40.嫁姑と楽しくアクアリウムに行った話

 平日の昼間から遊びに出られるというのは自営業の利点というか、僕は実質的に無職だから、それ以前の問題なんだけれども。

 母が以前経営していた会社は何年か前に、姉の会社に買収され、今は当人は隠居の身だ。

 妻は何の仕事をしてるんだか正直よくわかっていないんだけど、前の週から言っておけば、休みを取るのは簡単なことらしい。


 何の話をしているのかというと、神の化身ことこの僕、イーサン=アンセットは現在、妻と母との三人で、市内の水族館に遊びに来ているんだけど。



「要は、聖母論争なんて存在しなかった・・・・・・・ということを、その異端審問官に気付かせれば・・・・・・良いんですよね」

「異端審問官って言うんですかね? やっぱり?」

「諜報員でも良いんですけど。本題はそこではありません、シュよ」


 神の化身の能力である完全精神感応テレパシーによって、天与聖典バイブル教の調査員が、うちの教団――といっても僕は名目上部外者なんだけども――の本拠地に潜入してくる予定日がわかったのは幸運だった。

 その場で教団の最上位階者にして、信頼できるブレインでもあるマドレーヌ=テステューさんと相談を行った結果、大まかな方針は決まった。


「ひとまず、向こうが突っついてくるのは、聖母云々の話だけみたいですしね」

「主のお話通りならそうですね。元より、それ以外の部分に口を出されようものなら、むしろこちらのカウンターチャンスです」

「カウンターとかはしないけども」


 まず、典礼や儀式の面で、うちの教団に穴が無いのは、既に向こうの調査でわかっていることらしい。それはそうだ。天与聖典教の教義の全ては神が人に与えた唯一にして完全な書物(全百五十巻)である天与聖典に基く。神の化身である僕の脳内には、その百五十冊分の内容(余白は大変広い)が、天与の時代に存在したあらゆる言語で、装丁や文字組も合わせて全て完全に記憶されているのだ。神の意向に反することは直感的に判るし、下手なことをして雷(地学)でも落とされたらことだから、監査はもとより、日常の指導教育は徹底することにしている。

 指導教育については、僕から直接言うのも何なので、テステューさんや、その直属っぽい人に伝えるだけなんだけど。


「聖母という概念の不在、論争の不在。その双方が必要になるでしょう」


 今回、天与聖典教が調査に来るのは、聖典の教えから見れば異端中の異端である、「聖母」なるものを、うちの教団が作り出そうとしていたかどうか、という点だ。

 していたかどうか、というのは語弊を招くかな。先方は、そういう動きがあったことをほぼ確信した上で、裏付けのための調査に来ている。

 まぁ実際そんな騒動を落としていたわけだから、こちらとしては単純に突っぱねるわけにもいかない。


「ただ偽証や偽造資料で証明すれば良いってものじゃありませんよ。その諜報員が自分で得た情報を、自分で判断して、自分で不在の結論を出さなきゃならないんです」

「あれですね。あの、よくある奴ですね」

「それです」


 繰り返すようだけれど、異端認定を受けると、まずそのまま裁判を起こされる。先方の名誉を毀損したということで、多額の賠償金を取られる上に、世間的にも「頭のおかしい新興邪教」のレッテルを貼られ、今後の活動に大きく影響が出る……というか、真面目な宗教団体としては、ほぼ詰んでしまう。


 すると、僕は神様から無能な化身と見做され、死後、魂ごと無に帰される。


 死んだ後のことなんて知ったこっちゃないという人もいるだろうけれど、その理屈だと、生きている間のことだって知ったこっちゃないって話になる。そこに区別をつける感覚がいまいち共感できないし、毎年三月末には学生生活を終えた若者達が、こぞって線路に飛び込むことになるだろう。

 僕は一度転生を経験しているから、なおさら魂が無に帰すことが恐ろしいんだろうけど。


「概念の不在は、どうしますかね。踏み絵でもしましょうか」

「それはあからさま過ぎて、相手方に警戒を与えると思いますよ? もう一つの方がきちんと否定できていれば、普段通りの典礼を行うだけで問題ないでしょう」

「そういうもんですかね」

「はい。それはこちらにお任せください」


 僕は飲み込んで頷いた。

 この人もそうだけど、極端に頭の良い人達は、予言レベルの計算や、精神感応レベルの意思伝達を平気で日常に持ち込むからな。この人がそういうなら、そうなんだろう。


「じゃ、論争の不在の方は、どうしましょうかね」



 と、いうことで、だ。


 論争の当事者である妻と母。

 その仲の良さを、異端審問官の人に見せつけ、論争自体の存在を疑わせる計画、を、僕が一手に担うことになったわけだ。


「やっぱり平日は空いてますねー、お義母さん」

「そうねぇ。急に誘われた時は何を突然、って思ったけれど。これならのんびり楽しめそうね」


 僕はうちの教団、“真なる神を祀る会”にとって、教祖でも主宰でも何でもない。母は勿論、妻のレインも、一時は教団を分裂させて牽引していたにも関わらず、教団内部の人間だというわけでは、まったくない。何故彼らが当たり前のようにレインの扇動に乗り、聖母候補として掲げていたのか、返す返すもよくわからない。尤もそのお陰で聖母論争の物的証拠だとか、具体的な書面なんかは残っていないんだけど。


