38.暗躍する天与聖典教の話
***
度外れて時代がかったその石造りの部屋は、事実、数千年の昔より変わらず“
古の教皇が奇跡にて神より賜りし宮殿は風化と戦火に晒され、幾度もの改修を経て、現在はその建材から内装まで、当時そのままに残る部分は存在しない。この「石室」を除いては。
「これ以上、あの詐欺師をのさばらせておくことは罷りならん!」
それは遅すぎる指摘ではあったけれども、今までに何度も繰り返された話でもあった。
具体的には十数年前、彼がかの未曾有の大災害、
過去二十年分の議事録には一通り目を通してはいたものの、私がこの“会議”への出席を許されたのは昨年のことで、だから私にとってはそれが最初の提起だった。
「イーサン=アンセット。神の名を騙る金の亡者め!」
憎々しげに吐き捨てる誰かの声が、覆面の下でくぐもって響く。
この「石室」で開かれる“会議”では、全ての参加者が覆面を被り、建前上は誰が誰だかお互いにわからない、という体裁を取る。これは議場において「神の前での平等」という理念を保つための慣習だが、参加者同士は互いに長い付き合いでもあるし、立ち位置や声の調子、動きの一つで互いを見分けることができる。それができないのは新人くらいの物だが、この場で最も歴が浅いのは私でも、私を除いた五人全員の識別はついていた。
ただ、それでも、決してそれを認めることは許されない。“会議”に外の身分を持ち込んではならないのだ。
「彼らの教理や典礼は、聖典に記された所と、原始教会の伝統に、ほぼ完全に合致しています」
私は、ともすれば四十も年長で、次期教皇となるとも目される枢機卿
イーサン=アンセットを神の化身として抱える“真なる神を祀る会”は、事実、我々の
一度場を設けて意見交換など開きたい、とすら思える。
「しかし、あれは頂けませんわね」
誰かがそう言った。
場の全員が発言者へ視線を向ける。
納得、賛同、侮蔑、呆れ。抱く意思の色は様々なれど、会議に参席を許される者で、それを知らぬ者は一人もいないし、反論を持つ者も一人もいない。
覆面越しにも伝わる侮蔑の色を発した一人が呟くように応えた。
「……聖母」
皆が皆、真摯に神を思い、老いてなお勤勉に道を追い求め続けている。詐欺師扱いする相手の教えすらも、読み込み知り抜いているのだ。
そう。彼らの教えは、「
神の化身自体は過去にも何度となく現れたという記録があるし、そもそも天与聖典を人の子にもたらしたのも、かつての神の化身である。ただ相手が化身を名乗っただけで、その実態を知ることもなく、不敬だ異端だと偽者だと責める過激派こそが、蒙昧な不心得者なのだろう。
ところがこの、聖母という名が、その完全性を崩した。
神が最初に創り賜うた第一の世界において、六つの種族の創り手となる「母」を生んだ。
六母と呼ばれる生命の祖らは、後に神を裏切り、神は第一の世界での居場所を失った。
聖母、という言葉はその六母を連想させ、天与聖典教の本流においては異端の考え方で、その名を名乗ることを神への反逆と捉える者も少なくないだろう。
「やはり、改めて正式な抗議を送り、彼奴らに天与聖典との無関係を認めさせねばなるまい!」
故に、その一点のみでも、他の全てを帳消しにするほどの、有り余る罪過なのだ。
天与聖典教の分派を名乗る新宗教においても、聖母を名乗る者を置いたり、聖典を好き勝手に編纂・捏造したり、神への交信を元に書いたなどとのたまう偽典を天与聖典の上に据えたりした教団は、時代ごとに散見する。それらの多くは破門、ないし聖戦により滅ぼされた。当然の報いと言える。
「これが千年も前なら、聖騎士団の派遣で片がついたんじゃろうがの。面倒臭い時代じゃなぁ」
「今だと単なるテロですからね。せいぜい裁判を起こすくらいでしょうか」
どんな名文で訴えたものかは、私の専門ではないが。
「そうと決まれば、まずは弁護士に相談だね。各人、異論はあるかな?」
「……無い」
「結構!」
「ありませんわ」
