壱9

 収二郎の件で真紅郎の特殊さを特に言及されることなく済んだことに一安心した真紅郎だったがこれからが真紅郎にとっての懸案だった。


「う、うぐぅ……」


 両目が熱くなり、脳を焼かれるような頭痛が襲う。

 突如、真紅郎を原因不明の事態が襲ったのだ。

 そして、それに気が付かない弥太郎や龍馬たちではなかった。


「どういたんじゃ、真紅郎!

頭か?頭が痛むがか?!」

「おい、誰か医者を呼んで来るぜよ!」

「ま、待ってくれ、弥太郎さん……」


 龍馬が心配して、弥太郎が普通でない状態の真紅郎を見て医者を呼ぼうとしたところで真紅郎は自ら医者を呼ぶことを制止した。

 それは、この頭痛が病などによるものではないことを身体が知っていたから。

 そして、似たようなことを一度意識が薄れゆく中で経験しているはずだということをボンヤリと覚えていたからだ。


「どういてじゃ、真紅郎……!」


 龍馬や弥太郎が心配しているのが意識の外から理解しているのが分かるというそんな中で、真紅郎は自身の前世の記憶ではないかと思っている令和の日本を見たときと同じようなそんなビジョンが脳裏に浮かび上がるのを感じていた。


 脳裏に浮かび上がるのは、夕暮れのように薄暗い道場、そして収二郎と武知。

 そして、収二郎が何の抵抗も許されないままに胴を上下に切り裂かれる。

 後に残るのは今にも匂い立ちそうなほどにおびただしい量の血で彩られた道場だった。


「収二郎が、収二郎が危ない……」

「え?何やち?

収二郎が、どういたがじゃ」


 真紅郎は理解した。

 今見たのはこれから起こることなのだというのを。

 なぜそう思ったのかは分からないし、そもそもなぜそんなものが見えるのかというのもさっぱり分からない。

 それでも分かるのは急がないと収二郎が死んでしまうということだった。

 そしてそれは武知も危険だということである。


「収二郎が殺されるって言ったんだ!

急がないとッ!」


 さっきよりもましになった頭痛をこらえて大声を出す真紅郎は、そう言い放った後に走り出そうとして足がもつれて転んでしまいそうになった。

 なぜか眼がぼやけてしまって周囲がよく見えなかったのだ。

 暗闇から明るいところに出るようにその目は徐々に良くなっていくものの、それを待っている時間は惜しいとばかりに再び駆けていこうというところで真紅郎は収二郎たちがどこに行ったのか分からないということに気が付いた。

 それでもさっきのビジョンが正しければ道場にいるのは分かっているので、真紅郎は弥太郎に食って掛かるようにして訪ねた。


「弥太郎さん、この屋敷の道場はどこにあるんだ?」

「え?あ、ああ、道場ね。

それは左の道を行ってこの目の前の屋敷の裏手辺りにあるが……

真紅郎は大丈夫ながか?」


 立ち止まってはいられない真紅郎は弥太郎の最後の一言をしっかりと聞く前にその場を離れて一人でその道場まで向かっていった。


 もちろん、弥太郎や龍馬たちも普通でない真紅郎の様子から急いで真紅郎の後を追うのだった。




 一人この麻田勘七の屋敷の裏手にある道場の方へと向かっていく中で、真紅郎は肌がヒリヒリと痛んでいくようなそんな違和感を感じ始めていた。

 しかし、その違和感に関して真紅郎が知らないはずもなかった。


「薄いながらも瘴気が漂っている。

それも道場のある方に近づくにしたがって目に見えるほどに濃くなっている」


 真紅郎の目には、まだ夕方になるほど時間は経っていないというのに周囲がうっすらと暗くなっているような気がした。

 それもそのはず。

 真紅郎の周囲には目で見て分かるほどの瘴気が漂っているのである。


「目に見えるほどに濃い瘴気があると言ってもこの程度なら俺ならばどうとでも出来る。

でも、普通の人には何があってもおかしくはないな」


 真紅郎にとって今までで一番酷い瘴気は何だと聞かれれば、宮司に怒られ端もののつい先頃種崎で生じた大蛇の妖魔に関係する件だ。

 あれは上級ともいえるような強大な妖魔が出現したものであって、その原因は瘴気溜まりによるものだった。

 宮司は瘴気溜まりについて詳しくは知らないとは言っていたが、そもそも瘴気溜まりなどというものはそうそう出現するようなものではないのだ。

 瘴気溜まりが出現したらどうなるかということに関してもよく分かっていないが、それでも上級の妖魔が出現する濃い瘴気による瘴気溜まりもあれば今回のような瘴気の薄い瘴気溜まりもある。


