34.姉にお金を借りた話
僕、イーサン=アンセットは神の化身だ。
何度も言うとおり神の化身とは、一般に信じられている「神自身が現世に人の姿で垂迹した存在」ではない。
いや、一般に信じられているというと語弊があるというか、正直僕が神の化身だと本気で信じてる方々がどれほどいるのか知らないんだけど、まぁとにかく、僕は神ではない。
神の化身というのは、神の奇跡を代行して信者を集めるための現地駐在員。
より一般的な言い方をすれば「神の使い」というべきなんだろうけれど、もし駐在員を「神の使い」、神以外の存在であるとしてしまえば、本来神へ向けられるべき信仰が駐在員の方に向いてしまう恐れがある。遠くの神より近くの使いということだ。
それでは困るということで、神は化身に、「神の化身」以外の名を名乗ることを
似たような理由で、神の化身は奇跡の力を信仰獲得以外の目的に使うことを禁じられている。
例えば、奇跡の力で金儲けでもしようものなら、神を信じずとも金を信じる輩がいくらでも集まってくる。そうした者が崇めるのは「神の化身」ではなく「金を持った人間」となってしまう。これは神としては面白くないので、奇跡の力を私利私欲に用いると、生きたまま八つ裂きにされ、一千一秒の間絶えることなき苦痛を与えられて、死後も地獄の最下層で無限の罰を受け続けることになる。
だから、僕は一般的な中学生程度の収入源しか持っていないことになる。
僕の収入は両親からの小遣いだけで、アンセット家の月々の小遣いは「小学生の内は学年×百円、中学生の内は学年×千円」と固く定められているのだ。
神の化身と言えどその正体は人間、家庭の教育方針に逆らうことは出来ない。
「何をするにしても、まずは先立つものが必要です」
金の力で悪徳マルチ商法団体をねじ伏せる、というのが今回の目的であり、目の前のアイヴォリーさんも、そのために雇われた経営コンサルタントだ。
その依頼料を出したのは僕の知人の友人であり、かつて僕が命を救ったことにもなる、宗教団体総裁令嬢。
まずはこれくらい用立てて頂きたいのですが、と算盤を弾いて見せるアイヴォリーさん。
二千五百年分の小遣い額を前に、僕は自分の資産状況を説明した。
「宗教家の癖に金がないのですか」
そういって、銀縁眼鏡の奥の双眸を丸くする。
「すみませんね。教団は人に任せてますし、奇跡の力で金儲けをするのも、神の化身としてどうかなと」
どうかな、じゃないな。八つ裂きだな。
「となると、困りましたね。どなたか融資元に心当たりは?」
「無いこともないですけど」
まあ、僕の周りにもお金持ちはいる。
アイヴォリーさんの雇い主である宗教団体総裁令嬢にこれ以上頼るのは気が引けるけど、うちの教団の代表巫女なら気軽に出してくれるかもしれない。あの人わりと金離れいいしなぁ。
でも、それって教団の私物化になんないかな。目的は宗教全体のイメージ向上のためで、一応布教に繋がるとは思うんだけど……もし神の怒りに触れたら八つ裂きだもんなぁ。
前なんて、奇跡より手品の方が子供に受けたってだけで、八つ当たりにカードケースを黒焦げにされたんだよ? 正直あの神様には全然信用ないんだけど。
「教団から出すのは、無理そうですね」
教科書にまで載るような一流大学教授とか、売れっ子イケメン天才手品師とか、お金を持っていそうな人はいるんだけれど、こんな話で借りるのも申し訳ないなぁ。
僕は空になったグラスの中に奇跡で生み出した神像を弄びながら、考えを巡らせる。
神の化身には
ただ作り出すだけなら、ダイヤモンドや琥珀は水属性、その他ほとんどの宝石は地属性魔法で作ることができるのだけれど、魔法で作り出した物質は一部の例外を除き、時間が経てば魔力の流出で消えてしまう。
奇跡で創出した宝石は物質として残るため、売ればお金になったりもするのだろうけれど、神の化身である僕にとっては関係のない話だ。
僕が奇跡で生み出した宝石は全て父を通して処分して貰っている。
それとは全然関係ないんだけど、父はアンセット宝石貴金属販売株式会社なる宝飾店を経営しており、そこで扱う上質かつ大ぶりな宝石はセレブの間で非常に人気が高いらしい。
それともまったく関係ないんだけど、僕が迷える仔羊達のために、無償で、奇跡を用いた占いをしている近くで、たまたま金地金のチップを売る商売をしている母。
僕が占いをしている部屋へ続く廊下をたまたま所有しており、たまたま金地金のチップと引き換えにその通行権を貸し与える商売をしている姉。
その二人とも、経営の方は極めて順調とのことだ。
あんまり関係ないとは思うんだけど、姉が回収した金地金はどこかの宝石貴金属販売業者にまとめて買い取ってもらってるみたいで、母の売る金地金チップはどこかの宝石貴金属販売業者からまとめて仕入れているらしいよ。よく知らないけど。
要するに、僕の家族は、僕以外はたいそうな稼ぎがある、ということになる。
といっても、両親には言いにくいとこだよね。お小遣い二千五百年分前借りさせて、とか。
でも、まぁあれだ。
「あ、じゃあ姉に借ります」
姉ならわりとその辺適当な所もあるし、そもそも件の悪徳団体を潰せと最初に言い出したのは、あの人なんだから。
懸案事項の片付いた僕は、アップルジュースをストローで啜る。
