壱12

 真紅郎と弥生の二人は奥の方にある妖祓いのための間よりもさらに奥にある個室の方へと通されて正面に向き直っていた。


「高知で生じている瘴気溜まりに関して聞きたい、ねぇ。

わざわざそんなことを聞きにここまで来たとでも?

この高知でも瘴気溜まりだなんて珍しくもないじゃない」


 弥生は何も知らないとでもいうように真紅郎に笑いかけながら質問の意味を問う。

 しかし、その様はあからさまにわざとらしい。

 そもそも彼女が今回の瘴気溜まりが頻発している状況を知らないはずがないのだ。

 そして、今後のことはともかく今までに生じた瘴気溜まりに関しては情報屋である以上真紅郎がついさっき直面した麻田勘七の道場における件に関しても知っていてもおかしくはないのだ。

 それでもこうしたあからさまな態度をとっているのは、真紅郎の方も今回の瘴気溜まりのに関して何かしらの情報を握っていると知ってのことだろう。

 いや、こうした真紅郎が絡んだ件の場合は真紅郎の勘を当てにしているのだが。


「お前の方がよっぽど情報を持っているだろう。

仮にも朝山家の次期当主なんだからよ」


 真紅郎はそんな態度を見せてくる弥生に対して不機嫌になりつつ口を開く。


 真紅郎の目の前にいる女性は朝山弥生といい、この江戸時代において女性ながらに次期当主としてこの土佐における妖祓いたちには見られている。

 真紅郎とは三年前に彼自身が宮司に引き取られた時からの付き合いである。


 朝山家というのは簡単に言えばこの土佐における妖祓いたちの頭領のことを言う。


 そもそも妖祓いとは妖魔を退治したり、瘴気溜まりを祓ったりすることを仕事としており、この時代においては一般に祓い屋だったり神主だったり僧侶などと呼ばれていることが多く、そもそも普通の人には見えないことは事実であるので信仰だったり迷信を信じない者たちからは毛嫌いされるようなそんな仕事なのだ。

 そして、妖祓いは一般に妖魔の類が見えるものを総称してそう呼ばれており、分類としては先の頭領、土着の妖祓い、そして野良の妖祓いというように分けられている。


 まず、土着の妖祓いというのは江戸時代どころか室町だったり鎌倉そして平安のころからその場所で長く祓い屋としている者たちのことを言う。

 この土着の妖祓いは主に村や町の寺社関係者の場合が多く、潮江天満宮の宮司にしたって土佐山内家がこの高知にやってくるずっと古来から代々妖祓いとしての一面を持っているのだ。

 次に、野良の妖祓いというのは単純に土着の妖祓いでも頭領だったりその一族の者でもない、簡単に言えばそれ以外の者たちのことを言う。

 彼らは主に仕事を斡旋してくれる頭領のもとで日銭を稼ぐ妖祓いの中の浪人のような存在である。


 そして最後に、頭領というのは特定の土地における妖祓いたちの差配をその土地の領主からお墨付きを得た者のことを言う。

 妖祓いのような存在はもともとほとんどの人が妖魔の類が見えないのだから幕府から正式な役をもらえる身分ではない。

 しかし、それでも土地を治める上の者たちの一部は領内統治の為には妖魔を退治し、瘴気溜まりを祓うことのできる要なる存在が必要であることを知っている。

 それゆえに正式にその存在を認めることはないが一部の大名たちは妖祓いの一部に特権を与えて領内にいる妖祓いたちの差配を許している、つまり領内の妖祓いに関する案件に関して放任しているのである。

 いくら必要だと知っていても妖魔の存在を信じられない大名が多いことは事実であり、単純に例年のようにお墨付きを与えてそれで終わる大名もいれば、妖魔の存在を信じて大いにその妖祓いたちを活用するために自身が召し抱えるというような大名もおり、妖祓いの頭領に関しては非常に不安定な存在なのである。


 そして潮江天満宮の宮司の元にいる真紅郎は、半分野良の妖祓いのようなものであり、その存在は土佐においては知らない者はいないくらいに有名である。

 それもそのはず、いくら真紅郎が人目を気にして自分の赤い髪を染めているとはいっても半妖と思しき普通の妖祓いでは出来ないような能力を扱う真紅郎はその実力も相まって非常に目立っているのだ。


 妖祓いは、基本的には特定の領地に関する妖祓いにおけるお墨付きを得た頭領が、主に土着の妖祓いたちから得た情報を元に、実力に応じて人に悪影響を及ぼす妖魔や瘴気溜まりの解決のために野良の妖祓いたちに仕事を斡旋するというようなシステムで成り立っている。

