22.異教の教祖に会った話

 宗教法人・女神の涙は、現在は難病の治癒を売りにして信者を集めている教団なのだけれど、元々は毒属性所持者やその家族を迫害から守るための組織だった。

 現在でも、教祖とその補佐役である司教には、毒属性所持者しかなれないという決まりがある。

 毒属性所持者、と言っても、実質上教祖には開祖たる「女神」の子孫がなるという暗黙のルールがあり、この百年以上は、司教になる家系もほぼ限られている。遺伝上、複合属性の家系には複合属性所持者が生まれやすいというのはあるんだけど、直系に毒属性が生まれなかった場合は傍系から養子を取ることもあるらしい。


 現教祖、マドレーヌ=テステューは女神の血を引き、「過去十代で最も女神の力を強く受け継ぐ教祖」と言われている。

 こういうの聞くと、「五十年に一度の天才」とか「ここ数代で最高」とか「ここ数代で最高と言われた先代を上回る力」とか謳われた教祖もいたんじゃないかと疑ってしまうんだけど、気軽にそんなことを訊ける空気ではない。


 その女性は、蟹であった。


 僕は慌てて教授の袖を引く。


「教授、あれって」

「ふむ。蟹ですな」


 蟹だった。


 教祖の部屋として通された一室。奥の一面がガラス窓になっていて、ドアのない二面は絵画や本棚、書類棚が並んでいる。

 部屋の中央には三人掛けのソファが向かい合わせに一組、その間にレースのテーブルクロスがかかったガラスのテーブル。

 部屋の奥、ガラス窓の手前には大きく重そうな木製の机があり、その奥の革張りの椅子に、人間ほどもある蟹が座っていた。


「まさか蟹が教祖とは」

「蟹が相手ではどうしようものうごんす……」


 村長親子もそれぞれに驚きを隠せない様子だ。


 これどうしたらいいの。

 ツッコミ入れていいの?

 それにしても、何て?

 「蟹だろ!」とか?


 呆然と言うよりは、もどかしい気持ちで僕達は蟹を見つめていた。

 その脇を、シャルル司祭が溜息をつきつつ、足早に通り抜け、机の裏に回りこむ。


「教祖様、お戯れが過ぎます」


 そう言って蟹を持ち上げると、


「あはは、すみません。お客様なんて久々だったもので」


 という女性の笑い声と共に、机の下から、巨大なウニが出てきた。


 僕は慌てて教授の袖を引く。


「教授、あれって」

「ふむ。ウニですな」


 ウニだった。


「まさかウニが教祖とは」

「ウニが相手ではどうしようものうごんす……」


 村長親子もそれぞれに驚きを隠せない様子だ。


 次は何だろう。

 ワニかな。


「教祖様」

「すみません、つい」


 シャルル司祭がウニを、素手で持つのは無理だと判断したのか、魔法で作り出したらしい菜箸で摘み上げる。

 ツッコミにタイムラグがあったのは、菜箸を作るための呪文を詠唱していたためか。

 でなきゃ、蟹と一緒にウニにも突っ込むわな。


 そうして、ウニを退かした後から満を持して現れたのは……赤い色をした巨大なドリアンのような……何?

 あれ何? わかんない。


 僕は慌てて教授の袖を引く。


「教授、あれって」

「ふむ。ホヤですな」


 あー、二文字の魚介シバリだけだったかー。

 そうかー、そりゃわかんないね。


「教祖様!」

「すみません、すみませんって!」


 司祭がホヤを退かした所に、机の下からもぞもぞと黒くつややかな毛虫のような生き物が這い出てきて、革張りの椅子によじ登る。

 毛虫はピンク色のゆったりとした法衣を着ていて、「よっこいしょっと」との呟きと共にこちらへ振り向き、机に両手を突いて座り直す。夏だというのに手首の先まである振袖で、見ているとこちらまで暑苦しくなってくる。

 ピンク色の大きな宝石をあしらった重そうな金の首飾りを見るに、金回りの良い毛虫らしい。

 あと顔が良い。正面から見たら、特に毛虫要素はない。いや、若干眉毛が太いくらいだろうか。


「はじめましての方ははじめまして、そうでない方はこんにちは。わたくしが“女神の涙”今代教祖、マドレーヌ=テステューです」


 教祖は人間であった。

 知ってた。


「こんな妙な建物を建てごんして、村の景観が乱れるでごんす」

「あはは……色の方は済みません。いつの教祖が決めたんだかは判らないんですが、教義で決まっちゃってましてね」

「そんなもの、教祖なら何とでもするでごんす!」

「何度も言いますように、わたくしの一存では決められないことなんですよ」


 村長と教祖は、常連のクレーマー老人と銀行の窓口係のような気安さと軽さで、土地問題についてのやり取りをしている。

 ここで「村長は教祖と顔見知りのくせに、蟹だのウニだののボケに乗ってたのか」などと、益体もない指摘をしたりはしない。

 この村長の性格からして、教団が越してきた当初から今までの間に一度もこの場に乗り込まなかったとは考えられないし、今回これだけ気軽に施設見学と教祖への謁見が通った教団の体制からして、それを毎回追い払っていたとも考えづらい。

 村民が教団にそれほど敵意を抱いてもいないことから、ともすれば、教祖の側から引越しの挨拶くらいには回っていたかもしれないね。


 簡単な推理だ。

 推理小説ばりの推理と言える。

 名推理と言っても過言ではない。


 この名推理は、誰かに聞かせなければなるまい。

 そう思って、ふと教授を振り返ると、


「……長き箸チャップスティックス


 魔法で菜箸を出し、ウニをつついていた。


 そこから、教祖への質疑応答タイムが始まり、といっても大体のことはシャルル司祭に聞いてしまっていたので、特に話すこともなくなり、ガラス窓から見える景色を眺めたり、蟹やウニ、ホヤについて質問したりして、僕達は驚くほど益体もない時間をだらだらと過ごした。

 そもそもここに来た目的は何だったんだろう。

 村と教団の問題を解決するってことだったけど、これ揉めてるのは村長だけっぽいし、当の村長も割りと教祖と仲悪くない感じだよね。

 あれ、本当に何しに来たの。


 僕が疑問を口に出すかどうか、真剣に悩んでいた時だ。


「う、うわあああああああ!!」


 突如、部屋の外から叫び声が響いた。


 シャルル司祭は咄嗟にドアを開いて飛び出し、教授とユリアンさんも後を追う。

 僕と村長は少し遅れてそれに続き、教祖もその後についてきた。


 教祖は不安そうな声で村長に囁き掛ける。


「何か厄介ごとですかね」

「さてでごんす。あんまり酷い厄介ごとなら、そのまま村を出て行ってもらうでごんす」


 村長は顔だけで振り向いてそう答え、前に向き直ると小走りで声の聞こえた方へ向かった。


 辿りついた廊下の部屋、何かを囲むようにしゃがみ込んだ教授達の背中に、僕は嫌な予感を覚える。

 回り込んで、床の上にあるそれ・・を見る。

 教祖がヒッ、と息を飲む声が、静かな部屋に響いた。


 教授は人差し指で何かを少し掬って嘗め、呟く。


「これは……青酸カリではありませんな」


 そこには、今朝僕と教授が、集団朝拝の後に外の広場で出遭った人物――モンタン司教が、意識を失い仰向けに倒れていたのだった。

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