41.不穏な可能性の話

 僕、イーサン=アンセットは神の化身であり、宗教法人・真なる神を祀る会は、僕を文字通り神輿に担ぐ中規模新興宗教団体だ。

 別の世界で生まれ育った前世において、不幸な事故から命を落とした僕は、真なる神の采配により、奇跡の代行者こと“神の化身”としてこの世界に転生した。

 天与聖典バイブルを人に授けた真なる神の化身を名乗っている以上、旧来の天与聖典バイブル教からはあまり良い印象を持たれていない。

 十年近くも様子見に徹してくれていた先方が、真神会を潰すために動き始めたのはつい先日のことなんだけれど、大組織のわりに異常にフットワークの軽い幹部のせいで、現在、僕はその対処として妻と母を連れて水族館に遊びに来ることになった。

 先方が真神会に手を出さなかったのは「(現代社会で大衆心理的に認められなくもないレベルの)手を出す大義がなかったから」なんだけど、今回うっかり生まれてしまったその大義を「無かったことにする」ための、この家族サービスなのだけれど。


「お義母さん! マグロですよ、マグロ! 同じとこぐるぐる回って窮屈そうですねえ!」

「水槽のマグロって、あんまり美味しくなさそうねぇ」

「いやー運動不足で脂は乗ってるんじゃないですか?」


 僕ははしゃぐ義母娘を横目に、マナティーとイルカとマグロが一緒に泳いでいる水槽の前で、首を傾げていた。

 大人気海洋生物のイルカや、大きな水族館でも珍しいマナティーをスルーしてマグロに夢中だという点は良いとしても、この組み合わせだ。


 マナティーは漢字で「海牛」と書く。イルカは「海豚」、マグロは恐らく「シーチキン」とでも言いたいんだろう。

 つまりこれは、海の牛、豚、鶏が一同に会した水槽、というジョークなんだろうけれど……まずそれがおかしい。

 そもそも、僕がそんなジョークに気付いたのは、前世で小学生時代の僕がまったく同じジョークを思いつき、壁新聞にそんな内容の四コママンガを描いていたからなのだ。そうでなければ気付かなかっただろうけれど、気付いてしまったからこそ、その異常性がはっきりとわかる。

 この世界には、マナティーを海の牛と呼ぶような文化はないし、イルカも海の豚なんて呼ばれない。神が適当に旧世界のパブリックドメイン文書を詰め込んだ天与聖典にもそんな記述はなかった。マグロはシーチキンにすることもあるし、シーチキンって言葉の語源も同じなんだけど、あれは確かに見た目が鳥の笹身っぽいから、世界をまたいで同じ発想をする人がいても不思議は無い。

 しかし、この偶然は一体。


 はっ! これはまさか……前世の世界から記憶を持って転生してきた人が、僕以外にもこの水族館にいるってことなのか……?


「ところで、この水槽って、どうしてこんな取り合わせなのかしら」


 母も疑問に思うらしい。

 それはそうだ、この世界だけで生まれ育った人間に、このジョークがわかるはずないのだから。


「去年そんなアニメ映画が流行ったんですよ。お義母さんご存知ありません? もうお年ですから、記憶がはっきりしないんでしょうか」

「まぁこの鬼嫁ときたら、人をボケ老人扱い? 私を老人ホームにでも押し込んで、家を乗っ取るつもりでしょう」

「意味の無い喧嘩ごっこはやめよう」


 にしても、映画が元になってたわけね。なるほどね。

 なら別に不思議なことでもないか。


 ……待てよ。でも、その映画の製作スタッフは、どうしてマナティーとイルカとマグロを組み合わせようと思ったんだ?

 まさか、監督か脚本家、原作者の誰かが転生者なのか……?


 いや、まぁ別にあの世界から来たって、異世界人的な特殊能力があるわけでもなし、科学技術も文化レベルもこっちと大差ないしで、特に何ができるってわけでもないとは思うんだけど……別に僕も前世の知識を活かしてあれこれしてるわけじゃないし、相手に気付かれることもないから、特に不利益があるわけでもないし……同郷の人がいたって、知り合いでも無い人と同郷ってだけで盛り上がれるほどコミュ力も高くないしなぁ……。


 じゃあ別にどうでもいいか。

 正直、最初からわりとどうでも良かったんだけど。

 どうせでっかい海洋生物まとめてつっこんだだけでしょ。あの映画って確か、イルカ人間とマナティー人間とマグロ人間が、人類と四つ巴で戦争する糞B級映画だしな。


 僕はいい加減、現実からの逃避を諦めることにした。


(メディチさん、メディチさん。後ろの様子はどうでしょう)


