5

 真紅郎と豊信、そして樺山は先ほどまでの真紅郎が眠っていた部屋から場所を移して話し合っていた。


 潮江天満宮のすぐ側に建てられた宮司である樺山の屋敷内において、真紅郎は血に濡れた着物を着るわけにもいかず宮司から屋敷内にある着物を借り受けてその場にいた。

 最初に話を始めようとした真紅郎であったが、さすがに起きてからまだ何も食べていないとあっては腹も空いていたのでまず最初に宮司の屋敷にて朝食を摂ることとなった。

 そして食後、その部屋の中で豊信は徳利を傍らに置いて杯を手に話を聞いていた。

 その様子を見て真紅郎は苦笑いを浮かべるほかなかった。


 徳利は徳利でも目の前の豊信が傍らに置いているのは一升徳利である。

 そして、両者の話が終わる中でその徳利の中身の酒は尽きかけていた。


「土佐の者は酒をよく飲むとは聞いてはいたがここまでとは思わなかったな」

「いや、真紅郎殿。

これは豊信様が普通でないのであって土佐の者皆がこのように酒を飲むわけではございません」

「……そうだよな。

俺もこの土佐で数年過ごしてきてこんなに酒を飲む者は初めて見た。

豊信が土佐一の酒飲みであると言われても不思議に思わんだろうな」


 そうやって真紅郎が話している間にも豊信は杯の酒をどんどん干していき、そして遂に朝早いというのに側にあった一升徳利を飲み干してしまった。

 それでもまだ足りないのか豊信は宮司の屋敷内の女中に次の徳利を持ってくるようにと言っていたのだが。


 そうして両者の話も豊信の酒に関しても一段落ついた頃にまず最初に真紅郎が切り出した。


 真紅郎は体ごと豊信と宮司に向き直りしっかりと二人の目を見て頭を下げた。


「母上を埋葬していただきお礼を申し上げる」


 そう言う真紅郎の目に涙はない。

 もうすでに母との別れは朝のうちに済ませたのだ。

 それに幾ら普通ではないとは言えこれでも武家の男子なのだ。

 母親が死んだくらいでメソメソして他人に泣き顔など見せるわけにはいかなかった。


 そして、再度頭を下げて自分を助けてくれたことの礼を言う。


「更に、この身を救っていただいたこと重ね重ねお礼申し上げる」


 まだ小さくとも武士である。

 母を失ったばかりなれども礼儀正しいこの少年の姿を見て目の前の二人はそう思った。


「構わぬ。

そもそも儂は面白半分で噂の元へと向かったのじゃ。

儂にいやいやついてきた宮司は別じゃが儂に対しては礼など無用じゃ」

「そうですね。

いやいやは余計ですが私も別にお礼を言われるほどのものではありませんが、まあ、お母上の件に関しては素直にお礼を受け取っておきましょう」


 真紅郎はそう言った宮司の言葉に頷くも母をきちんと埋葬してくれた豊信たちに対して感謝の思いで一杯だった。

 よく聞けばただ埋葬したのではなく、表に知られてはならない自分たちのことを予想して宮司の知り合いである家の近くにあった寺でしっかりと埋葬してくれたのだという。

 今は言葉だけで何のお礼も出来ないが後にしっかりとお礼をしようと真紅郎は心に誓った。


「うむ、後で母の眠る寺を教えるゆえしっかりとその寺にも挨拶に行くのじゃな。

さて、話は変わるが真紅郎はこの高知で宇和島藩の手の者に襲われたというのは事実なのじゃな」

「ああ、俺はそのように聞いた。

今回の件は藩主伊達宗紀が命じたことなのだと。

そして、その存在を他に知られるわけにはいかないからか特に俺を殺すようにと命を帯びていたようだ」


 真紅郎はつい数時間前のことを思い出しながらそう口にする。

 母は戸を開けた瞬間に刺客の一人に一閃、すぐに命を落としてしまった。

 しかし、奴らの言うことが正しければ暗殺の命を下した藩主は、その暗殺目標は真紅郎自身であって母親が生きていれば連れて帰ってこいと言うような命令だったのだ。

 そのことを思い出すと母は自分のせいで死んだのだということを理解させられるかのようで真紅郎は心が苦しくなってくる。


 そんな悲痛な表情をしている真紅郎を見て今彼が何を思っているのか二人は察した。

 しかし、こればかりはどんな言葉をかけようが慰めにもならないことを知っているのだ。

 真紅郎がこの暗殺の原因なのは真紅郎の話を聞いている中で、真紅郎たちの宇和島での状況を聞いていればおおよそ今回の件が真紅郎のせいだろうということはよく考えずとも分かることだ。


 まだ小さな真紅郎だがこの時代において12歳というのは元服も済ませる頃でもあり、つまりはもう立派な武家の男子なのである。

 この件は今後どうしようとも真紅郎自身が解決すべきことなのだ。


 しかし、それでも真紅郎の悲痛な様子を見ていられなかった宮司は無理矢理に話を変える。


「真紅郎殿は半妖のようであるがその辺りはどうなのだろうか」

「半妖も何も俺は今まで妖魔などという存在についてもよく知らなかったのだ。

どうもなにも知るわけがない。

まさかあの妖怪の類いが見える者が他にもいたということも分からなかったのだからな」


 真紅郎は物心ついた頃から妖怪の類いが見えた。

 最初にその存在を母に尋ねたときにどうやらその母にも見えなかったらしくそれ以後母は彼に対して自分以外の人の前でその妖怪の類いについては話さないようにと念を押されていたのだ。


