壱3
大蛇の遺物を屋敷内に運び終わった後、真紅郎は宮司と一緒に昼食を食べるために宮司の屋敷へというわけではなく潮江天満宮の境内へと向かって行く。
真紅郎が向かった場所は、神社の西隣にある宮司の屋敷と神社の本殿のある敷地との間にある筆山の泉から鏡川へと流れ込んでいる小川である。
春の陽気に包まれてこの土佐も随分と暖かくなってきた。
しかし、それでもまだ三月らしく夜は冬のように冷え込むこともさほど珍しくない。
気温はともかく水温ともなるとまだまだ冷え切っているのだ。
そんな中を真紅郎は筆山の泉から湧き出た冷え切るような冷たさの水の中を躊躇いもなく歩いていき、そのまま手に持っていた桶に水を汲んで一気に身体へとかけ流した。
「く、外はだんだん暖かくなってきてるといってもやはりここの水はそうもいかないな」
真紅郎はいつものように水の冷たさで身体の感覚がなくなっていくような感覚を覚えつつも、その水の冷たさとは違って水をかけるごとに身体中に走る鋭い痛みを感じている。
まるで火傷を負ったあとすぐに水で冷やした時のようなそんな痛みを覚えつつも、そんな身体が癒えているサインを認めてそのまま冷たすぎる水で沐浴を続ける。
真紅郎は、膨大な霊力を持っているためか普通の妖祓いよりも断然瘴気に弱い体をしている。
妖祓いであれば瘴気の塊である妖魔を退治するたびに大小はあれど瘴気を浴びることなどそんなに珍しくもない。
しかし、瘴気に弱い真紅郎は常に小規模の瘴気であっても何かしら体に影響が出てしまう。
むしろ大規模な瘴気ならそれこそ今回のように火傷のようで火傷ではないそんな怪我というか黒い痣のようなものを負ってしまうのだ。
そして、毎度そんな痣を受けてしまう真紅郎に対して宮司が示したのがこのように筆山の清らかな泉から湧いた水をもって清めるということだった。
本当ならばまだ水温のぬるい手水舎の水でも同じように瘴気に侵された真紅郎の体を癒すことはできるのだが、今は昼で少なからず参拝者が境内にいるのでそんな人々の面前で裸になることもできなかったのでこうしてこの小川で清めているのである。
さっきまで包帯を巻いていた特に上半身に酷い痣が広がっていたものの、それもこの小川の水をかぶることによって随分その痣の色も薄くなっていっているのが真紅郎の目にもよく分かる。
しかし、そんな中で真紅郎の顔は不機嫌そうに歪められていた。
「クソ、やっぱり今回はそう簡単に治らないか」
真紅郎は宮司に言われて妖魔退治やそれに関係する仕事にかかわった際は、それが終わった後で必ずこうして身体を清めるように言われているのだが、それは重症の時から何も異常が見られないときでさえも行うようにしているのである。
真紅郎はただでさえ治癒力が高く、瘴気に関してはどうしても直りが遅くなってしまうのだが、それでもある程度の瘴気の痣であれば一晩経てば何の問題もないように元に戻っているのだ。
しかし、今回は一晩経って薄くなったにしてもこうして水で洗い清めていても治りが普通よりも遅いのである。
「やっぱり流石は上級というところか。
俺の治癒力をもってしてもなかなか治らないほどの瘴気を纏ってるとはな」
初めての上級クラスの妖魔との一騎打ちを思い出し、つい戦いの高揚を抑えきれず再びそんな相手とやり合えないだろうかと思ってしまったが、さっき宮司に怒られたばかりであったと思い直すのだった。
「なるほど、種崎にそのような妖魔が現れるとは」
宮司はそう口にしながら真紅郎が持って帰ってきた大蛇の遺物が置いてある裏のある方へとなんとはなしに顔を向けていた。
真紅郎が瘴気の穢れから体を清めた後に、彼は宮司と一緒に屋敷内で昼食を食べるのだった。
宮司は土佐藩に仕えているわけでもないためもちろん俸禄なども一切もらってはいないが、それでも高知城下でも非常に親しまれているこの潮江天満宮だけあって決して裕福と言えるほどに余裕はないにしてもわびしい暮らしをしているわけでもない。
今もこうして真紅郎は昼食を食べているが、肉や魚を腹一杯食べられるというわけでもないにしても一日に三食も食べさせてもらっているのは感謝している。
宇和島城内ではともかく宇和島を離れて土佐高知で暮らしていた頃とは比べられないほどには良い暮らしをしているのだ。
「ああ、宮司を見ただろうがあの大蛇は上級にも届くほどに危険な妖魔だった。
村の人にもその姿が見えたというのだからな」
食後、茶を飲みながら二人して真剣な顔をして話し合っているのは真紅郎が昨夜戦った大蛇の妖魔に関してである。
