39.大宗教の侵攻に怯えていた話
爽やかな朝だ。
(あーあー。テステューさん、テステューさん。聞こえますか。今、貴女の心に直接呼び掛けています)
(はいはい、聞こえてますよ。何ですか
(おおおすごい。本当に通じるんですね、これ)
新たな神の化身の力、「
携帯電話がまだ開発されていないこの世界では、わりと便利な能力なんじゃないだろうか、これ。
完全精神感応に目覚めたのは今日の午前三時のことで、眠っている間に知らない人の意識が流れ込んできたものだから、まぁ驚いた。
朝起きて朝食を済ませ、「サニーさ、夜中に大声で寝言叫びながら飛び起きたよね?」とにやにや笑うレインへ平然を装って「起こしたかな。ごめんね」と頷き、支度を終えて朝のお勤めに向かう。
聖母論争は終結し、真神会は再び一つに戻ったのだ。わざわざ毎朝二つの事業所を回る必要もなくなったため、これまでよりは幾らか余裕のある朝の風景だ。
徒歩で
送信先は、僕と普段付き合いのある中で最も教理への造詣が深く、神への信仰が篤そうな、うちの教団の最高責任者。
(さすがテステューさんですね。これ極めて敬虔な信者にしか繋がらないらしいんですけど)
さっきレインに送ってみたけど、全然通じなかったもんね。
(主よ、これは新しい神の奇跡か何かですか?)
(そうなんですけど、全然動じませんね)
僕だったら、急にこんな風に声が聞こえてきたら、相当びびると思うんだけど。
(カフェイン効果じゃないですか? こちらは今、事業所の喫茶店で朝のコーヒータイムですので)
(カフェインすごいですね)
言われてみれば、朝の空気の中に、突然コーヒーの香りが共有されたような気がする。
(これ、視覚とかも共有できるらしいんですけど、ちょっと試しに何か送って貰っていいですか)
(視覚ですか? えー、むむむむむ……これで行きました?)
(あ、来ました来ました。コーヒー見えます)
朝の町の風景に重ね映しで、コーヒーカップが見える。
このまま歩くと事故でも起こしそうなので、一旦足を止めた。
(ところで、ちょっと後でご相談したいことがあるんですけど、朝拝の後で時間取れますか?)
(いいですよー。ではまた後ほど)
(すみません、よろしくお願いします)
僕はお礼を言って交信を切断し、再び事業所への歩を勧める。
事業所の玄関を抜け、玄関近くの喫茶店にいたテステューさんと軽く会釈を交わし、朝拝の開かれる大聖堂へと向かった。
***
そしてお勤めの後である。
「組織が大きくなっても、こういう時の相談相手とかって変わらないんですよね」
「まぁ、主って教団的には一応部外者っていうか、アウトソーシング? ボランティア? みたいな扱いですしね」
宗教法人・真なる神を祀る会、その最高責任者である総指導者の執務室にて、僕達は渋面を付き合わせていた。
「しかし、今更って感はありますよねー。私、早ければ初年度には突っかかってくると思ってたんですけど」
「言われてみればそうですよね」
受信した光景、会議の内容をテステューさんに伝え、今後の対策を練る。
腹心、というのも妙な言い方だけれど、心の底からその気質・能力にも信頼が出来る相手というのは、実際の所、ほとんどいない。その中で、こうして気軽に話せるような相手って、全然いないんだよね。
僕は神の化身であって、真神会内部の人間ではない。教団も拡大した規模に応じて優秀な人材が増えたものだと思うけれど、その命令系統は僕の下には連なっていない。
気質として一番信頼がおける相手は両親や姉に当たるけれど、こういう話に向いているわけでもない。
能力で言えば、頼めば動いてくれそうな範囲だと、国内最高学府の教授や、旧・氷柱の輪総裁、自称経営コンサルタントの民間軍事会社代表辺りが有力だけれど、いずれも気軽に話を持ちかけるのは腰が引けるし、たぶんあまり平和裏でない解決策を提示されることだろう。
こんな時に相談できるのって、後はまぁ、大学時代の後輩くらいかなぁ。レインは話聞いたら真っ先に雲隠れするだろうしな。
「争点は、うちが異端かどうかって話ですよね」
「異端じゃなくて本流なんですけどね」