 ほとんどの場合、大名などはお祓いの礼に報酬を出す程度で関わることなどないのが普通である。


 朝山家はこの土佐山内家に江戸時代前期からこの土佐藩の領内における妖祓いに関するお墨付きを得ている一族であり、農民にとっての庄屋のような存在なのである。


「そうね、確かにそうかもしれないかもね。

例えば、誰かが数日前に種崎の辺りで上級ともいえる妖魔を退治したり、誰かが今日どこかの道場で瘴気溜まりを祓ったりなんてことは知っていたりして」

「はぁ、全部知ってるじゃないか。

しかも、今日のことまで知っているとはな」


 分かってはいても宿毛屋というよりも朝山家の情報収集能力に真紅郎は呆れるほかなかった。


「真紅郎、上級の妖魔の遺物を手に入れたんですってね。

出来ればそれをうちに卸してくれても良いんだけど」

「残念だが今のところ誰に譲る気もないよ」


 こうして土佐における妖魔や瘴気溜まり、そして妖祓いに関しての全てを引き受けている宿毛屋は倒した妖魔から生じた遺物に関しても取り扱っている。


「そんなことはどうでもいい。

最初に言ったとおり俺はここ最近の高知で生じた異常に関してを知りたいだけ……」

「それなんだけど、真紅郎は今回の件はどう思っているの」


 土佐における昨今の瘴気溜まりに関しての情報を聞きに来た真紅郎であったが、弥生は彼の言葉にかぶせるようにして聞いてくる。

 そんな彼女の表情は、土佐における妖祓いなどに関する全ての情報を取り扱う朝山家の娘にしては真剣な表情を崩すことなく聞いてきた。


 真紅郎もそうして彼女が自分に何を聞いてくるのかというのは分かっているつもりだ。

 妖祓いならば真紅郎が半妖であろうことは知らない者はないくらいに知られている。

 そして、それは真紅郎の異様なほどの勘についても多くの人に知られている。

 事実、今この宿毛屋にいる妖祓いたちはこの間にやって来るまでの間に真紅郎をジッと見ていたのだから。

 それほどに妖祓いたちもそして目の前にいる弥生も今回の件に関しての自分の勘を聞きたいと思っているのだろうと真紅郎には予想がついた。

 そして、その弥生の焦りようにこの土佐の現状は予想以上のものなのだろうということが分かった。


「そうだな。

ほぼ間違いなくこの土佐には悪いことが起きようとしている」

「――いつもと違って随分と強気な勘ね。

何かあったとでもいうの」

「まあ、俺の勘というものがただの勘という言葉で済むようなものではないかもしれないということが分かったってところかな」


 真紅郎はそんなことを言いながら半刻ほど前の道場内での一件を思い出した。


「ただの勘じゃないかもって……。

それってどういうこと」

「それに関しては俺にもまだよく分からないとしか言えないな」

「そう……。

でも、真紅郎がそう言うのだったら今のこの土佐の状況であってもまだ最悪の事態が待っているということになるのでしょうね」

「――何だと」


 弥生の言い方はまるで今の土佐の現状は普通ではないそれこそ最悪だと言っていいほどの状況なのだということを物語っていた。

 俺が知っている以上にたかが瘴気溜まりの一つや二つ確認された程度ではそんなことは決して言わないだろう。


(弥生のことだ。

それこそ中規模の瘴気溜まりが数カ所生じたくらいではそんな弱音は言わないはずだ。

ということは……)


「真紅郎の予想通り、いやそれ以上かもね。

その二体は既に退治されているけど更に高知城下を含めて三カ所で中規模の瘴気溜まりが、そしてあなたが今日確認したような小規模の瘴気溜まりが十カ所以上で確認されている。

今はようやく小康状態と言ったところね」


 普通じゃない。


 真紅郎が弥生の言葉を聞いて思ったのはそれだった。

 基本的にこの高知では一月に中小併せて十カ所近くの瘴気溜まりが生じる。

 しかし、今現在はこの数日の間にそれだけの瘴気溜まりが生じているというのだ。

 常に余裕のある弥生でも焦ろうというものである。


「それで真紅郎の予測を聞いて確信したわ。

今は小康状態にあるけれどこれはまさに嵐の前の静けさ。

いつ大規模の瘴気溜まりが生じてもおかしくないでしょうね」

「大規模の瘴気溜まり……。

下手したら天災級なんて言われている妖魔まで出てきたりして……」

「――はあ。

不吉なこと言わないでよ。

何がどうして天災級なんてこと言うの」

「――何となく……」


 いつものようにつぶやいてしまったその言葉に真紅郎は血の気がひいていくのを感じていた。

 そして真紅郎のことをよく知っている弥生はその最悪な予想を言ったのが真紅郎であるということに軽く絶望した。


「真紅郎、しばらくは何が何でもこの高知にいなさいよ。

何かあったときに本当に頼りになるのはあなたくらいなんだから」


 血走ったような強烈な目で見てくる弥生のそんな言葉に真紅郎も冷や汗をかきながらもしっかりと頷いた。

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