2

 伊達真紅郎。

 天保十五年に12歳となった武家の男子。


 彼は、天保四年伊予国宇和島藩の国許宇和島城において第7代藩主伊達宗紀と側室との間に生まれた。

 普通であれば彼は実質宇和島藩の次男として藩内の家老家の養子となるなり、はたまた他藩の養子として藩主となるようなそんな出自に生まれてきたはずだった。

 しかし、彼はそんな普通などという言葉で片付けられるほどの者ではなく、むしろ異常といえるようなそんな子供だった。


 生まれた瞬間は宇和島藩十万石の新たな若君の誕生に嬉しい悲鳴が城内に広がったがそれは一時のことでしかなく、生まれたその子がまるで燃えるような赤々とした赤髪を持つことで周囲の反応は一変した。

 まるで話しに聞くようなオランダ人などの海の外にいる人々のそれと似た日本人の黒髪とは異なる赤髪を持つことから藩主の側室だった真紅郎の母親は不貞をしたはずもないのにそれを疑われて城内の端の方に追いやられてしまった。


 そしてこのことを聞いた藩主宗紀も赤髪という異形の容姿をした真紅郎の存在を幕府や他藩に知られまいとして、乳母の一人もつけずに体裁上不貞をしたとして疑われていた母親とともに城内の誰も居ない場所へとその住まいを移された。


 幸いだったのは真紅郎の母親が彼のその普通ならざる容姿を厭うわけではなくむしろ我が子として愛したことだろう。

 子供ながらに自分の世話をしてくれる女中たちが自らの赤い髪の毛を気味悪がって嫌悪しているというのには気がついていた。

 それでも母親が何も気にした風などなく自分を愛してくれているのに対して少しやけになって真紅郎は一度母親になぜ赤い髪の自分を嫌わないのかと言うことを尋ねたことがあった。


『真紅郎殿のその太陽のような綺麗な髪はまさしくお天道様からいただいた大事なもの。誰がそんな綺麗な髪を嫌うことがありましょうか。

それに、母が子を嫌うなどということはこれからも決してありはしませぬ』


そのときの母親の慈愛に満ちた言葉と赤い色の自分の髪の毛をいや、自分の頭をなでてくれた温かな手の感触は真紅郎の心にも未だに残っている。


 母親は真紅郎の赤髪を愛してくれたがそれでも親子二人の世話をしている女中たちの嫌悪や真紅郎の父である藩主宗紀の嫌悪が無くなることはなかった。

 誰も見ている者の居ない親子二人の生活空間において、異形の容姿をした真紅郎とその異形を生んだ真紅郎の母親は藩主に嫌われているということもあって彼ら二人を虐げるということは正当化されていた。

 女中や藩主宗紀の腹心たちが親子の生活するその場で二人を虐げることは当然だった。

 それに、真紅郎が大人の男性以上の強大な怪力と尋常ならざる治癒力を持つことから周囲の者たちの嫌悪には恐怖までもが入り混じるようになり、真紅郎は影で鬼子と呼ばれるようになった。


 更に、親子二人に関わる女中や家臣たちが何かの不幸に合えば、迷信が信じられているこの時代においてその不幸はすべて親子二人のせいだとして徐々にいじめはエスカレートしていく。

 大人の男に出さえ殴られることがあっても母を除き黙認されていたが、ただでさえ城の外どころか城の一画から出ることを許されなかった真紅郎たちにとって逃げ場など無かった。


 そんな中で転機が訪れる。

 認知されていないとはいえ藩主の息子であるはずの真紅郎が毒を食らって倒れたのである。

 されど、そんな倒れた真紅郎を見て周囲の者たちは誰も助けようともせず、真紅郎の存在は藩主の命で関係者以外には決して知られてはならないということから誰も医者すら呼ばなかった。

 まるで、このまま死ぬのならばそのまま死んでくれと望んでいるかのように。


 藩主であり父である宗紀がここまでの態度を女中や家臣たちに望んでいたかと言えばそういうわけでは無いのだが、ここに至って宗紀が行動を起こすには遅かった。


 幸い真紅郎は皆から更に嫌悪・恐怖されるようになった原因である驚異的な治癒力によって毒に犯されながらも生き延びることとなった。

 しかし、この件が真紅郎の存在を消し去ってしまいたいと思った藩主宗紀の命により行われたことだと思い込んだ真紅郎の母親は、このままこの宇和島にいたのではいつか真紅郎とそして自分は藩主宗紀や周囲の者たちにいつの間にか殺されてしまうだろうと考え、生き延びる道は他に無いとして宇和島の脱出を企んだ。