グラスは空だ。中にあるのは神像と、氷の解けた水だけ。
ずずずずず、と音が鳴る。
顔を上げると、アイヴォリーさんが怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「何かありました?」
「失礼ですがシュー君、お姉さんのお仕事は?」
「確か、廃品回収と施設レンタルの会社、だったかな」
問われて答えると、ああ、と得心の表情を浮かべる。
「お姉さんのお名前は、ヴァイオラさんと仰いませんか」
その通り、姉の名前はヴァイオラ。ヴァイオラ=アンセットだ。
父は人を代名詞でしか呼ばないし、母は「お姉ちゃん」としか呼ばないから、弟の僕ですら時々忘れそうになるんだけど。
「姉のお知り合いだったんですか?」
「いえ、直接は。しかし、アンセット家と言えば、こちらの業界では有名ですからね」
「え、何ですかそれ」
僕はいささか引き気味に問い返した。
怖いんですけど。別にうち経営者一族とかじゃないんですけど。
父方の祖父は勤め人だし、父もちょっと前までそうだったし。母方の祖父は一応アパート経営してるけど、あの人アンセット家じゃないよ。
というより、僕の個人名は覚えてないのに苗字の方は覚えてたとか、余程「アンセット家」なる物は印象深い連中なのか。
「昨年の上半期、何の前触れもなく連続的に起業し、数万円の資本金から各々数億の年商を弾き出した三社。その社長達に共通する姓が、アンセット」
そう言われると、納得できないでもないけれども。
確かに傍から見てても意味わかんないよね。僕もわかんないもんな。
最初の頃、父が何処からか仕入れてきた宝石を売ったお金で金地金を仕入れてきたって話は聞いたけど、そこから先は僕も全然知らないし。
「しかし、成る程。そういうからくりでしたか」
どういうからくりなのか、全然わかんないけど。
いや、自分でもくどいとは思うんだけど、僕だって八つ裂きは嫌なんだよ。
***
翌日、僕は姉と連れ立って、同じ喫茶店へとやってきた。
中では既にアイヴォリーさんが待っており、僕達が入るとテーブルの脇に立ち上がって、軽くお辞儀する。
僕も会釈を返し、姉は頷きながら片手を挙げて応えた。
「君がアイヴォリー君かね」
姉は値踏みするように、アイヴォリーさんの頭から爪先まで視線を往復させる。
何キャラのつもりだ。社長キャラか。そうか。
「アイヴォリーさん、こちら姉のヴァイオラです。こんなキャラではないです。姉さん、こちら経営コンサルタントのマリウス=アイヴォリーさん」
ボケに乗る必要もないので、間に立ってそれぞれを紹介する。
「お初にお目にかかります、ヴァイオラ=アンセット社長」
「ヴァイオラで結構。見た所、随分とお若いようだが?」
「たぶん姉さんより年上だし、そのキャラやめて欲しいんだけど」
「ふむ」
姉は鷹揚に(そして絶妙に薄っぺらく)頷くと、「ふー」と息を吐き出し、首を回しながらテーブル席の椅子に腰掛けた。
僕はその隣に、アイヴォリーさんは元々座っていた姉の向かいの席につく。
「にしても、アイヴォリーさん、お幾つ? いつからこんな仕事やってんです?」
社長キャラをやめた途端に軽くなる姉。
「今年で二十一になりました。現在は大学で、」
「えー、二十一? なんだタメじゃん! マリウスって呼んでいーい?」
同い年だとわかった途端更に軽くなる姉。
机の上に身を乗り出してアイヴォリーさんの肩をばしばし叩いている姉を引き戻し、僕はちょっと怯え気味でうんうん頷いているアイヴォリーさんに頭を下げた。
「すみません、アイヴォリーさん。これが出資者です」
「いえ……宜しくお願いします、ヴァイオラ社長」
「あっはは、頼むよマリウス君!」
机の下でアイヴォリーさんのふくらはぎへインサイドキックを繰り返す姉の足に、自分の脚を絡めて押さえつけつつ、足の主に喫茶店のメニューを渡す。
即断即決で店員を呼ぶ姉に注文を任せ、改めて同席の二人を見渡した。
大丈夫なんだろうか、これは。
金に貴賎はないというアイヴォリーさんだし、出資者を恐れて逃げ出したり、細切れにして火を点けたりはしないと思うけど。
僕の心配を他所に姉は上機嫌だし、アイヴォリーさんは目線を逸らし続けている。
注文を終えた姉はメニューを壁際に立てかけると、
「で」
とテーブルの上に肘をついて倒れこみ、
「例の悪徳糞宗教を叩き潰す話だけど」
顔だけ起こして、にやりと笑った。
怖いんだけど。何キャラのつもりだ。
どう反応すればいいんだよ。
アイヴォリーさんどんな反応してんの?
引いてる? 怯えてる? 大丈夫?
と、姉の視線の先を辿ると。
闇夜の崖を覗いたように。
昏く。
冷え切った瞳で。
「はい。悪徳糞マルチを、捻り潰しましょう」
そう頷くアイヴォリーさんがいた。
怖いんだけど。
あの、これ僕もう帰っても良いかな?
僕関係ないことはないけど専門外の話でしょ? 別に暇な訳じゃないしさ。
「金に溺れる連中は、よりでっかい金の流れで溺れ死ぬってーことよ!」
「本当の金の使い方というものを、彼等に教えてやりましょう」
ほら、何か意気投合してるみたいだしさ。
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