21.異教徒の巣窟に見学に行った話
三百人の信徒がピンクのTシャツと、ピンク色のジャージに身を包み、太極拳っぽい動きからの土下座、を繰り返す様は、壮観だった。
そして三百人が唱和する。
「女神の加護は、めがみかご!」
「女神の加護は、めがみかご!!」
一瞬早口言葉かと思ったけど、全然そんなことはなかった。
同行者のヒンクストン教授曰く、この「めがみかご」というフレーズは“女神の涙”のキャッチフレーズのようなもので、総本山の玄関にも飾られている他、免罪符にも「めがみかご」の文字が図案化されているらしい。
そういえば、学校の近所にも、ドアチャイムの脇辺りにその免罪符を貼っている家があった気がするなぁ。
宗教法人・女神の涙、現在の総本山である、ルルド村の山奥。当地へ出向いたメンバーは、僕、教授、村長、そしてその息子のユリアンさんの四人だ。
今回は村の行政機関による「視察」という名目でここを訪れているため、教団内部への見学申請を行う必要がある。ルルド村のような小さい村は議会や役場の役割を村長一人で請け負うため、村の行政というのは実質村長のことを指すのだけれど、村長は教団に対して露骨な悪感情を抱いている。一人で教団内部に顔を出しなどしたら、どんな問題を起こすかわからない(とユリアンさんが言っていた)ため、村長秘書という名目のユリアンさんが同行して、現在教団員の渉外課に挨拶へ向かった所だ。
僕と教授は、二人が案内担当の教団員を連れてくるまで、壁中がピンク色に塗られた教団本部脇の広場で行われる、集団朝拝を見物していた。
朝拝が終わり、ピンク色の教団員達が三々五々と屋内へ戻ってゆく。
その中から一人の男性が、こちらに気付いたのか、小走りに駆け寄ってきた。
「ご見学の方ですか?」
その男性が愛想よく声を掛けてきた。
全身に玉汗を掻きながらも、スポーツの後のような爽やかさがあった。
訛りのない言葉から見て、地元の人間ではないのだろう。教団員のほとんどは外部から教団本部と一緒に越してきたそうだから、当然といえば当然なのかもしれない。真っ白に染まった髪と顔の皺から、それなりの年齢なのだろうとは思うのだけれど、背筋も伸びて教授などよりずっと若々しく見える。
「事前に予約は取っておりまして、今、連れが係りの方にご挨拶に向かった次第でして」
教授は片手を上げて答えた。
「それはそれは! 見た所、お二方ともお元気そうですが、ご家族のどなたかがご病気で?」
「いえ、我々はそういうわけではないのですが。そちらも?」
「私は、自分が大腸癌でね。医者には次に再発したらもう助からないと言われたんですが、四年前にこの教団の話を聞きまして」
「この年になると、誰でも何かしらはありますからなぁ。私も肺を一つやられまして」
教授と教団員が病気トークで盛り上がる中、僕は置いてけぼりである。
うーん。「実は僕も前に猫に引っかかれて、破傷風か何かで死んだことあるんですよね!」なんて話に加わるべきだろうか。あれ相当苦しかったし、寂しかったんだけど。
「後ろのお坊ちゃんは、お孫さんで?」
と、話がこちらに飛んできた。嬉しい。
でも、自分で名乗るわけにも行かないんだよね。
他所の教団の本拠地でいきなり「神の化身です!」って名乗るのは、ちょっとまずい気がするもの。
僕は半歩前に出て、教授からの紹介を待つ。
「いえ、とんでもない。こちらの方はあの偉大なる神の……」
教授が僕の浅慮を無にしようとした、その時だ。
「ノエル兄弟。いつまでも戻らないと思えば、そちらの方々は?」
教団員の人の後ろから、ピンク色の法衣に身を包んだ、階級の高そうな教団員の人が現れた。
現れたも何も、僕の位置からは普通に近付いてくるのが見えていたはずなのだけれど、ピンク色の建物に対して保護色になっていたため、気付くのが遅れたようだ。
肌とヒゲ以外はピンク色で固めたその老人は、やはり妙に体格が良く、立っているだけで強烈な威圧感がある。
「はい、司教。見学の方々だそうで」
ノエル兄弟、と呼ばれた教団員の人は、姿勢を正してそう答える。
この兄弟というのは、“女神の涙”で一般教団員に付ける敬称らしい。非常にわかりにくいので僕としてはやめて欲しいのだけれど、他所の宗教団体の運営に口を出すのも気が引けるので、さっき教授にちらっとこぼしただけだ。
「ほう。ようこそ、“女神の涙”へ。お名前を伺っても……」
司教は鷹揚な動きでこちらを見定めるようにし、
「……いや、あなたは、あの魔法学者の?」
教授の顔に覚えがあったのか、少し目を見開いて尋ねる。
「いかにも、私はサミュエル=ヒンクストン。魔法学を専門にしておりますな」
鷹揚勝負では教授も負けていない。
身内の贔屓目かも知れないけれど、洗練された鷹揚さがある。
あれ、僕、鷹揚っていまいちよく意味わかってないんだけど、なんかこう、「ゆったりした」とかそんなんで良いんだよね。
