨日の弥生と違って親しみもあって尋ねられたその質問に対して不機嫌を感じるどころか、今までふわふわと浮ついていた自分がいるべき場所にピッタリとはまったようなそんな安心感を感じていた。


「ああ、やっぱりそのことは既に宿毛屋から聞いていたか……

でも流石にそれは四郎にもやれんよ」

「片方だけでも構わんのではないか?」

「無理だと言っているだろう。

ともかく俺と違ってお前はそんな遺物を必要とする理由がないだろう。

一体何に使う気だよ」

「何、家に飾るのよ」

「お前、俺が高性能な武器を必要としているのを知って言ってるだろ……」

「無論じゃ」


 真紅郎と豊信は周囲に誰もいないということもあっていつものように友人同士で巫山戯会いながら会話を楽しんでいた。

 二人にとって真紅郎や豊信と言うのは特別な存在なのである。

 二人共が十万石以上という大大名の家の系譜として生まれてきたにもかかわらず、真紅郎はその赤い髪などの異様な容姿から生まれた頃から虐げられ、豊信は普通の人とは違って妖魔が見えてしまうことから周囲の人から幼い頃から阻害されて生きてきた。

 そんな二人だからこそこうしてお互いをわかり合うことが出来たのだ。


 確かに二人の今の身分は正反対と言ってもいいほどに大きく離れている。

 しかし、真紅郎にとって豊信という人物は弥生もそうではあるが男として妖祓いと比べても普通の人間ではない自分のことを見てくれる大切な友人であり、豊信にとっても真紅郎という人物は元藩主の息子であって自分以上に阻害されてきたというのもあるのだろうが土佐山内家の分家当主でありながら人には見えないものが見えてしまう自分を一人の人間として扱ってくれる大切な友人なのだ。


 だから、真紅郎は元より豊信も自身の通称である四郎右衛門という名を略して四郎と言うのを友人である真紅郎に対して許しているのである。


「しかし、真紅郎にとって大事なのは自身の霊力にも耐えられるような刀が欲しいというのじゃろう。

確かに牙の一本は必要じゃろうがもう片方は絶対に必要とは言えぬじゃろう」

「ぐぬぬ……。

た、確かに……」

「そうじゃ。

と言うわけで儂にもう片方の牙をくれてもいいじゃろう。

代わりに儂が江戸の腕利きに頼み込んでその牙からよい呪具を造るように頼むからの」


 真紅郎にとって特に悪くもない取引に頷きそうになる。

 高知に真紅郎の持つ大蛇の遺物を使って刀の呪具を造り出せるような者はいないのは事実なのだ。

 それならば江戸の朝山家の妖祓いとも知り合いの豊信の取り引きを採用するというのもありと言えばありだった。


「――分かった。

そういう方向で考えておこうかな」

「うむ、そうじゃ。

そうした方がいいぞ」


 そんな風に雑談をしている中で一区切り話を終えると、急に豊信が単刀直入に今回の件についてを聞いてきた。


「高知における瘴気溜まりの件じゃろう。

真紅郎、お主何を感じた。

――いや、何を見た?」


 真紅郎はそんな友人の全てを見透かすような言葉に一瞬驚いたが、真紅郎もまた居住まいを正して正面に座る豊信の顔をしっかりと見て言った。


「別に今回の件に関してまだ何も見てはいないが……

この高知に最悪の事態がほぼ確実に起こる。

――天災級の妖魔が出かねないほどの事態がな」


 そんな友人の言葉に豊信が流石に予想外だったのか驚いた表情を隠すことなど出来なかった。

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