30.幼馴染からマルチ商法に誘われた話
夏休み明け、登校初日。
久方ぶりの教室で、僕は半月ぶりに会った幼馴染の女の子から、悪性波動なる未知の現象についての講義を受けたわけだ。お互いに高校受験を控えた身でもあるし、流石に始業式の間は大人しくしていた彼女だけれど、「放課後に続きするからね」とのお達しを受け、陰鬱な心持で式を過ごした後、放課後、連れ立って校舎を後にした。
まだ日が高い。
馴染みの喫茶店で、いつも使っている窓際のテーブル席で向かい合わせに座る。
幼馴染はおもむろに、モノクロのエセ科学グッズをテーブルに並べる。
少し涼しくなってきたとは言え、まだまだ秋とは言い難い季節。幼馴染はアイスココアを、僕は生搾りオレンジジュースを注文し、それが来るまでの間、機関誌『安らぎ』を読みながら悪性波動とヘイワ波動電磁研究所についての簡単なおさらいを受けた。
「以上がHVLの活動」
「そこまでは一応理解したよ」
「まぁ二回目だもんね。それで、ここからが本題なんだけどね?」
ちなみに、HVLとはヘイワ波動電磁研究所の略称らしい。
「HVLでは、この発明を広めて、より多くの人を救うため、勧誘補助のための制度を設けてるのよ」
もうこの時点で嫌な予感しかしない。
そして、幼馴染の講釈が始まった。
ただし今度は科学ではなく、数学についての話だ。
「例えば、私の紹介でサニーがこのステッカーを定価で買うとするじゃない」
「買わないけどね」
「すると、その代金の十五%が私の懐に入るのよ」
「結構ハネるね」
「そう、だから結構お小遣いになるのよね。それに、実際必要な物ではあるから、サニーも損はしないでしょ?」
「真顔で言うのはやめよう」
会話が周りの人に聞こえてるんじゃないか、というかそもそもこんな目立つ席で、テーブルにこんな怪しげな品々を並べてる時点でアウトだよ、とこっそり周囲を見回す、と……おお。なんてことだ。
よく見ると、隣のテーブルの女子高生達はお揃いで、三重の円と四十五度に傾く正方形の、HVLロゴ入りピアスをしている。カウンター席のお兄さんもロゴ入りタオルで汗を拭っているし、奥のテーブルの営業マンはHVLのロゴ入りネクタイを締めている。店の壁には「当店のお飲み物には波動浄化水を使用しております」との貼り紙が――え、何それ。逆に怖いわ。生搾りオレンジジュースにしといて良かった。
「そしてここからが重要なんだけど。まず、私の紹介でサニーがショップメンバーになるでしょ」
「専門用語はやめよう」
「そして、私の紹介で始めたサニーが商品を売ると、サニーに十五%の報酬が入るでしょ」
「ならないけどね」
「それに加えて、サニーを紹介した私にも、ボーナスで売上げの十%が報酬として入るの」
「それ原価相当安いよね」
これ大丈夫なんだろうか。
いや、大丈夫ではないんだけど。
目の前の幼馴染は、稼げるだけ稼いで、恐らく
未成年であること、「犯罪だと知ってすぐにやめた」という建前のあること等を盾にすれば、まぁ罪には問われないという目算があるんだろう。
そういう意味で僕はこの幼馴染のことを信頼しているし、そういう信頼には答えてくれる相手だ。
一通り勧誘の流れを終え、僕が話に乗ってこないことを確認すると、「でしょうね」とばかり、話題は夏休みの間のこと、受験についてのことに移る。
一頻り話し込み、割り勘で会計を終えると、外は既に生搾りオレンジジュースのような夕暮れ刻だった。
家の前まで二人で並んで帰り、玄関先で別れる。
それにしても、社会問題だな。
よく気をつけてテレビニュースや新聞記事に目を通すと、なるほど、端々に小さく例のロゴマークや、波動についてのコラムやトークが散見された。
街頭インタビューを受ける人の背後に、ロゴ入りタオルを首にかけた通行人が映る。
ホームランを打った野球選手が、ヘルメットにロゴ入りステッカーを貼っている。
健康コラムに「十分な睡眠とバランス良い食生活で波動を整え」なんて表現が入っている。
今まで気にも留めていなかったけれど、流行始めたのだろう夏の後半は大体出先にいたし、主な出先だった田舎の方や海外では、あまり取り沙汰されてもいなかったように思う。少なくとも、路上を見回したら十人中七人がロゴ付きグッズを使っていた、なんてことは、なかったはずだ。
内容自体は明らかにエセ科学だし、やってることは完全にマルチ商法で、普通なら近寄らないだけで済む話だ。こんなあからさまな犯罪組織は、すぐに公権に潰されるだろう。すぐに、というのが、今年中なのか、五年後なのかはわからないけれど。
身内も絡んではいるけれど、危なくなったらきっちり手を引くとは思うし。
商売の方向性から、「一般社会と隔絶された集団生活」や「思想に基いた公共施設への破壊行為」に突き進む気配はなさそうだけれど、それでも「恐喝紛いの勧誘行為」や「借金苦による保険金自殺」くらいは、将来的に起こるかもしれないし、もう起こっているのかもしれない。
そんな事件が公になってからようやく、社会問題は社会で問題にされるのだろうし、そうなったら既に手遅れだ。
僕は一人勝手に陰鬱な気分になり、居間のソファから床へ滑り落ちた。
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