「この瘴気溜まりがこの前の大蛇の妖魔の時の瘴気溜まりと違っていくら小規模のものであると言っても人に与える悪影響は絶大だ。

……瘴気に狂わされてしまう人だっているんだ。

もちろん、そんな瘴気に侵された人が収二郎を斬ることだって十分にあり得る」


 その可能性を想像してしまった真紅郎は唇を噛みしめて足に力を入れてさらに加速する。

 その影響で踏み込んだ地面がはじけた。


 なぜこんな場所で瘴気溜まりが生じたのかは分からない。

 もしかしたら前回の大蛇の妖魔の件に続く更なる不幸がこの高知に降りかかっているのかもしれないと一瞬思った真紅郎であったが、実は珍しいとは言えこの程度の瘴気溜まりはこの高知でも生じるのだ。


 しかし、そんなことを考えている暇はないと考えた真紅郎は、先ずは道場に行くことだと思い直した。


(絶対に収二郎を死なせやしない。

俺がこの瘴気溜まりを収めてやる)


 そんな意気を籠めて駆けていた真紅郎が目的の道場に辿り着いた時、その中から何か慌ただしい声が聞こえてきた。


「ッ!間に合えッ!」


 壊れようが構わないというように道場へ入るための引き戸を思い切りこじ開けた。

 真紅郎の馬鹿力でこじ開けられた引き戸は敷居から外れてしまっているが、それに気が付かないし、注意を払うつもりもない。


 道場に入ってきたところで真紅郎が見たのは、真っ黒な火山灰が舞っているかのようにうざったらしい瘴気と薄い瘴気を纏った刀を抜いた人物だった。

 さっきと同じようではあるが、目の焦点が合っておらず狂っているかのようなその表情がまるで違っていた。


「下士の分際でこの道場に入ることなど許さん。

下士の分際で、下士の分際で、下士の分際でェェッ!」


 明らかに言動のおかしいその上士と思われる人物は抜き身の刀を持ちながら収二郎や特に武知を睨んでいた。

 しかし、その身体は数人の門人たちによって床に押さえつけられていた。


「クッ、力が強い!

なんぜよこの力強さは。

数人がかりで押さえちゅうというにどういて」

「い、今はとにかくこいつを押さえつけるのに集中しろ!

このままでも俺たちでさえ押さえきれんがやぞ」

「ったく、いくら晴之丞が下士である武知を嫌ってちゅうとしてもこれは普通じゃないぜよ」


 真紅郎がよく見れば、その瘴気を纏い押さえつかられている人物はさっき刀を抜いていた上士だった。

 その上士を周囲の人物が押さえ込んではいるものの瘴気によって強化されたその怪力によって今にも抜け出そうとしている。

 彼の周囲にはこの道場内の中でも見て分かるほどに強いと分かる年配の男が木刀を構えており、少し疲れている風であるのを見る限り真紅郎はもしかしたら彼が一度暴走した晴之丞を押さえ込んだのだろうとヵんがえた。


 真紅郎はその男から少し離れた場所にいる収二郎と武知を見て、別段収二郎たちが今すぐにでも害されるような状況ではないことにホッとしつつも、何があるか分からないとして瘴気に犯されて狂っているその男を注意深く見る。


 しかし、それも長続きしない


「ぁ……、しまった!」


 門人の男たちが晴之丞を押さえ込んでいたが、遂にその均衡が崩れて瘴気に狂わされたその男はただ目の前の男を殺そうと比較的近くにいた収二郎に向けて刀を振り下ろそうとする。

 まさしく真紅郎が脳裏で見たビジョンそのままだった。


 しかし、だからといって呆けているわけにはいかない。

 押さえ込んでいた門人たちは体勢を崩して動けない。

 そして、何かあったときのための対処をしようと考えていた師範の麻田勘七もその人外の驚異的な速度に対応することが出来なかった。

 それは武知も同じである。

 武知は収二郎に向かって振り下ろされようとしている凶刃をただ見ることしか出来なかった。


 そしてとてつもない怪力で振り下ろされた凶刃は、その男の右腕を自身の怪力に任せてつかんだ真紅郎の手によって止められた。


「眠って貰うぞ」


 真紅郎が一言そう言うと、男が動き出そうとする前にその男の腹めがけて掌底をを打ち込んだ。


 真紅郎が道場に入った頃から高めていた自らの霊力をその掌底に込めて打ち込んだことでその男に間と纏わりついていた瘴気を霧散させた。

 真紅郎の霊力はついでとばかりに道場中の薄い瘴気も祓ってしまった。


 後に残ったのはいつの間にかその場に現れていた真紅郎とその足下に倒れている晴之丞という上士だけだった。

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