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真紅郎が膝立ちになって警戒していた障子から姿を現したのは豪奢というわけではないけれども見て分かるほどに質のいい布地の着物を着ている十代後半の男性と、白衣に濃い紫の袴という神主らしい服装をした四十代ほどの男性が若い男性の後ろからやってきた。
彼らが真紅郎に対して敵意を向けるわけでもないことから、ここでようやくこの場は宇和島藩とは特に関係のない場所であって、目の前の人たちはまさしく自分を助けてくれた人たちなのだろうと気がついた。
つい最近父親から命を狙われて母親を殺されたということもあって最大限に警戒心を抱いていた真紅郎だったが、ようやくその警戒心を解いた。
とはいえ、見知らぬ他人に対する最低限の警戒心を解くほどに気が緩んでいるわけではないのだが。
「ほお、ようやく目を覚まされたか。
お主を見つけてくれたこの御仁に感謝なされよ」
どこかの神主と思しき人物が真紅郎を前にそう話しかけたが、真紅郎は彼の態度に対して驚かざるを得なかった。
(俺のこの赤い髪は普通の人からしたら異形そのものだ。
表情が分かりづらい者であっても多少はこの髪に関して何かしら思うところがあるというのに)
今まで真紅郎の赤い髪を見て何の感情も抱かなかった者はいない。
母親に関しては自分の赤い髪を綺麗だと言って好いてくれていたものの、それ以外のこの髪を見た者は全員嫌悪や恐怖と言った負の感情を抱き、それを分かりやすく顔に出していたのだ。
宇和島を脱出してからこの土佐で暮らすまでの間には、髪を白髪染めと同じように黒く染めており、黒い染料が落ちないように雨の日でさえ注意していたのだ。
そのため、この高知で真紅郎を知っている者は真紅郎が赤い髪をしていると言うことを知っているのはいない。
しかし、目の前の神主は違う。
先ほど真紅郎が現状を確認するためにも身の回りのことを調べたときに、髪の毛が黒く染まっておらず、いつもの母親が綺麗だと言ってくれた鮮やかな赤色のままだったのだ。
刀で斬りつけられて血に染まった自分がきちんと怪我の手当てがされて、自分の衣服ではなく綺麗な衣服を着せられていることから恐らく意識のない中で身を清めてもらっていたようなのだ。
そんな中で真紅郎の赤い髪を見た神主の反応は異様に映った。
「あれだけの怪我をしたのだがあの治癒力じゃ。
朝にも目を覚ますだろうと思っていたがその通りとはの」
その上、同じように真紅郎の赤い髪を見ているはずである神主よりも地位が上らしい武家の男はまるで真紅郎との相手は神主に任せるというようにまるで興味を示していないような態度をしていた。
二人は部屋の中に入った後に、真紅郎が座っている布団とは離れた場所に腰を下ろした。
「感謝しろと言われても正直現状どうなっているのか俺にはよく分からない。
できればここがどこでどうしてこの場所にいるのか。
そして二人が誰なのかを知りたいのだが」
「そうじゃな。
儂としてもお前のことについて聞きたいことがあるゆえここまで来たのじゃからの」
お互い目の前の人物が何者か分からないという状況のため、この部屋にどこか緊迫感が生まれてしまう。
そんな二人の間を神主が取り持つ。
「そうですな。
それではこちらから自己紹介をば。
私はこの潮江天満宮を預かる宮司の樺山廣幸と申します。
そしてこの方は土佐山内家の御連枝たる南邸山内家の山内四郎右衛門豊信様にございます」
そうして宮司の樺山が恭しく紹介した山内豊信を見た真紅郎はもちろん驚きの感情もあったがどこか納得したのも否めなかった。
これでも真紅郎も宇和島藩藩主の息子なのだ。
普通の武家の息子として暮らしてきた訳ではなかったが、どこか自分と似ている部分があるような気がしていたのだ。
それで真紅郎の心を読んだわけではないだろうが豊信が彼の様子に疑問に思ったが、それを口にすることはなかった。
「なるほど、山内家の方でしたか。
何も知らず無礼を働いたことお許しください」
「よい、許す」
相手二人の自己紹介を終えて自分のことを話そうと思った時、正直に宇和島伊達家の者であるということを話すべきかどうかを真紅郎は迷ってしまう。
「さて、私たちのことは話しました。
