第2話

 明るい。まるで朝がきたかのような明るさだ。ということはあの世は昼夜の概念があるのだろう。そしてなぜか意識が途絶える前より身体が幾分か軽くなっている。今なら目も開けられそうだ。……俺はどのくらい眠ったんだろう。

 しかし死んだ後も肉体の感覚があるとはおかしな話だ。肌に何かが触れている感触もしっかりとある。俺は今、どうやら柔らかい物の上で毛布のようなものをかけられて横たわっているようだ。……それはつまり、ベッドに寝かせられているのではないか? ベッドの上できちんとした朝を迎える? 本当にここは死後の世界なのか?


 とりあえず目を開けてみた。俺が居る場所はやはり、間違いなくベッドの上だった。そしてみたことのない部屋。とてもではないがあの魔王城の一室であるとは思えない。極め付けは俺のふくらはぎあたりでうつ伏せになって眠っている人物がいることだ。どういう状況なのだこれは。この謎の人物は先程勇者ではなさそうだ。若い女だと言うことが髪の長さから判断できる。


 なんにせよ、この少女も丁度よく今起きるところのようだ。色々と質問させてもらおう。



「う……ふぁぁ……っ!!」

「……なぁ、起き抜けにすまないが、これはどういう状況か説明してくれないか」

「○! ○▽○▽□○!!」



 見知らぬ少女は口をパクパクさせながら訳の分からぬ言葉を放ってきた。何かを伝えたいようだが理解できん。ただ一つわかったことはこの少女が、俺が眠りにつく前に聞いた声の持ち主のうちの一人と同じ声色であるということだ。



「なにを言っているんだ……」

「♢♢♢、□……○○▽」



 少女は突然片手を淡い緑色に発光させると、それを俺の顔に向けて伸ばしてきた。すぐに俺はそれを払いのける。怪しい光を浴びさせられるなど、どうなるかわかったものではない。なんらかの攻撃かもしれぬ。

 少女は少し悲しそうな顔をしてから、ハッとなにかを思いついたような表情を浮かべた。そして手をパタパタとせわしなく動かし始める。


 自身を指さしてから手を口の前に持ってきて上下に開閉し、次に俺を指差してから耳を澄ましているようなポーズをとる。そして両腕で大きくバッテンを作った。それから片手を上げ、それを先ほどと同じように淡い緑色に発光させると自身の額に当てた。するとまた最初に戻って自分を指差してから口の前で手を上下に開閉し、俺を指差して耳を澄ます。その後、先ほどとは違い今度は手で丸をあらわした。


 なるほど、つまりは少女が発する光を浴びれば言っていることがわかるようになるということだろう。身振り手振りのあまりの必死さに疑うのも悪い気がしてきた。ここはひとつ、信じてみるか。

 俺は軽く頷いてやった。少女は嬉しそうに微笑むと、再び手を光らせて俺の額に当てる。少し頭の奥底に電流が流れるような感覚がしたが、それ以上は特に痛みも感じなかった。

 少女は俺から手を離してからすぐに口を開いた。



「……言葉、わかる……?」

「あ……ああ、わかるぞ!」

「よかった!」



 しかし不思議だ。言語というのは唯一無二の存在であるはずなのだが、なぜこの少女とはなにやら特殊な魔法を使わなければ話が通じ合わなかったのだろう。まぁ、もう通じるのだ、気になること全て聞いて仕舞えばいい。



「ここはどこだ、なぜ俺はここにいる」

「ここはドーハ城です、魔人様」

「は? 魔人?」

「正確には私達があなたを別世界から魔人として呼び寄せたのです」

「べ、別世界?」

「はい」



 いきなり突飛な話だ。この少女は頭のどこかがすっぽり抜けているのではないだろうか。……いや、別世界だとしたら言葉が通じなかったことが安易に説明がつくな。

 ……だが魔人とは。俺は魔王である。なんとなく格落ちしてしまったような呼び方ではないか。なんとかそこは訂正してもらおう。



「とりあえず少女よ、俺を魔人と呼ぶな」

「そ、そ、そうですよね。えーっと、名前は……」

「俺は魔王。名前はまだ無い」

「え……魔王?」

「そうだ、魔王だ」



 俺は自身の存在を述べただけなのだが、少女の顔がみるみるうちに青くなっていく。なるほど、魔王の恐ろしさを知っているとみていい。別の世界とやらにまで魔王という存在は轟いているようだな! 先代達の努力の賜物である。