僕は家に帰ったら一度、辞書を引いておこうと決めた。
「そちらの少年は、お孫さん……」
司教は僕の方に目を向け、
「……いえ。ひょっとして、先日の特番の?」
なんということだ。この司教もテレビっ子か。
「はい、その神の化身です」
問われて僕はそう答えた。
「神の……化身?」
ノエルさんが首を傾げて、僕と司教を見比べる。
まぁそりゃ色々言いたいことはあるんだろうけれど、“女神の涙”の「神」は、「女神」だもんな。
子供と言っても、十五になれば女装でもしない限り男は男にしか見えないだろう。
あと、普通に自己紹介で「神の化身」って言われたら、普通に引く。
今まで何十人と引かせてきた僕が言うんだから間違いない。
しかし、司教の反応は、どうもそういったものではないようだった。
「神の化身……穢らわしいジャスミンのか」
「えっ」
憎悪の籠った目つきで呟く。
テレビで見て、僕を知っていたのは間違いない。「体臭をジャスミンの香りに変える」という奇跡は、それまで布教活動でもほとんど使ってこなかったから、テレビ放映までの時期にその存在を知っていたのは、本当に僕の周囲の数人だけだった、
それを、テレビ番組の中でちょっとした小道具と共に用いる事で、僕は僕の奇跡を認めさせ、神の化身としての僕の名が広まったのだ。
毒にも薬にもならないジャスミンの香りは、苦笑や嘲笑の対象にされこそすれ、こうも憎まれるようなものではなかった、と思う。
教授みたいに妙に崇拝したり、昨日ユリアンさんと一緒に会ったエレーヌさんみたく妙に喜んだりする人はいたけれど。
いや、妙にありがたがる人がいるなら、妙に憎む人がいたっておかしくはないのか。ないのかな。
「教祖様に会われる前に立ち去れ。ここは貴様の来る所ではない」
司教はそう吐き捨て、ノエルさんを伴って屋内に戻ってゆく。
それと入れ違いに、村長とユリアンさんが、ピンク色のスーツに身を包んだ男の人を連れて出てきた。
司教とピンクスーツの人は互いに、目礼し、そのまますれ違う。
「お待たせしました、教授、化身君。ちょっとまた村長がやらかしてね」
「なんごんすか、このピンクばかりの建物は! 廊下も机も全部ピンクでごんしたぞ! この教団は狂ってごんす!!」
僕らと合流するなり捲くし立てる村長と、それをなだめるユリアンさん。
渉外担当らしき人は、その背後で静かに微笑み立っていた。
自分の所属する教団を狂っている呼ばわりされても営業スマイルを崩さないのは、社会人スキルの賜物なのかな。
村長がようやく落ち着き、僕が持参した水筒のお茶を手渡した所で、教授が話を進めにかかる。
「ルルド君。こちらの方が、本日ご案内をして下さるのかな?」
ユリアンさんは一歩横にずれて、渉外の人に手の甲を向けた。
「はい、教授。こちらが今日、我々に教団の活動や施設を紹介して下さる、“女神の涙”のシャルル=ルネ・スコルディア司祭です」
「どうも、初めまして。シャルル=ルネ・スコルディアです。“女神の涙”では呼び名に姓は滅多に使われませんので、シャルルとお呼び下さい」
「サミュエル=ヒンクストンです」
「神の化身です」
お互いに自己紹介を終え、僕も水筒を手提げカバンに片付ける。
「それでは、“女神の涙”の成り立ちや、現在の活動についてご説明しながら、施設のご案内をさせて頂きます」
一行はシャルル司祭によって、ピンク色の建物の中に案内された。
***
視察の内容は、一般教団員の一日の生活サイクルの説明と、住居スペースや、共用リビング、図書室等の娯楽施設、教団の研究施設の見学、そして教祖への謁見。
今は、傷病の治療のための薬剤を作る調合室の説明を受けている。
「希毒剤は、人体の免疫機能を助長することで傷病を治すのですよ。現代の化学では一分子も検出できないレベルまで希釈した病原や毒の、その作用のみを利用するのです」
調合室をガラス窓越しに見遣ると、ゴーグルとマスクを付けたピンク白衣(それは最早、白衣ではない)の担当教団員達が、巨大なタンクを覗き込んで、ノートに何事か書き付けていた。
「私用する毒を選ぶには、二つの
患者の像、というのは、オーラのことだろうか。
僕の持つ、神の化身の奇跡の力に、
実際に、その「読み取る」というのがどんな感覚だか知っている立場からすれば、「病状を見る」程度なら、練習すれば普通の人間にもできるだろうし、それが治療に役立つだろうということもわかる。
たぶん、病状の像や、毒の持つ像というのが、僕の見ているアカシャに近いものなんだろう。
上手く組み合わせれば病人の持つ運命を狂わせることは出来るし、狂いの方向性を定めれば治癒に向かわせることも可能だろう。
確かに、理に適ってはいるのかな。
それが本当にちゃんと出来ていればの話だけど。
シャルル司祭の説明は格別わかりやすい物ではなかったけれど、僕にとっては元々専門のような分野の話だったし、ある程度の下調べをしていたらしい教授やユリアンさんも何かしら納得したような表情で頷いていた。村長は初めから話を聞く気がなかったので問題ない。