 そんな僕達が、ただ近所の水族館へ遊びに行くのを、わざわざ飛行船で何時間もかけて調査にやってきた、大宗教のお偉いさんが、真神会本部の調査より優先して追いかけてくるのか。


 来たのだ。流石はテステューさんの計画だ。

 頭の良い人の行動は、頭の良い人には簡単に予測できるらしい。

 流石、何千年規模、世界規模の大宗教のトップ六人に上り詰めるような人は、どうせまた相当頭の良い方の人なんだろう。


 ……いや。本人がついてきてるみたいなんだよね。


(ふむ。アンセット一行は、この水族館に入るのか)


 さっきから完全精神感応テレパシーで、先方の思考がこっちに筒抜けなんだよ。

 すーごいプレッシャーなんだけど。何これ。

 何でそんな偉い人が、自分で備考調査なんかしてるの? 大宗教の癖に人手不足なの?

 自分以外は信用できない系の人なの? まともに部下を使えないのは駄目な上司だよ。


 教団事業所内の喫茶店で昼食を終え、徒歩十分。

 水族館の経営元でもある姉から貰った年間フリーパスで、三人並んで入館する。


「ふふっ、持つべきものは経営者の娘ね」

「素敵な小姑に恵まれて幸せですよ」


 嫁姑の仲が良いのは結構なんだけど、この人達、仲良すぎてたまに意味もなく喧嘩ごっこするから油断できないんだよな。

 今回の目的は、母にも妻にも一切していない。母に話せば緊張してわざとらしい演技を始めることだろうし、妻に話せば良くて敵前逃亡、悪くすれば「異端認定されないギリギリの所をつく遊び」を始める恐れすらある。僕は自分の妻を何だと思っているんだろうか。


 片手で自分の両目を覆って、異端審問官氏の視界を受信すると、先方は入館チケットを購入している所だった。領収書の宛名は、「天与聖典教聖騎士団異端審問課」。

 うええ。聖騎士様か。聖騎士っていうと、異教徒とか問答無用で切り捨ててるイメージしかないんだけど……今の時代じゃありえないとは思うけど、でもなぁ。


 視界を自分の物に戻して、少し離れてしまった連れの二人を追いかける。


「サニー、どうしたの? 貧血?」

「レインちゃんにロクなもの食べさせてもらってないんでしょう?」

「その嫁いびりごっこやめようよ」


 特に今日はさ。


 異端審問官の聖騎士様には気付かれていないと思うけど、どうなんだろうなぁ。

 こちらの意識の送信、一方的な相手の意識の受信、双方向のやり取り。完全精神感応の使用感はテステューさんとさんざん練習したから、先ほどの読心や視界ジャックは、向こうには全く気付かれていない、とは思う。

 それでも、相手は、頭の良い人間、だ。ちょっとしたことで怪しまれ、こちらの思惑が露見する可能性もある。


(あーあー。メディチさん、メディチさん。聞こえますか)


 僕はターゲットの後方を行く協力者に、こっそり思考を送った。


(……はい、主……通信…題あ……せんわ)


 ノイズ混じりの女性の声で、返事が返ってくる。

 通話の相手はフェリシテ=メディチ司祭。今回の作戦において、テステューさんから派遣された協力者だ。

 長く続く毒属性の名家の出で、教団司教である祖父の下で育ち、テステューさんから直接教えを受けた熱心な信者でもある。普段は大聖堂で行われる朝拝等で聖典の朗読指揮を執ることも多く、顔自体はよく合わせていたのだけれど、名前は今回初めて知った。

 僕達と違って本気で多忙なテステューさんに代わり、今回の任を受けて頂いた。


(すみません。入館料は教団から出して貰えるそうなので、領収書だけお願いします)

(了解……まし…、主よ)


 所々聞こえにくいけれど、これは信仰心が十分でないということらしい。

 といって、これはメディチさんが不信心であるという話ではなく、そもそもこの魔法技術が発展し尽くした現代社会で、本当に心の底から一片の疑念もノイズもなく神様を信じられてしまっている、テステューさんやこの聖騎士様の方がおかしいんだよ。


(それでは、意識は繋いでおきますので、何かあったら連絡お願いします)

(お任……ださ…)


 些か不安は残るけれど、今回の僕の仕事は、ただ二つだけ。「妻と母の仲の良さを見せ付ける」ことと、「妻と母の諍い、ないしそう見えるじゃれあいをひた隠す」こと。

 当の嫁姑は今この瞬間も、互いに耳元へ口を寄せ、何やら囁き合いながら、三歩後ろを歩く僕を指差して笑っている。

 腹立つくらい仲良いな。


 心配したって仕方ない。

 僕は気持ちを切り替えてカメラを構え、鰯の水槽の前でポーズを決める義理の母娘を写真に収めた。

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