「真紅郎殿も知っての通り、人々の感情によって影響される瘴気やそれから生じる妖魔はその性質上江戸や京などと言うように人の集まるような場所で多く見られます。
そして、上級と言われるほどに強大な妖魔も同じく人の多い江戸の近くなどで特に現れると聞いたことがあります。
しかし、先の大蛇の妖魔はこの土佐高知に現れた」
「ああ、上級の妖魔なんてものは決してそう簡単に現れるような存在ではないからな」
一応、昨夜上級とみられる強大な大蛇の妖魔を難なく倒した真紅郎であったが、その心は不安に彩られていた。
人の多い江戸でさえ上級の妖魔の存在はそうそう見られないというのに、いくら四国でも賑わっている高知とは言ってもこの田舎の土佐に現れたのだ。
高知にも上級の妖魔が現れないなどと言い切ることなど出来ないが、真紅郎の勘は何となくいやな感じを感じていた。
「どうしたんですか、真紅郎殿」
「いや、何というか……
高知には上級の妖魔が現れないなどと言い切ることが出来ないのは分かっているけど、何となく嫌な感じがしてな」
「真紅郎殿の勘というやつですか……それはまた。
縁起でもないことを言わないでください」
「そこまで言うことないだろう」
宮司の言葉に少しふてくされる真紅郎だったが、次の言葉で何も言えなくなる。
「今回の大蛇に関してもそうでしょう。
昨日の朝いきなり今日は種崎の方まで行ってくるなどと言って。
真紅郎殿の勘は結局はいつだって良くも悪くも変な騒動に巻き込まれてしまっているではないですか」
「うっ……」
いつだってそうだった。
真紅郎がどこかへ行くと何かしらの騒動に巻き込まれて帰ってくるのだ。
例えば、知り合いの商家に何となく顔を出しに行くと浪人くずれの盗賊がその店に押し入っていたり、何となく久しぶりに豊信の元を訪れれば珍しい南蛮の菓子を手に入れていてご相伴に預かったり、そして何となく高知の外に出れば偶然普通の妖祓いではどうにも出来ないような妖魔が出現したりと、真紅郎が何となくで行った先には良いことも悪いこともとにかく何かがあるのだ。
今回の大蛇の件にしたって朝起きたら何となく海が見たくなってわざわざ船で一時間ほどかけて種崎へ向かったのだ。
それで長浜屋から大蛇退治の件を聞いて真紅郎もああ、やっぱりと思ったりして、最初からこうなる予感というのは何となくしていたのだ。
そんな真紅郎がまた“何となく”嫌な感じがするというのだ。
この高知に昨夜の大蛇と同じかもしくはそれ以上の厄介な騒動が巻き起こるであろう事は真紅郎が嫌な感じがすると言った時点で決まったも同然だった。
そんな真紅郎をよく知っているからこそ宮司の顔が何とも言えないほど嫌そうにゆがめられるのも仕方がないというものだろう。
「まあ、真紅郎殿の勘に関しては……どうでも良くなどありませんが、まあ今考えたところでなんとかなるわけでもありませんね。
それより大蛇の遺物は一体どうするのですか」
「そうだな。
まあ、遺物はいつものように宿毛屋に売るのが無難だろうけど、刀を作ってもらおうと思ってな。
あれだけの代物だ。
きっと今持っている刀よりも立派なものが出来るだろうよ」
真紅郎は昨夜随分と荒い使い方をしてしまった自分の刀を慈しむようになでる。
「なるほど、遺物を素材にした呪具ですか。
見たことはありませんが江戸や京にはそのような武器を使っている一流の妖祓いがいるのだとか」
「そういうことだ。
今のこの刀も呪を籠められた呪具であるがどうしても心許なくてな。
実際に俺の刀は膨大な霊力に絶えられずに何度も壊れてしまっているのだし」
妖祓いは、基本的に己の持つ霊力を使って戦う。
一般的に実体を持たない妖魔に対しては霊力を籠めた刀などを使ったり、珍しいところで霊力を操るのに長けた者は体に霊力を纏って肉弾戦をする者もいる。
しかし、一般的にはただの刀を使うのでなく呪を籠められた刀を使う者が多く、更に呪の籠められた数珠や符を使う者もいる。
こういった呪が籠められた呪具は、並み以下の霊力でも妖魔を退治できるようになるという優れものである。
そして、真紅郎はそもそも鋼の刀を使った呪具ではなく、最初から大蛇の力が籠められた遺物を素材に造った刀の呪具を得ようと考えていたのである。
「確かにあれだけの大きさと質の良さから見て良い呪具が出来るとは思いますが、土佐にあれだけのものを扱えるような者はいますかね」
「……それが問題なんだよな」
どうしても京や江戸の者に頼らざるを得ないだろうなと思いつつも、後幾ばくか使ったら壊れそうな自分の刀を見ながら真紅郎はため息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます