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豊信が高知の北の久万川の近くの村で何やら恐ろしげな音を聞いたのだという話を聞いたのは、夜もすっかり更けた頃高知の城下町でいつものように身分を隠して歩いていたところだった。
高知の城下町の夜は郊外の田畑の多い村落よりも随分と明るい。
酒を飲んだり女を買ったりというように歓楽街は今この時間であっても多くの人々により賑わっている。
「なるほどの。
恐ろしげな声か……。
少し興味があるの」
「お待ちください豊信様、無闇に危険な場所へ行くのはお止めください」
恐ろしげな声という面白そうな噂を聞いて興味を持った豊信だったが、それを潮江天満宮の宮司をしている樺山は止めた。
「何を言う、宮司。
もしやしたら妖魔の類いが人を襲っているやも知れぬのじゃぞ。
そうでなくとも賊が現れたとなればその場に行って退治すべきなどとは言わぬがその存在を確認すべきではないか。
それに、そもそもお前が心配する必要もなく儂が死んだとて誰も悲しむものはおるまい。
むしろ弟を含め喜ぶものが多いであろうな」
それを聞いた宮司はこの目の前の山内豊信という人物を哀れむ。
山内豊信はその名の通りこの土佐において藩主たる山内家の一門である。
しかし、その血筋は御連枝の中でも最下級の身分であり、藩内でも特に重要視されているわけでもない。
更に、豊信は小さな頃から人には見えない何かが見えてしまっていたのである。
小さな頃は分別がつかずに周囲のものたちの目の前で何度となく見えない何かが見えると言ってしまったのである。
そのため豊信が十になった頃には藩内では浮いた存在となってしまったのである。
今では土佐藩の国許の上層部のものたちからは気味悪がられ、更に仮にも阿呆が南邸山内家の当主になられては困ると弟に触れ回った家臣たちにより父以外の家族のものたちからは冷たい視線を向けられているのが今の豊信なのである。
昔の無邪気な自分を責め立てたい豊信であったが、そんな昔の自分を褒め称えたいと思っている点もある。
まず一つに、誰にも見えない何かに対する興味は様々な未知の事柄についてに関しても興味を持つに至った。
それは、土佐藩のことに関してでもあるし、そして海の外の列強諸国についてのことでもあった。
こうしたことで豊信は仮にも藩主の分家の力を借りてこの土佐にいながらまるで江戸や長崎にいるのと同じくらいに知識を得ることができたのである。
そしてもう一つに、潮江天満宮の宮司樺山廣幸という人物に出会えたことである。
南邸山内家から鏡川を挟んですぐのところにある潮江天満宮にやってきた豊信が宮司に出会うこととなるのは決して偶然などではなかっただろう。
宮司は、今まで豊信が見てきた人には見えない何かというのが妖魔という人ならざる化け物だということを教えてくれたのである。
こうして豊信は今から十年近く前に出会った宮司を最も信頼の置ける人物としてよく潮江天満宮に訪れるようになったのである。
そしてそんな妖魔などを知る宮司を通して豊信は裏の世界についてを学んでいったのである。
今晩は、たまたま宮司を誘って夜の城下町を散策している途中だったのである。
渋る宮司を連れて噂の妖魔らしきものがいるかも知れないという場所にやってきた豊信が見たのは想像を絶する光景だった。
その地は、周囲の草木に火が燃え移りその場所を静かに照らしている。
それでも満月というわけではなく提灯の明かりがないとその詳細が分からないため豊信が手に持つ提灯を翳してみるとそこにあったのはまさしく地獄絵図とも言える光景だった。
それなりに時間が経ったのであろうその場所には近づけば微かに分かるほどの血臭がした。
そして、地面に目を向ければ千切れた腕や足などがいくつか散乱していた。
五体満足な人の遺体はなぜか胴体に心の臓が潰れる程度の風穴が開いており、黒い物体は人の形をしていた。
「宮司、これは何じゃ。
これが妖魔の仕業だとでも言うのか」
「いえ、これを見れば確かにそう思わずにはいられませんがこの辺りには瘴気が感じられません。
ましてや大きな瘴気溜まりが生じた訳でもないでしょう。
恐らくは彼の者のせいかと」
そう言って宮司が手に持つ提灯を捧げ示した場所には、崩れかかったあばら屋の前に倒れ込んでいる血に濡れた十くらいの少年の姿だった。
よく見れば家の中には同じく血まみれの状態で女性が倒れていた。
「宮司、まだこの少年は息があるようじゃぞ」
「……駄目ですね。
この女性はすでに亡くなっているようです。
もしかするとこの少年の母親でしょうか」
「恐らくの」
恐らく母親は地面に倒れている何人かの賊か何かに襲われたのだろうと思った。
しかし豊信は少年を不憫に思いはするがそこまでだ。
この時勢、賊に襲われて命を落とすことなど別段珍しくはないのだ。
しかし、豊信は賊らしき者たちの死因とそんな中で生きている少年が気になった。
そうやって考えている中で豊信は訝しげに地面に倒れている少年を見ていた。
「どうしたのじゃ、宮司」
「……見てください、豊信様。
この少年、返り血でも浴びたのかとも思いましたがどうやら大怪我を負っていたようです。
しかし、その怪我ももうすでに治り始めているようですが」
「何?」
豊信が少年の元に近寄って提灯の明かりを少年に近づけてしかと見てみれば確かに見て分かるほどの速さで傷口が閉じていっているのがよく分かる。
一体どういうことなのかと目の前の宮司に対して視線で問うてみるとしばらく考えた後に言葉にした。
「半妖というものを聞いたことがあります。
何でも瘴気に触れた者の中には妖魔としての力が宿り半分妖魔になってしまうのだとか」
「半分妖魔か……
なるほど、この光景を見ればその話にも説得力があるの」
豊信は周囲のまさに地獄のような風景を見ながら答えた。
「では、宮司の言うことが正しいのならもしやするとこの者はまるで妖魔のように暴れ回ると言うことではないか」
「確かにそうかも知れませんがどうもそうでもないような気がします。
この少年は確かに強大な力を持っておりますがどうにも普通の妖祓いのように霊力を持ってはいても瘴気は持っていないようです。
瘴気を帯びていないこの少年が悪しき存在であるとは到底思えません」
「そうか。
確かに危険かも知れぬがこの少年が悪しき者でないというのならこのまま放っておくことは出来ぬの。
分かった。
宮司、この少年はお主が潮江天満宮で預かるのじゃ。
少なからず儂と同じように妖魔の類いが見える者であろう。
この者の母もすでに亡いようだしの」
「分かりました。
それでは……ん?」
話が決まったところでとりあえず少年を抱きかかえようとしたところで宮司の目に少年の脇差しが目にとまった。
気になってその脇差しを持っていた提灯を近づけて確かめてみると宮司のその顔は驚愕に染まった。
そして、そんな宮司の様子を逃す豊信ではなかった。
「如何したのじゃ、宮司」
「……豊信様、これを」
豊信が宮司に少年の脇差しを渡され、宮司と同じく近くでよく見てみると豊信の顔もまた驚愕に染まった。
「宇和島笹……。
まさか土佐のこのような場所でこの家紋を見るとは思わなんだ」
「ええ。
それにこの賊らしき者たちもただの賊ではないかも知れませんな」
豊信は宮司に対して神妙に頷いた。
そして、二人は人の遺体らしきものを地面に埋めると、その後に女性の遺体を丁重にその場に埋めて、くだんの少年を連れて豊信も一緒に潮江天満宮へと帰るのだった。
二人と少年が潮江天満宮に着いたのは日がとっくに変わった後だった。
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