 しばらく少女は青い顔のまま考え込んでいたが、恐る恐ると言った様子で俺に質問を投げかけてきた。



「……勇者や英雄、魔戦士や賢者などといった人物ではなく?」

「勇者以外はよく知らんが、どうせ其奴らは人間。俺の敵というものだ」

「あっ……」

「なに、魔王の恐ろしさを知っているようだが。なにか訳があるようだし、たとえ人間だったとしても話し合う前にいきなり襲ったりなどはしない」

「そそ、そ、そうですか……。じ、じゃああの、おじいちゃ……おじいさまを呼んできてもいい……?」

「年配の者が居るのか? ふむ、そちらの方が話がはやく進むかもしれんな。呼んでくるといい」



 少女は俺から恐々とした様子で離れ、この部屋からそのまま出て行った。しかし尊敬せし先代の魔王の評判がこんな場所にまで及んでるとは、後継者として少し嬉しくなってくる。いや、そもそもまだ別世界という言葉を信じ切ったわけではないが。


 今考えれば魔王が死んだ時は死体が普通に残ると文献にあった。勇者から重い一撃を食らった後のあの金色の光は今の少女らが俺を呼び寄せるために使った魔法か何かの影響だったのだろうか。先ほどの言語が通じるようになる魔法と雰囲気がよく似ていたような気もするし、そう考えるのが自然か?


 しばらく部屋の中を眺めていたら、少女が軽く腰の曲がった老人と大勢の男を連れてきた。少女と老人以外は全員武装している。普通に考えて兵士だろう。ここは城だと言っていたしな。ふははは、警戒されたものだ。魔王が相手だしな、それも仕方あるまい。



「……お目覚めになられたのですな」

「ああ、変な気分だがな」

「ワシはこの城の主、エッツラ・ドーハと申す者。先程は孫娘がお騒がせしたようで」

「ほう、王か。そして孫娘ということはお前は姫なのだな」

「は、はひっ! 自己紹介が遅れました、私はヨーム・ドーハといいます」



 エッツラ王にヨーム姫か。おかしな名前だな。いや、まだ名前すらない俺が言えたことではないが。さっきは姫に魔王と名乗ったことで慌てふためき怯えていた。ならばもう一度立場を名乗って、王の反応を見てみるとしよう。



「そうか。姫の方には名乗ったが、この城の主にも挨拶が必要だろう。俺は魔王、まだ名も無き魔王である」

「魔王……本当に勇者や英雄様では無いのですな?」

「その通りだ。……ふははははは! その場にいる皆で揃ってあからさまに絶望したような顔をするな。俺に恐怖を覚えるのは致し方ないことだがな!」



 どいつもこいつも怯えている。隙だらけだ。今のうちに目の前にいるエッツラ王とやらを殺してこの俺が城を乗っ取るのも悪くない。どうせあの兵士共を含めてもあの勇者ほど強いなどということはないだろう。


 だがまあ、俺は別世界らしき場所で知識がないまま城の運営していこうとするほど馬鹿ではないし、姫に述べた通り話し合いはするつもりだ。そういうわけだから、ひとまずは事情説明でもしてもらおうではないか。



「で、なぜ俺を呼び出したのだ? いや、反応を見るに俺が目当てでなかったのかもしれんが。勇者や英雄とやらを求めていた理由を聞かせろ」

「まずここは貴方様がいた世界とはまた別の世界」

「それはさっき姫から聞いた。誠のことかどうかは知らんが」

「そうじゃったか。とりあえず真実だと思ってくだされ」

「了解した」

「ひとまず要件より先にこの世界の状況からお話しせねばなるまい。まずこの世界には大きく分けて二種類の種族が住んでおる。ワシら魔族と、もう一つ、人族じゃ」

「ほう……」



 俺の元いた場所にも、人間やら獣人やらがいて、それとは別種扱いで魔物や魔王がいるという形だった。城から出てないから確認したのは魔王である俺自身と人間の勇者だけだが。……種類こそ半分以下だがなんとなく、いろんな事情が種族間にあるのは理解できる。