できればお主のことを教えていただきたいのだが」
「まて、宮司。
ここは俺に任せてくれ」
その真紅郎の一瞬のためらいに気付いたであろう宮司は目の前の異様な赤い髪をした彼のことを知ろうとする。
今回、豊信の持ってきた面倒ごとはいろいろと普通ではなかった。
豊信から聞いた話だけでも彼の倒れていたという場所は異常な状態だ。
まさしく宮司自身にとって関係のある物事でもあるのだろうことは彼を目の前にすればよく分かった。
その上、彼自身が身につけていたものに関してもいろいろと問題のあるものだったのだ。
だからこそ宮司は彼の身元に関してはこの土佐山内家の系譜に連なる豊信に任せたのだった。
豊信が前に出て宮司へと人払いの視線を向けると、後ろへと下がった宮司はそれを分かったように小さく頷いた。
そんなやりとりを見て一体何なのかと不安に思っていた真紅郎だったが、前に出てきた豊信が手に布で包まれた何かを手にしているのにようやく気がついた。
そして、豊信が未だ布団の上に座っている真紅郎の前に座った後に手に持ったそれを真紅郎の前に広げた。
それを見た瞬間、真紅郎はその場で固まった。
「故あって儂が預かっておったが、これはお前のものに相違ないか」
自分が持っていた真紅郎の持ち物を彼の目の前にさらしてその表情を見た瞬間、やはり自分の考えは間違いではなかったのだろうと確信した。
真紅郎が目にしたそれは間違いなくいつも自分が身につけていた脇差しに違いなかった。
いつもであればそれを見知らぬものにさらされても別段気にすることはなかっただろう。
事実、いつも高知城下では武家の子としてその脇差しを身につけていたのだから今更他人に見られようが何も問題なかった。
しかし、目の前の山内豊信だけは違った。
彼ならばきっとその脇差しにある宇和島笹の家紋の意味に気付くであろうから。
「さて、改めてお前の身元を聞かせてもらおうか。
まあ、お前のその表情を見ればおおよその見当もつくというものじゃがな」
「……分かりました。
俺の名前は伊達真紅郎。
山内殿のお察しの通り宇和島伊達家の縁者いや、藩主宗紀の息子ということになります」
脇差しにある宇和島伊達家の家紋を山内豊信に見られた時点で真紅郎は自分が宇和島伊達家の縁者であることはバレていたのだ。
殺されるわけでも宇和島藩に送り返すでもない豊信をとりあえずは信用してみるのだった。
吹っ切れたような表情をしている真紅郎に対して宮司と豊信の二人はどこか驚いたような様子だった。
確かに二人は宇和島藩の縁者で何か訳あってこの土佐にいるのだろう程度には思っていたものの、まさか藩主の息子だとは思いもしなかったのだ。
「お、お待ちください。
宇和島藩には確かに若君がお二人おられますがそのお二人とも江戸の藩邸におられるのでは?」
「いや、俺は間違いなく藩主伊達宗紀の息子だ。
ただし生まれた頃から俺の存在は藩の外には隠されてきたのだがな」
それを言ったところさっきまで驚いていた二人はすっかり納得してしまった。
「なるほどの。
その容姿であればその存在を隠されるというのも当然というところか」
「しかし、真紅郎様の言うとおりなれば生まれた頃からと言うのは少し気になりますね」
真紅郎には宮司のその言葉の意味が少し気になったが、豊信のまるで自分自身を嘲るかのような言い方もまた印象に残った。
「宮司、俺は生まれはともかく今はもう浪人も同然の身分だ。
俺に対してへりくだる必要などない」
「なるほどの。
では儂に対しても慣れぬ敬語を使う必要はないぞ。
儂はお前のように藩主の息子などというわけでなく名ばかりの分家、ただの上級武士と言ったところじゃからの」
そう言われた真紅郎は少し驚いて豊信の方を見たがすぐに頷いた。
藩主の息子ながら信用できない人に囲まれて暮らしてきた真紅郎にとって人を嫌うことはあっても敬うことなど全くなかったため敬語は疲れていたのだ。
「では、お互いのことを知れたところであの場で何が起ったのかを話してもらおうか」
「そうだな。
俺もあの後何があったのかを詳しく聞きたかったから丁度いい」
年が近いこともあってか真紅郎と豊信の二人はどこか親近感のようなものを感じていた。
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