 奇しくも、妖魔が見えると言うことで幼少の頃から現在に至るまで苦労してきた豊信とは違って、真紅郎は今までその存在に対して完全に無視してきたのである。

 とは言えこれも母がこれ以上真紅郎の異常さを藩内にさらすことによって更に環境が悪化することを心配していた母の思いによるのだから結局は豊信と変わらず周囲の者たちに気味悪がられたというのは変わらないのだ。


 それでも、真紅郎は豊信の話を聞いて再度今はもういない母に感謝した。


「とは言え、二人の話を聞いていてこの世には妖怪いや、妖魔という人ならざる存在がいることは理解した。

しかし、瘴気や瘴気溜まりとは一体何なのだ」


 真紅郎は今まで妖魔に関しては関わってもいいことはないだろうと思っていたが、自分の身に関わるであろうことと考えれば今まで通り無視するわけにもいかなかった。

 そして、このような件に関しては宮司の方がよく知っているということもあって豊信はその辺の説明を宮司に任せた。

 実際、豊信自身もその宮司からこれらのことについて教えてもらっていたのだ。


「まず、瘴気とは一般に憎悪や恐怖と言った人間の負の感情によって生じるものだと言われています。

そして、瘴気が妖魔を生み出す原因であり、さらには人を狂わせ疫病の原因にもなり得るとも聞いています」

「まあ、宮司は言っても江戸や京から離れた土佐の宮司じゃ。

この者の言うことがすべて正しいというわけではないからの」

「まあ、それも間違いではないですね」


 宮司は豊信のその言葉に苦笑を浮かべながらも真紅郎に対して説明を続ける。


「さて、瘴気溜まりとは言葉として瘴気の濃い場所のことを言いますが、正直それ以上のことは私には分かりません。

ただし、その巨大な瘴気溜まりから生じた妖魔は非常に強大でまるで天災のようだと言われています。

これに関しても何度も生じるわけではないので人伝に聞いただけなのですが」

「そうか。

それで宮司は俺のことを半妖かも知れないと言っていたが、その半妖とは一体何なのだ」

「この半妖というのも人伝に聞いたことなので正直よく分かりませんが、ただ半妖というのは尋常ならざる妖魔の力を操る者だと聞いています。

それゆえ半妖ならば瘴気を内包しているかと思ったのですが……」

「俺の場合は瘴気どころか膨大な霊力を宿しているだけだと言うことらしいな」


 豊信と宮司の話でそれなりに話を聞いていて、更に妖魔などに関して詳しい真紅郎だったがそれでも自分の存在に関してはよく分からないという事だった。


「宮司以外にこの土佐で妖魔などに詳しい者はいるのか?」

「いや、別に宮司がこの土佐で一番の物知りというわけでもないがそれでも少なくともこの高知には今の話以上のことを知る者は他にはおらぬであろうな。

いるとして江戸かはたまた京の都くらいじゃろうの」


 今はまだよく分からないがそれでも今日ようやく今まで自分が虐げられてきた理由が少しでも分かったのだ。

 これ以上のことはいずれ江戸や京へと行って知ろうと真紅郎は心に決めるのだった。

 自分の正体を知ること母がなぜ死ななければならなかったのかということにも繋がるのだから。


「それで、真紅郎は他にどのようなことが出来るのじゃ。

治癒力が尋常ではないことと何やら火を操ることはあの場でうかがい知ることは出来たのじゃがの」

「火?

確かに治癒力が高いことと怪力は大人の男以上だというのは事実だが火など使った覚えはないぞ」


 何やら興味津々に真紅郎に尋ねる豊信を見てようやく真に対等に話し合える友のような存在を見つけたことに親代わりのような兄代わりのような宮司は笑みを浮かべるがまだ話は終わっていないのだ。


「さて、豊信様。

未だ真紅郎殿の今後のことについては決めておりませぬぞ」

「今後じゃと?

このまま宮司がこの屋敷においてやればよいのではないか。

未だ真紅郎は妖魔や妖祓いのことなど知らぬのじゃから宮司が教えてやれば良い。

もちろん、宮司さえ良ければじゃがの」


 なるほどと、宮司は頷いた。

 真紅郎がただの武家の男子であれば違ったであろうが彼は仮にも宇和島伊達家の縁者なのだ。

 真紅郎の話を聞いた以上同じく妖魔が見える者として大人しく宇和島に返すなどということは豊信にも宮司にも無理だった。


「と言うことだが、どうであろうか真紅郎殿」

「そうですね。

俺も母上を失い、既に二人以外に頼れる者はいないのは事実。

よろしくお願いいたします、宮司殿」


 その様子を見ていた豊信は嬉しそうにしていたが、これは潮江天満宮のすぐ近くに南邸山内家の屋敷があるのも無関係ではないだろう。


「さて、では真紅郎もこのまま伊達の姓を名乗るわけにもいくまい。

如何するのじゃ」

「それもそうだな。

では、母の姓を借りて

鷹家真紅郎

とでも名乗ろうか」


 今までは名字を言わずにただ単に真紅郎だと名前を言いさえすれば良かったのだがこれからは違う。

 仮にも土佐藩の南邸山内家の庇護の元この高知で生きていくのだ。

 土佐藩の方にも話を通す際に伊達の姓など名乗れやしないのだ。




 こうして、伊達真紅郎改め鷹家真紅郎は土佐国高知で生きていくことになった。

 そして、この後この真紅郎と豊信いや、山内容堂の出会いは宇和島藩はもちろん薩摩藩や長州藩なども巻き込んで幕末の動乱へと影響を及ぼすこととなる。

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