 僕は後ろをついて来ているはずの教団司祭、メディチさんに完全精神感応テレパシーで意識共有して呼び掛けた。


(…いはい、こちらメディ……す。ホシは後方約二十……、目立った動きは……ません)


 途切れ途切れでメッセージが返ってくる。

 振り返って気付かれるわけにもいかないので、片目を瞑って視覚を限定的にジャックしてみると、ザラついたモノクロ映像の中に、僕達を尾行する天与聖典教の聖騎士の姿が見えた。


 うーん。その表現は正確でもないな。

 尾行はしてない。マナティーに見入っていた。


 こちらのことは露ほども考えていないらしく、完全精神感応でも一切意識が読み取れない。

 この能力での受信機能は、神への信仰心の篤い信者が、強く神のことを考えた時にしか発動されないのだ。

 こちらから呼びかければ双方向で繋ぐことも出来るんだけど、そんなことしたら気付かれるしなぁ。


(そのまま監視を続けて下さい)

(了……す)


 視界の受信を解除して、連れの二人を追いかける。


「可愛いわねぇ、ウミガメ。私も子供の頃に飼ってたのよ」

「ご実家は港湾都市ポートピアでしたっけ。あっちではウミガメなんて飼えるんですねー」

「ううん、飼ってたのはミドリガメだけど」


 母と妻は順路を巡りながら、益体も無い会話を繰り広げている。

 今回のミッションは、端的に言えば「嫁姑の仲の良さをアピールすると、教団の危機が避けられるかもしれないから、そうする」という、言葉にするとちょっと意味のわからない話なんだけど、実際他に打つ手もないのだから、これで行くしかないのだ。

 改めて今振り返ってみて、本当にこの作戦でなんとかなるのか不安でしかないというか、どうしてこんな作戦にゴーサイン出したのかもわかんないんだけど、僕より頭の良くて、僕自身より信頼できる人が考えた作戦なので、素直に従うのが最良なんだろう。たぶん。すごい不安なんだけど。


「ウミガメって何食べるんでしたっけ? ワカメ系か魚系ですよね」

「ソーセージかお麩じゃないの?」

「自然界では極めて不利な食性ですねー」

「言われてみればそうねぇ」


 家も隣同士で家族ぐるみの付き合いがあり、僕と妻のレインは生まれた時から互いの家を行き来していた間柄なわけで、妻と母とは基本的に仲が良い。妻は小さい頃から母に懐いていたし、母も年の離れた友人のように妻を扱っていた。波長が合うのか、レインが合わせているのか、傍から見れば微妙にズレたように感じる会話も、当人達は楽しげに交わしている。


「あ、ここに書いてますよ。大体何でも食べるみたいですね」

「自然界でも有利そうな食性ねぇ」


 この水族館は元々、震災で壊滅した港湾都市の人材と技術力をレンタルし、展示用の魚を当地から購入するなど、復興事業という名目で作られた、ということになっている。

 「技術や人材、物資を買い叩いて、おまけに名声も得られるボロい商売」とはこの水族館の経営者でもある姉の言だけれども、収益としては維持費とトントンと言った所らしい。姉の会社は主に名声というか、慈善とアミューズメントで世間からの印象をプラスにし、それまでの怪しげなイメージを払拭するためにここを建てたのだとのこと。

 一応一般向けの看板事業ということで、最近は氷雪都市フリージア産の海獣類も飼育している。


「亀といえば、式の話だけど」

「……ああ。縁起物ですもんねー、亀」


 母との会話に迷いなくついていけるのは、レインくらいのものだろう。

 単語や因果関係の省略が多く、話の内容が突然飛んだり巻き戻ったりするし、冗談と本気の境目が常に揺れ動く。レインはそれに平気で対応し、同じレベルでトークを成立させるのだ。

 僕と姉はわりと早い内に諦めたし、父はそれを美点と捉えていた。


「出し物で一緒に歌わない?」

「サプライズとしてはアリですけど、新郎もこの話聞いてますよ?」


 仲の良さアピールとしては、僕の仕事は、時々雲行きが怪しくなった時に軌道修正するくらいでOKなんだろうな。

 ただ、最大の問題はだね。


(対象移……始。タカアシ…ニに見入って……す)


 アピール相手が、前々こっちを見てないことなんだよなぁ。


(了解です。また動きがあれば逐一報告お願いします)


 これもう一回やれって言われると、心労がきっついんだけど。

 僕は内心に新たな不安が湧き起こるのを感じつつ、それを気力で押さえ込む。

 そうして、自分達の結婚式で起こるらしい、誰向けなのかわからないサプライズ出し物の計画立案に強力することにした。

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