 そして真紅郎の母親はいつもは緊迫していた周囲が毒殺未遂により真紅郎が寝込んだことで気が緩んでいたところを狙って、快癒した真紅郎に少し無理をさせながらも宇和島城を脱出し、さらには宇和島の町を脱することに成功したのである。


 そして、親子二人は宇和島藩からの追跡を逃れるために攪乱しながらも四国を一周して土佐国の高知へとやってきたのである。


 そして、宇和島からの脱出から三年ほど経った現在、遂に藩主宗紀の送った刺客は親子二人の行方をつかみ、ようやく襲撃ということで母親を殺した後で本命の真紅郎を殺そうとしたあと一歩のところで真紅郎とその母親の暗殺のために送り込まれた四人の宇和島藩の刺客は尋常ならざる強大な力を持った真紅郎を前にして無残に殺されたのであった。




 真紅郎が目を覚ますとそこにあったのはいつもの無造作に木々と藁とが組み合ったこの辺りの農家の家と同じようなあばら屋の天井では無く立派な木材が精緻に組み立てられたことがよく分かる作りをしている屋敷の天井だった。

 寝覚めが悪いためか非常に目が疲れて頭痛までする中でどうにか周囲を見渡してみるとそこにあったのは板敷と筵のある床では無く、しっかりと畳に敷かれた床に小綺麗な障子と襖という三年前までいた宇和島の城内の親子二人の部屋で幾度も見たようなそんな部屋だった。


 そんな風に周囲を見渡していた真紅郎だったが、自分以外誰も居ないそんな部屋で外の自然の音しか聞こえない沈黙の中で心の中に母親が死んでしまったのだと言うことがじんわりと心に染み渡っていく。


「母上……」


 声を震わせて沈黙の部屋の中をポツリとそんな言葉が悲しみの感情を含みながら響いた。


 母親が亡くなった。

 今一度その現実を受け止めた真紅郎だったが、なぜかその悲しみはそれほど大きくは無かった。


 真紅郎に対して思い出させるためかのように再び頭痛が襲う。

 真紅郎がわずかに覚えている中で意識を失う瞬間に膨大な情報を自分の脳裏に叩き込まれ、そしてその情報こそが彼を母の死よりも困惑させていた。

 真紅郎が母の死を嘆いて流している涙のように、決して母の死が悲しくないわけでは無いのだ。


「平成、いや令和という元号の日本。

そんな今よりも先の時代の常識をどうして俺は知っているんだ」


 四人の刺客を殺した後に垣間見た記憶。

 この江戸時代と呼ばれるようになる徳川様の時代がこのあとすぐに幕末の動乱が訪れて、そして時代は移ろい平成・令和という元号の日本へと変わっていく。

 そういう後の世のことを自分が知っていると言うことに関して真紅郎は驚きも喜びも無くただただ困惑するばかりだった。


「まるで令和の日本で生きていたかのように手に取るように後の時代のことが分かるなど一体俺はどうしたんだ。

一応、輪廻転生したのではないかと思ってもいるのだが過去へと生まれ変わるなど本当にあるのか?」


 伊達真紅郎としての記憶がある中で令和における日本の常識を知っているのはいささか不思議な感じがした。

 創作物の中で別世界や過去へとに生まれ変わったりするというものがあったのでこの事情も否定できないというものだ。


「それでも、令和の時代を生きた前世があるというのならそれよりも以前の明治や大正といった時代の常識まであるというのは不思議だと思うがな」


 真紅郎は急に無理矢理身に余るほどの情報を手に入れて困惑し、一抹の不安を抱きながらも自我は真紅郎として生きてきた自分自身であることに安堵した。


「それにしてもここは一体どこだ。

俺は母上を殺された後のことは正直記憶が曖昧なのだが……」


 唯一記憶に残っている辺りが火によって燻る地獄をふと思い出してしまって気分が悪くなってしまったが、とりあえず大怪我を負った体を手当てしてくれたらしいことは分かるので今しばらくは問題ないかもしれないと自分の心を落ち着かせる。


 宇和島藩の刺客を倒した真紅郎にとって、更に何か問題が起きてこの場を脱出するというように動くことはできるのだ。

 すでに昨夜に負った袈裟懸けの刀傷も治り始めているというのもある。

 とはいえいつもよりも随分と治る速度が速くて困惑してもいるのだが。


「そこにいるのは誰だ」


 障子の向こうから人がやってくる気配がして真紅郎が警戒心も露わに誰何すると、やってきたその人物により障子が開けられ十代後半の男性とその後ろに四十代ほどの男性が姿を現した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る