壱10

「真紅郎、おまん……」

「災難だったな、収二郎。

まさか二度もあんな目に遭うだなどとは思わなかっただろうな」


 真紅郎は収二郎が無事であることを確認したことで安心して収二郎に笑みを浮かべながら声をかける。

 その隣にはもちろん武知もいる。


「真紅郎殿、どういてここにいるぜよ」


 晴之丞による一度目の件とは違って明らかに狂っている相手にいきなり斬りかかられたということもあって未だ冷静でいられない武知はさっきとは違って驚きの表情を隠せない。


 そこで真紅郎は自分が真に収二郎の先のことが見えていたのだということに気が付いた。


 最初は収二郎が危険な目に遭っているビジョンが見えてしまったためにもしかしたら今まさにそんな事が起こっているのではないかなどと思っていたのだが、この場所に辿り着き、数人の門人たちによる拘束を離れた相手が収二郎を斬ろうとしていたまさにその瞬間は真紅郎が見た収二郎の先のビジョンと寸分違わなかった。

 違うのは収二郎が斬られるなどということはなく、こうして武知と一緒に話し合えているということだろう。


「どうしてって……。

まあ、何となく嫌な感じがしたってところかな」


 真紅郎はこれ以上の追求をされては困ると煙に巻くように笑ってごまかした。


「なるほど、何となくか。

全く、真紅郎の勘はよう当たるきの。

まあ、そのおかげで助かったぜよ」


 真紅郎の勘の良さを知っている収二郎はまたそれかとでもいうように真紅郎と同じように笑い合っていたが、真紅郎に関しては今日会ったばかりの武知は真紅郎の勘は良く当たるということも知らないわけで目の前で笑い合っている二人を前に少しばかり困惑していた。


 しかし、真紅郎はこうして表面上は笑っていたが心の奥底では不安でいっぱいだった。


(勘がいい……。

確かに収二郎のいうとおり俺は勘がいい。

悪いことも良いことも何でもかんでもその時に巡り合う。

だけど、今さっきのはどう考えても違う。

あれは……一種の未来予知のようなもの……)


 真紅郎は自分は何者かということを知るためにこの土佐で宮司の元で妖魔の類いに関わってきた。

 それは最初に宮司に自分が半妖なのではないかと言われたからだ。

 事実、真紅郎のその力は普通の人間には及ばないほど強大である。

 例え妖祓いであっても出来ない炎の顕現に関しても明らかに自分が人ならざる者だからだろうということは分かっているつもりだった。


 しかし、今回の未来予知に関してはそれすらも超える。

 まさに神仏の御業のようなその権能の一端はそれを為した真紅郎自身を恐怖させた。


(未来……。

まさか、俺の前世に記憶も……)


「さて、武知君。

助けて貰ったのはありがたいが、そろそろこの者について教えていただけないかな」


 そんな声が聞こえてきたことで真紅郎は自身の思考から現実に戻ってきた。


「真紅郎!

どういたぜよ、いきなり走り出して……」


 そこで龍馬も駆け込むようにこの道場にやってきて弥太郎やその他の面々に関してもその後ろに付いてくるようにしてこの道場までやってきた。


 武知を追うかのように道場に入ってきた真紅郎が、その後から弥太郎までついてきたこともあって武知や弥太郎と同じように下士の身分なのだろうというのは予想がついた。

 そうしたなかで下士を過剰に嫌う一部の上士たちの強烈な視線が真紅郎はともかくとして、その後ろの龍馬や子供たちにまで向けられたことで彼らの中には明らかに上士を恐れて萎縮する者がいた。

 それを制止したのはこの道場の主である麻田勘七だった。


「やめないか。

……それで武知君、説明を」

「はい。

この者は潮江天満宮の神主、鷹家真紅郎と言うがです」


 武知がそう言ったことでさらに真紅郎に対する敵意の視線は強烈になる。


 神主が何の用があってこの道場に来たのか。


 そのような罵詈雑言があまた道場内を飛び交う。

 しかし、そのような誹謗中傷など柳に風とばかりに受け流すで真紅郎であったが、そんな若造の態度が気に入らないと更に言い募ろうとしていたところでそんな者たちを麻田勘七の強い制止の視線が貫く。