「ええじゃろ」
「私も異論ありません」
全会一致をもって、この件には一旦収まる。本部付き弁護士への相談や諸々の折衝については、私が担当することになるのだろう。厄介な仕事ではあるが、長年の懸案事項が前進したことは、率直に好ましい。このことについて考えるのは後回しだ。
そうして、議題はそのまま下半期の予算案へと移行した。
***
「いやいやいや! 面倒臭いからやめ……よう……、よ?」
叫び声は徐々に尻つぼみとなり、最後には疑問形となる。
「うん」
さて。
僕の名前はイーサン=アンセット。神の化身である。
僕は誰に言うでもなく仕切り直した。
自分の寝言で目が覚めたのは、前世以来のことだ。
大声と共に飛び起きた所で、周囲が古めかしい石室なんぞじゃなく、いつもの寝室であることに気付いた。
あれだよね。寝言で目が覚めるのって、何かすっごい恥ずかしいよね。
飛び起きた拍子でずれた掛け布団を直しつつ隣を見ると、我が妻レインは何事もなかったかのようにスースー寝息を立てている。
眠りの深いのは美徳だと思う。
ひとまず安心して、改めて辺りを見渡した。
部屋は薄暗く、カーテンの向こうにも明かりは差していない。
「……我纏う、青き者、
小声で暗視の魔法をかけて時計を見れば、午前三時。え。午前三時?
道理で眠いと思ったわ。
天与聖典教の聖地にある、神の創った石室。
そこで天与聖典教のトップっぽい人達が、何だか不穏な会議をしている夢だ。
覆面してるのはいいんだけど、それぞれ声の調子とか背格好が違うし、わざと個性つけようとしてるんじゃないかっていうか、あの覆面意味あったのかな。
夢だから細かい内容はあんまり覚えて無いけど、とにかく議題に僕の名前があげられて、全会一致で僕を訴えることにしよう! ……って所で目が覚めた。
質感や物理法則が妙にリアルで、ただの夢とは思えなかったんだけど。
神の化身は、極めて信仰心の深い信者の行動について、
……んん。何か今ノイズが入ったぞ。
受信について、極めて信仰心の深い信者が神の化身について強く思考を集中させた場合、これが可能となる。
送信について、神の化身が意図した時に、極めて信仰心の深い信者へ意思を送ることが可能となる。信者側がこれを受けて神の化身を意識した場合、双方向の会話が行われる。
神の化身の睡眠中など、意識を失っている場合、神の化身は自身が信者に乗り移ったかのような錯覚を持つ場合もある。
久しぶりに神の化身として植えつけられた疑似記憶が勝手に再生されたんだけど。
要は、また信者が増えたから、新しい能力が使えるようになったよ、って話ね。
相手は天与聖典教の偉い人だったみたいだけど、この信仰心ってのは、僕個人じゃなく、神へ向けられる物ってことで良いのかな。そりゃそうだよな。あの神様が、「僕個人への信仰心」なんて物の存在を認めるはずがない。全ての信仰心が神様に向けられるようにするために、神の
あれ。ってことは、さっきの夢って、実際にあったことなのか。
大体当地とは半日くらい時差があったはずだから、こっちは真夜中でも、向こうでは昼下がりなのね。
て。え。やばくないか。
僕、なんか訴えられるの?
大手宗教のお抱え弁護士さんって、たぶん超優秀な人だよね。
ええええ。やばい。面倒くさいんだけど。
僕別に神の名を騙った詐欺行為なんか働いてないんだけど。
あれか、そういえば「聖母」がまずいって言ってたな。
その件は一応解決したんだけど、流石にそこまでは情報伝わってないのかな。
どうしよう。どうしたものか。
僕は焦って周囲を見渡す。
暗視魔法の効果が残った視界に、壁掛け時計が映る。
午前三時十分。
よし。
時間を認識すると、途端に眠気がぶり返してきた。
「寝よう」
面倒ごとは全て、きちんと寝て起きた後の自分に任せることにしよう。
そう決意して、僕はひとまず、二度寝に就いた。
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