「魔族と人族は古来から争いを繰り返してきました。何度も何度も。基本的には人族の方からワシらの財産や土地を求めて攻めてくる形じゃったが」

「どこの世界も争いはあるものだな」

「ええ……しかし頻繁に人族が攻めてくる一番の理由が、我々魔族は人族より、種として劣勢を強いられているということなのですじゃ。魔集力的に、大きく」

「……魔集力とはなんだ」



 意味的にはおそらくだが、俺らの世界の魔力に近いものだろう。俺の世界でいう魔力とは何発魔法が撃てるか、どんな強さで撃てるかを決める個人の中に内包されている力だ。

 魔王であるならば、こんなヒヨッコである俺ですらその力は他者に比べて甚大。もしきちんと魔法さえ覚えていれば最上級の魔法を何百発と撃てるだろう。覚えていればの話だが。思えば勇者のは魔法は強力だったな……。



「魔集力とは、空気中に漂うマナをどれだけ集めて己の力にできるかを一言で言い表したものですじゃ」

「この空気中にマナ……とやらが浮かんでいるのか。それを集めてどうする? やはりさっき姫が俺に使ったような光を出すのに消費するのか? お陰で貴様らの言葉が分かるわけだが」

「そう! その通りですじゃ。ヨームがやったようにマナを集めてそれを具現化することを魔法と呼んでおります」

「元から魔の力を持っていないのか、不便なものだな。それでその魔法を使うための魔集力が人族に劣っているというのだな」

「……いえ、正確には単なる魔集力だけなら人族より魔族の方が圧倒しております。しかし、人族がマナを集めようとすると、そのマナは魔族より人族の方を優先してしまい我々は魔法が使いにくくなるのですじゃ」



 魔法を放つのに必要なマナとやらが、人族の方を好む。たしかに相当不利といえよう。そんな劣等種から財を奪おうとするのは生き物の摂理だ。

 だがドーハ王らはそんな中でよく種族を運営し、城を構え、兵士を雇えているものだ。こうして存続できているということはなんらかの秘訣があるのだろう。なるほど、なんとなく話が読めてきたぞ。



「そうか、それで人族を安全に追い払うため、別世界の勇者や英雄とやらに頼るというわけか」

「その通りですじゃ。魔族が人族より優っている点。それは人族には使えない魔法も使えるということなのですじゃ。特に我々ドーハの一族が王として魔族を束ねられている理由は、この世界のルールの理から外れている別世界の人物を呼び寄せられるため。それも現地で勇者や英雄と崇めれている、一騎当千が可能な強き者に絞って」



 特別な力として、人任せにする能力を持っていたから王となったのか。なんと言っていいやら。しかしその自覚があるからか、おごっているようには見えないな、王も姫も。


 俺が魔王と名乗ったことによって姫が顔色を悪くしたということは、簡単に言えば呼ぶ対象を間違えたのだろう。たしかに、そんな種の存続がかかった大事な要件で呼び出す対象を間違えるのは大変なことだ。

 だが今、目の前にいる複数人の様子を見るとどうにもそれだけではないらしい。俺自身にも怯えている様子だ。



「そうかそうか。だが俺は魔王だ。呼び出す対象を間違えたな? それに怯えを隠しきれていないぞ。ああ、手が震えている」

「……仕方ありますまい。我々一族は今まで何十もの勇者や英雄を魔人様として呼び出してきたのですじゃ。そしてやってきたほとんどの英雄達から語られる、敵対してきた悪と認識されている存在のかなり多くが……」

「魔王と呼ばれていた、というわけか。面白い、別の世界には俺や先代達以外にも魔王がいるというわけか」



 本当に愉快だ。魔王と勇者の確執とは世界をも超えるか。また王の話からして世界はいくつもあるみたいだが、この世界の争いといい、戦争のようなものはどこもやっているようだ。



