33.牛を二頭持っている話
僕とマリウス=アイヴォリーさんは、仲介役を担ってくれたリータ・レーナ=レフトさんと別れた後、喫茶店で今後の対策を練っていた。
悪徳業者としてのヘイワ波動電磁研究所、それをいかにして打ち倒すかという話だ。
喫茶店で水だけ飲んだレフトさんは、二人分のコーヒー代には随分余るほどのお金を置いて席を立った。
慌てて立ち上がった僕に向かい、
「シューさんにはそんな端金消し飛ぶほどお世話になりましたしね。好きなもん注文して、余ったら取っといたってください」
と笑いながら走り去ってゆくレフトさんにお礼を言って見送り、僕はアップルジュースとハムサンドを、アイヴォリーさんは紅茶と季節の果物セットを頼んだ。
ひとまず喉を潤し、まずは改めて目の前の相手にお礼を言うこととする。
「今回は、知り合いでもない僕なんかに御力をお貸し頂いて、ありがとうございます」
と頭を下げると先方は、
「いえ、お気になさらず」
と真顔で返し、こう続けた。
「今回は経営コンサルタントとして先輩から業務依頼を受けまして、正式な報酬も受け取っていますので」
一瞬、息が詰まる。
わー、どうしよう。
知らない間に、レフトさんには思っていた以上にお世話になっていたらしい。
そうと知ってたら、もっとちゃんとお礼を言えたし、何かしらお返しも用意してたのに。
今度何か贈ろう……フルーツとか、蟹とか、乳酸菌飲料の原液とか。蟹は先方の地元の方が本場だったかな。
悩んでいる間にハムサンドを食べ終えてしまう。
困ったな。奢りだとわかったから、お腹が空いてきたぞ。
僕は軽く摘まむのにと、カルパスを一皿追加した。
***
ところで、僕、イーサン=アンセットは神の化身である。
神の化身であると共に、若干十五歳の中学生でもある。
一応前世では大学に入るまでは生きていたのだけれど、二流大学の文学部生に経営・経済の話をされても、ピンと来るものではない。
じゃあ専攻してた分野はどうなのって聞かれたら、そもそも僕の専攻してた分野って何なの、ってことになるけれど。
これはあれだ、たぶん、転生時の霊魂移動時における部分的な記憶の摩耗か何かじゃないかな。きっとそうだ。そういうことにしておこう。
そんな話は良いんだ。
簡単に言えば、「難しい話をされてもよくわかんない」ということ。
しかしそんなのは要らぬ心配だったようで、ご本人の先輩殿(何の先輩かは知らない)いわく“金儲けの専門家の卵”である所のアイヴォリーさんは、そんな僕にもわかりやすく解説してくれたのだ。
「君は牛を二頭持っています」
実に
最も古く最も大きな宗教である
神様オリジナルの日記や警句の他にも、ページの水増しのため、僕が前世を生きていた
そう、で、「君は牛を二頭持っている」もその中の一つだ。
牛を二頭持っている人がチキンや卵を食べたくなって、その内の一頭を鶏と交換しようとする。だけど、常に鶏を持っている人が牛との交換を望むわけではなく、鶏オーナーが豚肉を食べたいと思う日もあるだろう。そんな時、いつでも適切な値で牛とお金を、お金と鶏を、お金と豚を交換できる貨幣経済って便利だね……みたいな話だったかな。たぶん。
そこからの派生で、様々な経済体制や社会政策、果てはあらゆる事象を二頭の牛のパロディで表す、というようなジョークがあるんだよ。
アイヴォリーさんはメモ帳に牛と農場の絵を描きながら説明を続ける。
牛が超上手い。すごい。
「その牛を農場に預けると、農場の一画を借りることができるようになります。借りた一画には、他の人の牛を預かることができ、預かった牛の出す牛乳の一部を農場から貰えます」
農場から矢印を引き、その先に牛乳瓶の絵を描く。
「言葉にすると、びっくりするくらい薄いメリットですね」
しかし牛が上手い。吹き出しで「モー」って鳴いてる。可愛い。
「はい。この時点では完全に赤字でしかありません。しかし、この借りた一角に、牛をどんどん受け入れていけば」
