神獣と幕末の四賢侯

@azumaya

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 その時、少年は何が起ったのか理解できなかった。

 夕暮れ時に訪れた客人に対していつものように母が家の戸を開けて迎えようとしたところを一閃。

 少年の目に赤い何かがパッと現れ、暖かなそれが彼の顔を濡らした。




 太陽の沈む黄昏時。

 まるで太陽の庇護が消えたのを待っていたかのように少年に母の死という凶事が訪れた。


 時は幕末、未だ黒船の脅威にさらされずとも幕府や大名の一部が海の向こうの列強諸国の脅威を身近に感じ始めた天保15年。

 土佐国にある二十万石土佐藩のお膝元である高知城下から離れた郊外の粗末な家に四人の偉丈夫が現れた。

 四人の風体はまさしく浪人崩れだと言わんばかりに粗末な着物を着て無精髭を生やし、髷もおざなりにしていた。

 しかし、この四人の姿形とは考えられないほどにその行動の一つ一つは洗練され、彼らがただの下級武士などではないことを見る者が見ればきっと気付いただろう。


 自らの殿の密命を帯びてついにたどり着いたこの地にて四人のうちの一人が目的らしき人物を認めた瞬間に刀を一閃して声を上げる暇もなく殺したのである。




 男の振るった凶刃が突然母を襲い、近くに居た少年にその母の血を浴びせた。

 いつものように母と一緒に夕餉の支度をしていたところに訪れた凶事に少年はこの現状を理解できずに回らない頭で四人の男たちを見て、男の持つ血に濡れた刀を見て、そしてまだ血を流し続けている変わり果てた母を見たままその場で立ちすくしてしまった。


「……母親の方だったか」

「しかし、玄蕃様。

殿からの命は母親よりも子供を優先するようにということであって母親は殺すなと言うことではありません」

「その上で殿は母親を連れてこれれば幸いだと仰せであったがな」


 徐々にこの事態を理解しつつあった少年を放っておいて男たちは四人で話していた。

 人を斬って気でも緩んだのかとも思われそうなようすだがしかし、四人の目はまっすぐにもう一人の暗殺対象である少年へと向けられ、軽い口調をしつつもその目は決して笑ってなどいなかった。


 無駄話しはこれきりだと言わんばかりに周囲の三人に鋭い視線を向けると、最初に母親を斬った玄蕃と呼ばれた男とは違う男が無言でその腰に差した刀を抜き払った。


 今にも殺されそうな少年は母親が死んだということを理解しつつあり、その様はこの偉丈夫四人を前にしてどうにも無警戒であるが、それもいきなり母親を失ったのでは無理からぬことだろう。


 刀を持った男が顔の横に立てるように無駄のない八相の構えをとったその時。

 まるで少年に対して自らに襲いかからんとする凶刃の存在を気付かせるためかのように、地平線に消えていかんとする夕日の最後の輝きが鏡のように刀を通して少年の顔を照らした。


 ようやく自らを殺さんとする凶刃に気付いたその一瞬で死から逃れようとその場から離れようと動いた。


 少年は結局袈裟懸けに胴体に大怪我を負ってしまったが、その一瞬こそがその少年を生かした。




「グッ……き、貴様ら何者だッ!なぜ母上を殺したのだッ!」


 ようやく現実に引き戻された、少年は初めて体を斬られた尋常ならざる痛みと母親が死んでしまったという事実からボロボロと涙を流しながら目の前の男たちに対して喉が壊れんばかりに問うた。


 父などいない母と二人だけの暮らしの中で、貧しくも幸せな日常を送っていたはずだったのだ。

 それがなぜいきなり母を殺されなければならないような状況になったのか。

 怒りに身を任せて死にかけているとは思えないほどの強い視線を男たちに向け、隙があれば母の敵討ちのために一矢報いてやろうと考えていた中で玄蕃と呼ばれていた男が答えた。


「わざわざ我らのことを教えてやるつもりはない、と言うところだが冥土の土産に聞いていくのもよかろう。

我らは伊予宇和島藩の者。

おまえらの存在を闇へと葬り去るために殿により暗殺を命じられたのだ」


 男のその言葉を聞いた少年は今までの怒りが嘘のように霧散していくような不思議な感覚にとらわれた。


 伊予宇和島藩。

 宇和島という地は少年にとっての生まれ故郷とでも言うべき場所だ。

 それでも宇和島の地を母とともに離れなければならなかったのは単に少年の異常さが原因である。


 少年は昔から周囲の者たちから虐げられてきた。

 その異様な容姿とそしてその大人以上の異様な怪力や尋常ならざる治癒力から鬼子などと呼ばれてきた。


 事実、男に刀で大怪我を負わされた胴体はすでに治り始めているという普通の人間では考えられないような治癒力を男たちの目の前で発揮しているのだ。

 化け物のような治癒力をまざまざと見せられてそれでも泰然と少年をまっすぐに見据えているのは単に少年の父親から少年のことについてを事前に聞いていたからだろう。

 それでも冷や汗の一つ流れるのは否めない。


 少年もそれを忘れるわけなどなかった。

 どれだけ周囲の者たちから虐げられ、そしてどれだけ実の父親に殺されかけてきたかということを。


「……そうか。

父上がおまえらを……。

父上が母上を……。」


 父が親子二人に対して刺客を送ってきた。

 そして、父が少年の母を殺した。

 少年にとっては父親の親子二人に対する反応を見ればこうなることも十分考えられたことだった。

 だからこそ母親は少年を連れて故郷である宇和島を離れて土佐までやってきたのであって、事実母親はいつ自分たちが刺客に襲われるかと考えていたし、少年も子供ながらにその辺のことは感覚的に分かっていた。


 それでもこのような結末に至ってしまったことに対して少年は、母を殺した父への恨みと、そして母が死んでしまったこの現実を生み出した元凶である自分自身への怒りで頭が一杯になっていった。




 怒りに身を任せた少年は人のものとは思えないような声がかれるほどの大きな雄叫びを上げて一心不乱に暴れ回った。

 今まで母と二人で思い出の暮らしてきた小さな家は大人の男四人と尋常ならざる強大な力を持つ少年を前にして崩れ去る。


 別に周囲に誰も居ないような場所に居を構えていたわけでもない親子二人の家の周辺には田畑が広がり、百姓の家などがポツポツと点在している。

 そんな彼らは日も暮れた中で少年の家出の尋常ならざる轟音や大きな声を聞いて、騒動に巻き込まれまいと朝までひっそりと自宅の中で怯えることとなる。




 すべてが終わった少年とその母の家の跡地には、人間の体の一部が転がり、地面が血に濡れて、辺りには乾燥した木の葉が燻り、肉の焼ける匂いなども漂っていた。


 そんな地獄のような場所に置いて少年は一人倒れていた。




 少年の意識が闇に消える前に脳裏によぎったのは優しかった母の笑顔ではなく、令和いう元号を迎えた現代日本の景色であった。

 わずかに残っていた意識も脳に膨大な情報が叩き付けられたかのような壮絶な感覚により遂に消えることとなった。




 地獄絵図のようなその地は後に、太陽が昇り夜明けを迎え、その光は過去の地獄など何するものぞと言わんばかりにその未来でさえも照らすであろう。

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