「それはそうなんですが、それ先方の前で言ったら即異端認定ですからね、主よ」
正直僕だって言いたくはないんだけど、神の呪いで反射的に答えてしまうのだから。
「幸いなのは、主が神の化身であるかどうかは、今回問題にされていないということです」
それはラッキーというか、楽な話だな。
「そういえばそうですね。何ででしょう」
「向こうも面倒だったんでしょうね」
そういってテステューさんは自身の予想を簡単に語り聞かせてくれ、言われて僕も大体納得した。
僕はこの十年近くをかけても、世界に対して、まだ自分が神の化身であるという証明ができていない。十年間ほとんど毎日一緒にいた家族やレインが未だに信用してくれないんだから。スッと信じてくれたのは常軌を逸して頭の良い人達と、あんまり物を疑うことを知らない人達くらいだろう。
一般に、不在証明は存在証明より、否定証明は肯定証明より遥かに難しい物とされているし、まぁ実際その通りだ。肯定証明すらできていないのに否定証明なんかできる訳が無い。
魔女裁判じゃないけれど、世の中の裁判なんて極論すれば、証拠をでっちあげるか、詭弁で言いくるめた方が勝ててしまうのだけれど、
僕らがあくまで「神の化身」を名乗り、自分自身を「神」と言えないのもそのためだし、神の呪いで勝手に発言が操作されるのもそのためだ。非常に面倒臭い。
聖典でも繰り返し、嘘を悪徳として説いている(別に正直さを美徳としては説いていない)ので、天与聖典教の熱心な信者は、大体滅多に嘘を吐かない。無神論者も増えてきたこの時代、大組織の癖にその辺が清浄なままだなんてなかなか信じ難いんだけど、自分の気に食わないものを怒りで八つ裂きにするような神様のことだから、昔は気軽に天罰とか与えてたんじゃないかなぁ。
で、残った問題は、真神会が天与聖典を教典とする宗教として、異端であるか否か。
これは簡単な話だ。異端である要素を一つでも挙げれば、異端認定なんてあっさりだ。
「だったら何もしなくて大丈夫なんじゃないですか? 聖母論争も片付きましたし」
「平素ならそれでいいんですけどね。我々はつい最近まで大々的に、それこそ世間に音が響くほどに聖母論争を繰り広げていたわけで。今度は立場が逆になるんですよ」
「逆ですか?」
「今度はこちらが、聖母論争の不在を証明しなきゃいけないわけです」
曰く。「天与聖典教会に怒られたから、その場しのぎでやってない振りをしてるんじゃないか。まぁそう言われますよね」とのこと。
言われてみれば、そりゃそうだ。
真神会が元祖と本家に分かれて活動していたことも、僕が毎朝二箇所で朝拝を行っていたことも、母と妻が表で不毛な言い争いをしていたことも、近所の人なら大体知っている。
それが真の聖母を決めるための争いであることは、公式に表明したわけではないけれど、言い争いの内容から筒抜けと言っても良いだろう。
教会が派遣して来る異端審問官の目の前で母と妻が肩を組んで聖歌を歌って見せたって、まあそれがどうしたという話だ。
「どうしましょう」
「どうしましょうねぇ」
どうしたものか。
救いは証拠がないことで、口論を聞いたという証言にしたって、「やだなーそんなの冗談ですよー」とでも言ってしまえば強引に乗り切れない話でもない。
こちらの唯一有利な点は、相手の情報を先取りしたという点。
情報と言っても、「そのうち異端審問にかけられるかもしれない」という程度の話なんだけども。
異端扱いされると公的な裁判にかけられるんだろうけど、この異端認定という奴は、長い歴史もさることながら、わりときっちりした物証と手順を伴うので、裁判の証拠としてそれなりの価値を持つ。持ってしまう。
賠償金はまだしも、名誉の喪失というのは宗教団体として超痛い。下手をすれば即死もありえるんだよなぁ。
なんて、僕とテステューさんが頭を悩ませていた、その時だ。
(真神会、イーサン=アンセット周辺の査察……来週の頭にするか)
そんな声が脳内に直接響き、そのまま途絶えた。
向こうは真夜中だろうに、その信仰心もさることながら、仕事熱心な人だと思う。
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