そう言いながら、農場にいる牛の背後に、新たな牛を二頭描き足す。
二頭の牛から矢印を引き、それぞれに牛乳瓶が付属し、牛達は吹き出しで「モー」「モー」と鳴く。可愛い。
「この預かった牛の持ち主は、君の農場の一画を借りることになるわけですから、彼らが預かってきた牛の分の牛乳も貰うことができます」
二頭の牛の背後に、それぞれ二頭ずつの牛が描き足される。
四頭の牛から矢印を引き、それぞれに牛乳瓶が付属し、「モー」「モウ」「モーモー」「モモウ」と吹き出しが並ぶ。可愛い。
「と、このように分配される牛乳は紹介者数、及び紹介者の紹介者数によって膨らんで行き、元の牛の牛乳生産量を遥かに上回る牛乳を得ることが出来ます」
説明の合間にも、アイヴォリーさんはどんどん牛を描き、矢印を引き、牛乳瓶を描き、「モーゥ」「モッモウ」「モンモーウ」と鳴かせてゆく。
「すごい狭いですね」
「はい。従って、近い内にこれらの牛は農場の草を食べ尽くし、餓死により全滅します」
「おわぁ」
アイヴォリーさんは切り取ったメモ帳をビリビリに破り捨て、丸めて灰皿に突っ込んだ。
親の仇でも相手にするような入念さで細かく千切られた農場の残骸に向けて小声で詠唱、魔法の小火を放つ。
え。
なに、どうしたの。
怖いよ。
カップの紅茶に口をつけて一息つくと、メモ帳の新しいページにひび割れた大地とサボテンを描き始める。
まだ説明は続くらしい。
「そうして荒野となった農場に、そうとは知らない君達から、新しい牛が送り込まれます。牛は牛乳を出す間もなく息絶えます」
そう言って、牛の骨を荒野に描いた。
「これがマルチ商法です」
「あっ、はい」
そういえばそんな話だったね。
「ここまでで、何かご質問は?」
「最初に僕?が持っていた二頭の牛の一頭しか出てきてませんけど」
「この手の話にはよくあることです」
「そうですね」
わかったようなわからないような話だったけど、とりあえずアイヴォリーさんがマルチ商法を憎悪していることだけは判然としたぞ。
「ちなみに、牛の喩えで言うと、宗教法人なんかはどうなるんでしょう」
「そうですね。君は牛を二頭持っています」
「はい」
「二頭の牛の首を切り落として祭壇に捧げサバトを開くと、数日後に牛はただ腐り果てて悪臭を放ち、死骸に蛆が涌きます」
目が泳いだ。
物腰も丁寧なインテリっぽい雰囲気ながら、早々にその第一印象を引っくり返してきた目の前の経営コンサルタント。
どうも宗教にも深い憎しみがあるらしいぞ。
大変怖い。
「え、ええと……ごめんなさい?」
「何を謝られているのですか?」
「生きていて……?」
きょとん、とした顔でこちらを見ているアイヴォリーさん。
あれ、これは大丈夫な感じのやつなのかな。
先程の会話を反芻していたのだろうか。
数秒の硬直の後、アイヴォリーさんは少し低い声で「あ」と声に出して、首を横に振ってみせた。
「金に貴賤はありません。どんな業務であろうと、契約を受けた以上はそれに見合った仕事はしてみせます」
ぎりぎり大丈夫じゃない感じのやつだった。
しかしだ。
申し訳ないからもういいです、今回の話はなかったことに、とはいかないのだ。
荒野になった農場のように、問題自体は近い内に勝手に終結するんだろうけど、やっぱりねぇ。
別に実際にアイヴォリーさんが宗教関係者をバラバラに引き裂いて灰皿の上で炭にしたのでもないんだよ。
レフトさんにお金まで出してもらって、怖いから嫌だってわけにはいかないもの。
とにかく怒らせないように、平和に事を進めよう。
そんな風に決意して曖昧な愛想笑いを浮かべている僕を見て、アイヴォリーさんは「あー」と、小さく呟く。
少し俯いて、外した眼鏡を掛け直す。
「趣味や職業で人を決め付けるようなら、先輩との付き合いもありませんよ」
そう付け足して、フォークに差した梨をかじった。
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