「じ、実はワシらも魔族の王、あるいは別世界の英雄達を魔人と称して呼び出すため、魔人の王として人族から魔王と呼ばれておるのじゃが……」

「ならば差し詰め、人族の力のある者は勇者と呼ばれているのか!」

「……その通りですじゃ」

「ふはははははは! そうか! 魔王を倒した勇者や英雄供は別の世界の魔王に呼び出されて別の勇者と対峙させられているというわけか!」

「まったくもってその通りですじゃ」

「まあ俺などとは立場はまるで違うようだがな。そして貴様らは魔王と呼ばれているのにも関わらず、味方として呼びよせた勇者共から『嫌な存在』と聞かされてきた、別の世界の魔王が来たから怯えているというわけだな!」



 王はゆっくりと頷いた。つまりこいつらからしたら、攻めてくる勇者を倒すため魔人として別の勇者を呼ぶつもりだったのが、さらに敵対する可能性のある存在を呼んでしまった最悪の状態であると。

 ああ、たしかにそれはそれは絶望的な状況だろう。俺は最初に先代魔王の名がここまで届いたのかと思いこんでいたが……あながち間違いというわけでもないかもしれぬな。


 また、呼び出した本人にとっては種族丸一つの期待を込めらていたのに、話を聞く上では今回は過去に類を見ないほどの失敗だ。となれば民達から激しく責められるかもしれない。あんな老人と少女だ、国民の暴動が起これば何をされるかわかったもんじゃない。

 さて、俺はどうするべきか。冷静になって俺個人としての状況を整理しよう。


 まず俺は勇者に、まったく鍛えてない状態で、さらに不意を突かれて死にかけた。そして死ぬ間際にここに連れてこられた。これは命を助けられたことになるのではないだろうか。さらにまあ……まだかなり疼くが、マナとやらを使った魔法によって治癒もされているのだろう。痛みをあまり感じない。


 ……魔王はつまり王である。王たるもの、偶然で呼び出され、その上失敗という扱いを受けるという多少無礼な態度を取られてるとはいえ、命を救ってくれた存在に対して何もしないというのはあまりいただけない。

 それに今、 元の世界に返されても勇者に殺されるだけなのは目に見えている、となれば俺自身としてもここに滞在した方がいいはず。となれば答えは一つだ。

 


「この世界の魔王共よ、俺をどうしたい?」

「それは……」

「ふははははは! 反応を見るにおそらくは俺を送り返してまた別の勇者を呼んでくることはできないのであろう?」

「……はい」

「ならばよかろう、せっかくだ。協力してやる」

「なんと?」

「老人ゆえ耳が遠いのか、王よ。この魔王たる俺が貴様らの望む通りの存在として君臨してやろうと言っているのだ!」

「……ほ、ほんとですか!?」

「ああ、本当だとも。魔王に二言はない」

「「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」



 普通なら一度信用し難いと感じた存在が協力すると申し出てもここまで喜べないものだと思うのだがな。硬い表情をしていた兵士共含め、全員が破顔して喜んでいる。相当切羽詰まった状況なのかもしれん。


 ……どうしよう、協力をするとは言ったが過度な期待をされても困る。いつこの世界の勇者が攻めてくるかわからぬが、一応言っておいた方がいいだろう、俺の本当のこと。向こうは弱みを聞かせてくれたのだし、今度は俺から弱みを提示しても恥ということにはならないだろうか。……ならないよな?



「あー、その! 喜んでいるところ悪いが一つ把握しておいてほしいことがある」

「なんでしょうか、魔王様!」

「……なぜ、俺がこのような満身創痍でいると思う? そうだな、一番前の兵士、答えるが良い」

「それは魔王ならば、貴方の世界の勇者と戦っていたから……」

「その通りだ。実は王と姫に呼び出されなければ、確実に死んでいた。……では今度はなぜ、俺が名前も無いと思う? そこの一番若そうな兵士、答えてみろ」

「は、はいっ! ……なんかかっこいいから? 秘められし力がありそうで……」

「違うな、名前が付くほど強力な存在になっていないからだ」



 表情がコロコロ変わるやつらだ。深い絶望にまみれた表情をしていたかと思えば、喜び破顔し、今度は俺が言いたいことを察して真顔になっている。恐る恐るといった様子で、王が口を開いた。



「その……まさか……」

「ああ、そのまさかだ。だから期待されても困るが故に、先に言っておくのだ。俺は…………かなり弱い」

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