「ほう。

では先の一件はお祓いの類いであるとでも言うのかな」

「そうですね。

まさしくそのようなところでしょうね」


 道場の門人たちはたかが神主風情が上士に対する口の利き方ではないとその表情を歪める。


「しかし、場を収めはしたもののそもそも俺は何がどうしてあのようなことになったのかが分かりません。

それを教えていただきたい」


 真紅郎は目の前の人物がただの剣術の強さだけでは言い表せないような威厳のようなものを醸し出しているのを感じていながら怖じ気づくことなく面と向かって話しており、麻田勘七は道場の門人であれ少なからず萎縮する自分を前にそんな堂々としていられる真紅郎を興味深く思っていた。


「そうさな。

最初にお主も知らぬ中ではないらしいがそこにいる平井収二郎という者がそれがしの道場で学びたいと言うのでその件について話し合うていたところで突然そこにおる者が刀を抜いて二人に襲いかかったのだ。

その際にそれがしがその者を押さえて門人たちに任せたところであれよ。

後のことはお主が見ていたとおりだ」


(突然か……。

確かに人が憎悪などの悪しき思いに囚われたときに瘴気が生じ、その瘴気の集まりである瘴気溜まりに飲まれると狂ったり疫病に犯されたりすると言う。

今は俺の一撃でこの道場周辺の瘴気溜まりも小規模だったために簡単に収めることは出来たために今は見えないがそこに瘴気溜まりがあったのは事実。

その小規模の瘴気溜まりのせいでこの男は狂って正気を失ったということなのか……?)


 真紅郎は自らの一撃のせいで床に崩れ落ちている晴之丞なる男を見る。


 少し前にこの男は収二郎や武知が原因で武士の誇りを傷つけられたようなもの。

 瘴気に飲まれるほどの悪しき思いを抱いていたのは事実であろうと真紅郎は考えた。


「ふむ。

どうやら心当たりがあるらしい。

この者とてそれがしの門人だ。

なぜこのようなこととなったのかを教えて欲しいものだな」

「この者はどうやら厄に取り憑かれていた様子。

そのため俺が荒療治ではあるが俺の霊力をもってその厄をお祓いした。

その際にこの道場に関しても同様に厄が祓われたようなので、これからは安心して鍛錬に励まれるといいでしょう」


 この時代においては霊力などという摩訶不思議なものがまかり通る。

 そのため真紅郎が瘴気を祓ったのだといっても神主という身分もあって信じられるのだ。

 事実、妖祓いにおける専門的な用語である瘴気という言葉は使わなかったがこの道場にそのような厄があったのかと身も出来ないその存在を信じてしまっている。


「なるほど。

ということはそれがしはお主にこの道場の厄払いをしてもらったということか。

後でお礼をさせて貰おう」

「いや、今回はこの俺自身がこの道場へと勝手に押しかけてしまったようなもの。

お礼などというものは無用に願いたい。

……しかし、それでもというのならそこにいる収二郎がこの道場で学ぶのを考えていただきたい」


 真紅郎は守銭奴ではないが金を貰えるときは貰っておくというそんな気質があるが、今回に関しては周囲に下士や帯刀しているだけの神主などという分不相応な存在が気にくわないという上士たちが多くいたのでこれ以上余計なことはごめんだということもあってさっぱりとお礼を断ってしまう。


「あい分かった。

しかとその収二郎なる者を見極めさせて貰おう」


 そんな真紅郎の考えを分かっている麻田勘七はそう言って、道場を去って行こうと後ろを向いた真紅郎を見る。


「しかしどうだ、神主といえどそうして帯刀している身ゆえ多少なりとも剣に覚えがあるのであろう。

お主のその恐れ知らずな気概が気に入った。

この道場で学ばぬか」


 その麻田勘七の言葉に驚いたのは真紅郎を除いたこの場にいたすべての者だった。


 確かに武士にとってこの土佐一の剣豪の元で剣を学べることは幸いであり、この件はまさしく千載一遇のチャンスといったものだろう。

 しかし、真紅郎は周囲の嫉妬、驚愕、憎悪、憧憬といった様々な感情を受け流しつつ、頭を振って断った。


「せっかくの申し出だが俺はただ帯刀を許された神主の身。

剣術を極めようなどとは思ってもいません。

……では、失礼いたします」


 そう言って頭を下げた真紅郎は道場の入り口へと向かう。

 真紅郎にとって剣術とは極めるものではない。

 たとえ我流であっても敵たるい妖魔を討ち滅ぼせるのならそれでいいのだ。


「そうか。

残念だな」


 そんな声を肩越しに聞きつつ真紅郎や龍馬たちはこの道場を去って行った。

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