壱5

「そうか、お母上が亡くなられてもうすぐ一年になるのか」

「そうちゃ。

そいで乙女ねえやんが今の養母上の前の嫁ぎ先に行ってみようて言っちょったがぜよ」


 龍馬に無理矢理のようにその麻田様という道場に連れて行かれようとしていた真紅郎は、途中で龍馬の知り合いの饅頭屋に立ち寄っていた。

 目的地では収二郎もいるはずだというのにこうして龍馬がこうして真紅郎と一緒に饅頭屋の店先でゆっくりと茶を飲んでいるのは龍馬もわざわざ道場に行こうとは思っていないからだろう。

 そんな龍馬の心境も察してこうして真紅郎は龍馬と一緒に饅頭をつまみながら茶を飲んでゆっくりとした時間を過ごしていた。


「へえ、乙女さんが言っているからといっても龍馬も随分と楽しみにしているみたいだな」

「そりゃ、わしはこれでも質屋才谷屋の分家の生まれじゃき。

昔から商売を知っちゅうわしにとっては廻船問屋というのも興味があるき。

そうじゃ、真紅郎も来るとええがじゃ。

乙女ねえやんも別に気にせんちゃ」


 そうやって龍馬の話を聞いていて真紅郎も廻船問屋というのには少し興味があった。

 真紅郎がこの前種崎に行ったのもそういう気分だったからというのもあるが、そもそも真紅郎は海や船というのが好きだった。

 単純に商品が川を通じて、そして海を通じて日本中へと向かっていく様子を考えるだけでも面白いというのはあるが、真紅郎にとって海とは開放感に満ちていて目の前に広がる大海原を海が続く限りどこへでも行ける船というのは宇和島で話に聞いていたときから非常に興味があったのだ。


 真紅郎の宇和島での不自由な暮らし向きから考えると海や船に憧れるのもしょうがないようなものがあるかもしれないが。


「まあ、俺も乙女さんとは知らない仲ではないからいいかもしれないが。

じゃあ、俺も行こうかな。

海とか船には俺も興味がある」

「そうか!

いや、真紅郎と一緒に種崎へ行くのが楽しみぜよ」


 真紅郎は母を亡くした三年前から宮司の元で潮江天満宮の神主として厄介になっており、高知でも豪商として名の知られている才谷屋は潮江天満宮の氏子としていろいろとお世話になっているという関係なのである。

 そして、真紅郎自身も宮司の仕事として高知城下を回っている時にその才谷屋の主人とも随分と前から知り合いではある。

 潮江天満宮の神主としての関係ならばこの高知にはいくらでもいるにはいるのだが、才谷屋に関しては前にお祓いと称していたずら程度に才谷屋の者たちに悪さをしていた妖魔がいて、その件でどうにか悪霊を祓ってくれないかと言う才谷屋の主人からの願いにより宮司が妖魔を退治しに行くということがあったのである。

 その際にはもちろん真紅郎も宮司と一緒に店に来ていたのだが宮司が妖魔が弱いということもあって、妖魔退治の実戦経験を積むということもあって真紅郎にその妖魔を退治するようにと言ったのである。

 それで宮司や才谷屋の者たちが見守るなかで見事退治して、以後その店で変事が起こることもなく無事悪霊は祓われたのだということで宮司はもちろん真紅郎も才谷屋の主人には感謝されることとなったのである。


 その縁で真紅郎はその才谷屋とはよくしてもらっており、そんな縁のある才谷屋に何度かお邪魔しているなかで真紅郎は龍馬と出会い、そこから下士の坂本家の人たちとも面識があるのだ。


「何をしちゅう、龍馬!」


 真紅郎と龍馬が当初の予定も忘れて饅頭屋の店先でゆっくりと話し合っているところでそんんあ怒鳴り声が聞こえた。

 二人が声の聞こえた方へと振り向くと、そこには平井収二郎とその他にも真紅郎も知っている顔が数人いた。


「あ、完全に忘れちょったぜよ……」


 龍馬の口にした言葉がもの悲しく饅頭屋の店先にしみる。

 真紅郎もそういえば龍馬と一緒に収二郎の言っている道場へ行くつもりだったなと思い出した。

 そうやって二人がボンヤリと考えているうちにも収二郎たちは真紅郎たちのもとへと肩を怒らせて歩いてくる。


「ちょ、そう怒るなや収二郎」

「龍馬、わしと一緒に道場に行くのでなかったがか。」


 収二郎は早く剣の稽古をしたいと考えてか少し興奮気味に龍馬に対してまくし立てているが、大して龍馬は自分がこの事をすっかり忘れていたことを笑ってごまかそうとしている。

 そんな龍馬の態度がまた収二郎を苛立たせて収二郎が更に龍馬に対してまくし立てようとしているところで真紅郎が龍馬の助けに入る。


「諦めろ、収二郎。

お前だって龍馬がこんなんだってのを知った上で誘ったんだろう。

気にしたらお終いだぞ」

「ふう、確かに真紅郎の言うとおりぜよ」

「ちょっ!

真紅郎、こんなんとはなんちゃこんなんとは!

わしを助けてくれるのではないがか」


 そんなコントまがいな話をしていて真紅郎は苦笑を浮かべており、頭が冷えた収二郎は真紅郎の方を改めて見た。


「龍馬がいるのはええがどうしておまんがここのいるがか、真紅郎」

「まあ、龍馬が備前屋の大福をおごるからどうしても一緒についてきてくれって言うものでな」

「真紅郎、おまん!

大福をおごるなどと一度も言うてはないがやないか!」


 何とはなしに本人の了承もなくさらっと約束を取りつけた真紅郎だったが、龍馬の事など知らないとばかりに放っておきながら収二郎と話し合う。


「なるほど。

ほれやったら真紅郎も一緒に来ると言うがか」

「ああ、まあ、見学程度だけどな」


 真紅郎は武家というわけではなくただ単に名字帯刀を許された神主であり、もちろん収二郎は龍馬と同じく真紅郎のことを知っているのだが、剣の稽古を見に一緒に道場までついて行くのだと言う真紅郎に対して別段文句があるわけでもないためついてきたいならついてくればいいとでも言うように真紅郎から目をそらした。


 そして、真紅郎はいいとして問題は龍馬だった。


「んなっ!

真紅郎、おまんわしを裏切るがか」

「裏切ってないさ。

さっきまで忘れてはいたけど最初に俺も一緒に行くと言ったじゃないか。

というか、そもそも俺を誘ったのは龍馬だろうが」


 まさしく裏切られたとでも言うようなそんな顔をしていた龍馬だったが、いつの間にか後ろにいた収二郎に腕を捕まれてついには連行されることとなった。

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