31.討伐依頼を受けたので、応援を頼んだ話
居間で眉間をほぐしていた所に、踏み鳴らすような足音を立てて、誰かが帰ってくるのが聞こえた。
誰か、も何もないか。父ならもっと足音の間隔が広いし、母は台所で夕食の支度をしているのだし。
「イーくん、きーてよ。さっきまたアホのカールがさー」
姉は苛立ちを長音に込めてそう吐き出すと、持っていた鞄をソファに放り投げた。
バウンドして、床に落ちる。
「だぁぁーっ、くそっ、アホのカールめっ!!」
八つ当たりからの逆恨みだ。
「どうしたの」
僕は鞄を拾い上げながら尋ねる。
「そーそー、あのアホがよ!」
ちなみに、先程からアホアホと言われているカールさんというのは我が家の隣人であり、僕の幼馴染であるレインのお兄さんで、姉以外からは特別アホと認識されることもない、普通の学生さんだ。僕やレインの四つ上だから、姉の二歳下になるんだったかな。
「あろうことか、この私を悪徳宗教に勧誘してきやがったわけ! わけわかんない宗教なんか間に合ってんのよ!!」
困ったな、返答がしづらいぞ。
「百歩譲ってその辺に飛んでる程度の電磁波で寿命が縮むとして、あんなシールで何が防げるっての!!」
と思っていたら。
想像していたよりも、タイムリーな話だったらしい。
そりゃそうか。あの幼馴染が噛んでるなら、真っ先に狙うのは身内になるだろう。あの小娘、本人が思ってるよりも、わりと考え無しだからな。
生活が破綻しない程度には搾られるだろうし、ショップメンバーとやらにもされていることは、想像に難くない。
「イーくん、レインちゃんに頼んで、あのアホ更生させてやってくんない?」
「無理だと思うよ。たぶん誘ったのレインだし」
「あー、そーゆーね……なら無理か」
姉も僕らが物心つく前から、僕やレインの面倒を見てきた身だ。
彼女が「わかっていてやっている」時は、正攻法が通じないことくらい、経験で判っている。
「にしても、むかつくもんはむかつくわ」
「買う方も売る方も、好きでやってるならいいんじゃないの? 破綻は目に見えてるけど」
マルチなんていずれは顧客の新規開拓ができなくなって潰れてしまう、カウントダウン付きの商法なのだ。ごく稀に五十年くらい続いてた企業もあった気がするけれど、なにぶん、前世のことだからよく覚えていない。
姉はキッチンからグラスと牛乳パックを持って居間へ戻ってくると、ソファに座り、手酌でたちまち二杯を飲み干した。
「イーくんの商売敵でしょ! またこないだみたいにパーッと行って潰して来なよ!」
「商売敵って言っても、相手は科学のつもりだし……エセ科学信者って、『宗教イコール詐欺』みたいな固定観念持ってるから、あんまり会話したくないんだよね」
怖いのだ。彼らは。
これは科学ですよ、と言って口で説明された物は無批判で受け入れるのに、これが奇跡ですよ、と実物を見せると怒り出す。
宗教に親でも殺されたのかな。在り得るな。今度からもう少し優しく接しよう。
「いーわけしない! 宗教人なら、邪悪な犯罪組織に騙され搾り取られている哀れな大衆を救いなさい!」
姉は私怨にまみれた正論と共に三杯目の牛乳を飲み干し、空になったグラスと牛乳パックを手に、キッチンへ戻った。
***
夕食を終えて夜。
夕食の間も気炎を吐き続けていた姉を見兼ねて、両親からもHVL討伐の指令が下った僕は、ひとまず協力者を募ることとした。
神の化身業のマネージャーである幼馴染はあの通りだし、こちらに確実な勝算が出来ないことには、しばらくあのポジションに居続けることだろう。
この手の話は、僕を信奉する教団の代表巫女、テステューさんに相談するのが妥当かな。と、先方に念話をかける。
この念話というのも、結局ほとんど前世の電話と大差ない仕組みであることがわかって、些か残念な気持ちではある。それを知れたのがエセ科学組織の機関誌だったというのも、何となく悔しい。
ちなみに、念話はその仕組み上、無線にすると屋根に設置するようなサイズのパラボラアンテナを、常に基地局か中継装置へ向けなきゃならないから、一般向けの携帯念話機なんてのは開発されてないんだけれど。
貰った名刺の念話番号をプッシュし、二回目のダイヤル音が鳴る前に、先方からの応答があった。
「はいはい、こちらテステューです。何かありましたか、
相変わらず僕への呼び名と口調のバランスが取れていない気がするのだけれど、それを本人に言って、妙にお堅い神官口調になられてしまっても困る。
どちらかというと、呼び名の方がおかしいのに、そこを変える気はないらしいのだ。
「夜分にすみません。少しご相談があるんですけど……」
僕は幼馴染のことには触れず、テステューさんにヘイワ波動電磁研究所の件について相談し、「どうにか対応できませんかね」と、極めて曖昧な要請を行った。
「はー、そんなものが流行ってたんですね。ルルドでは全然見ませんよ」
テステューさんの宗教法人、真なる神を祀る会の総本山があるルルド村は、電車とバスを乗り継いだ後に山登りが必要なほどの立地にあるため、勧誘の魔の手も及ばなかったんだろう。
「ピアスとかネクタイなんかもあるんですか? 商品開発部もよくそんなダッサいノベルティ作りましたね」
と先方はカラカラ笑う。
前身の組織である“女神の涙”は、ユニフォームとしてピンクのTシャツとピンクのジャージを身に纏っていた。当時教祖だったテステューさんもピンクの法衣を着ていたし、あまり他所のことは言えない気もするんだけれど、他人の趣味にとやかく言えるほど、僕のファッションセンスは秀でてはいないのだ。
それでも、HVLのロゴは酷いと思うけど。
「で、宗教全体のイメージ向上のためにも、こういう怪しい組織は潰しておいた方がいいんじゃないかと言われまして」
そう言ったのは父である。以前は墓苑管理会社に勤務していた父は、若い世代の宗教に対する悪印象については、身をもってよく知っている。
この国には国教と呼べるほど広く信仰される宗教はなく、多くの人々は無宗教で、結婚式や葬式などの儀式的なイベントや、人智を超えた困難に接した際、思い出したように神に祈るのが一般的だ。前世で生まれ育った国に近い環境なのは偶然だろうけれど、僕をこの世界に転生させた神が「とりあえず一番信者の少ない地域に送り込もう」と考えただろうことは、想像に難くない。
そんなわけで、父の会社も時代に即したリリジョンフリー、宗教的な制約なく自由な墓石、墓標を建てられる管理会社だった。
のだけれど、特に宗教全体に苛烈な敵対意識を持つ若い世代が、自分や家族の墓標に本人を象った石像だの、自分が彫った前衛芸術だの、魔力を込めるとハサミと脚が動く巨大な蟹の模型だのを置きたがることが増えていたらしい。
それが他の客からの評判がすこぶる悪く――そういう特殊な墓標を建てる者同士の間でも、互いに趣味の悪さを嘲笑いあっていた――宗教に対する漠然とした苦手意識がなくなれば、そういった悲劇も減るのではないか。葬儀の場で参列者がポップミュージックを唱和する中、スポットライトを浴びた棺桶が宙乗りで出棺されるような惨劇もなくなるのではないか。
「あー、ま、世間様では宗教扱いですよね」
「はい、でもあれですよね」
「それなんですよねー」
それなのだ。
まともな科学知識があればエセだとすぐにわかることでも、信じている側から見れば、それは宗教などという胡散臭い物とは次元の異なる、高級な学問なのである。
本気で信じてはいない人間でも、金銭目的や、自分より頭の悪い人間を陥れることで得られる自尊心の高まりを求めて、顧客拡大の為に信じ込んでいる振りをする。
結果、周囲から見れば「怪しい団体」、すなわち「宗教」と目される。
純真な信者に関して言えば、周囲から見れば宗教団体なのに、本人達はつとめて科学的であるつもりだから、一緒にされるとすごい怒るし、非科学をすっごい馬鹿にする。超面倒臭いのだ。
テステューさんなんかは子供の頃から教祖になることが決まっていたような人だし、嫌な思い出は色々あるだろう。
僕は街中や学校でからかわれたりした程度だけれど、似たような人達は、それなりに相手にしてきた。既存の
真面目な話、僕という存在がここにいる以上は、神の存在はまったく「非科学」的ではないし、実際にテレビ番組で僕の奇跡を目の当たりにした一流大学の教授はすぐさま神の化身の存在を認めたのだけれど、うーん。
「非科学的って、“科学的でない”ことじゃなくて、“非科学的である”ことらしいですもんね」
心から面倒臭そうに、テステューさんは笑い捨てた。
僕もそれに合わせて苦笑いをこぼす。
「こういう話は、相手の土俵で潰した方が早いですよ」
「あー、科学で迎え撃つ感じですか?」
「いえいえ主よ、うちも長年エセ科学はやって来ましたからわかりますが、あの手の輩は科学には屈しませんよ」
え、あれあっさりエセ科学って認めちゃうの。
僕は一瞬言葉に詰まる。
「……“女神の涙”の治療法って、手順と技術さえ整えば、わりとまともな効果が出せるんですけど」
これは本当の話で、僕が神の奇跡で人を癒す時も、奇跡の力をその治療法をベースにして行使しているのだ。
「私達がやってたのは、初代のやり方を形だけ真似た、偽薬頼みのエセ科学ですよ。それでも心の苦しみを癒す役には立っていたと自負していますが」
テステューさんはあっけらかんとそう述べた。
サラブレッドの宗教家って、こんなもんなんだろうか。
先方は幼少期からの英才教育に加え、大学でも宗教を学んでたとか聞いたことがあるけど。
「我々は、科学的検証に対する銀弾ワードを持っていてですね」
「と言いますと」
「“現代の科学では証明できない”。これですよ」
……そういえば、何かそんな台詞誰かが言ってたな。
あれ自覚あって言ってたのか。根深いなぁ。
「だから、相手の土俵で倒すのです。“女神の涙”の本業は宗教でしたけど、その、なんたら研究所の本業は商売ですよね」
「ああ。そっちですか」
「ので、私は今回はお役に立てませんね」
「僕も立てないんですけど」
二人して念話越しに敗北宣言を表明する。
そこで、会話が止まった。
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