「教団のシンボルカラーのピンクにも、何か意味があるのですかな?」
「はは……確かに気になりますよね。これは教団のというよりは、“女神の涙”の定めた毒属性のシンボルカラーなのですよ」
教授の質問に、司祭が答える。
「地の黄、水の青、火の赤、風の緑、光の白、蕎麦の灰。複合属性のシンボルカラーというのは公的に決まったものもないと思いますが、毒は紫や黒で表されることが多いですよね」
ユリアンさんがメモ用紙に走り書きながら尋ねた。
「我らが女神の好まれた色が、ピンクだったのですよ」
何だ、その可愛らしいエピソードは。女神と教団に、ちょっとだけ親近感が湧いたんだけど。
でも、この壁とか服とかは、やっぱり趣味悪いと思うよ。
当の女神が今の教団の有様を見たら、たぶん引くんじゃないかな。
「他にも何かご質問があれば、承りますよ」
「貴様らはどがんすれば、この村から出て行くでごんすか?」
「この山は空気も水も綺麗ですし、土地も広く、住民からの干渉も一部を除けば殆どなく、我々にとっても理想的な環境でして。出来れば“女神の涙”としては、ルルド村の皆さんとは末永く共存して行きたいと考えています」
司祭はあくまで、笑顔を崩さない。
流石は渉外担当を任せられるだけのことはあるなぁ。
と、司祭がこちらに向き直る。
「そちらの、異教の化身さんは、何かご質問などございますか」
「その、異教の化身さんって呼び方はどうなんですかね」という質問を飲み込み、僕はずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「先程、表でお会いした、えぇと、司教の方」
「ああ、モンタン司教ですね」
「その方が、いやに僕のジャスミンの香りを嫌っていたみたいなんですけど」
バラの香りが嫌いだという人は何人か会ったことがあるけれど、ジャスミンが嫌いってのは滅多に聞かない。
ジャスミンの香りがバラに比べてマイナーだというのは差っ引いても、あの嫌がりようは、妙に印象に残っていた。
「司教は、そうですね。由緒正しい、毒属性の家系のお生まれなのですよ」
そう口にした司祭の微笑みに、苦笑いのような色が混じった。
「やはり、と言った所ですな」
教授が鷹揚に頷きを返す。
「ああ、そういうことですか」
ユリアンさんも納得の頷きを見せる。
そちらで納得されても、訊いた僕本人がさっぱり判ってないんだけど。
判っていないのは僕と村長だけで、村長は話も聞かずに調合室の教団員を睨み付けるのに忙しそうだったので、実質聞いても判ってないのは僕だけだ。
「どういうことですか?」
判らないことを気軽に尋ねられるのは、子供の特権だ。
「それはですな、アンセット先生」
即座に説明に入ってくれる教授は、一流の研究者でありながら、教育者の鑑でもある。
「今より数百年の昔になりますが、まだ左程医療の発展してなかった頃、香料は感染症や病の毒気を防ぐものと信じられておったのですな。当時の医学教本にもそのような記述があったのです」
吸血鬼にニンニクを投げつけるような物かな。
梅干入れといたらご飯が腐りにくいとかそんな感じ?
「香気が人体の孔から毒気の進入を防ぐとして、医者は全身を覆う服の上から大量の香料を塗して治療に当たったのですな」
「はぁ。それにジャスミンを使ってたんですか?」
「その通り! 流石はアンセット先生ですな!」
だとして、それが何……ってこともないか。
「毒属性の人への魔女狩りにも、ジャスミンが使われてたんですか?」
「ええ。火炙りにする油と薪にはジャスミンの花を、水責めにはジャスミンの葉を浸した水を。そして魔女狩りの執行官は皆。黒衣に焚き付けたジャスミンの香りを漂わせていたそうです」
苦々しく訊いた僕に答えたのは、シャルル司祭だ。
後は言わなくても判る。まぁ印象は最悪だろう。
おまけに、僕は女神を神と認めない、
今の天与聖典教は、僕が何を言っても門前払いするような、僕とはほとんど何の所縁もないような団体ではあるけれど、そんな話は傍から見ても判らないだろう。
今日のコーディネートは、どちらかと言えば白っぽい感じのシャツと、洗って色の薄くなったジーンズ。
これで黒いシャツに黒いスラックスなんか合わせてたら、いよいよとんでもないことになっていただろう。
ちょっとでも貫禄付けようなんて言って、手品師スタイルにしなくて正解だったねぇ。
司祭は、ポン、と手を打った。
「それでは、他にご質問など無いようでしたら、これから教祖にお会いして頂きます」
教祖って言われると、何だかとんでもなく偉い人みたいな感じがするんだけど、結構フットワーク軽いんだな。
なんて、僕が考えていると、「あ、そうそう」と前置いて、司祭がこう付け足す。
「教祖も勿論、由緒ある毒属性の家系のお生まれで、毒属性の持ち主なのですよ」
思わず自分の服の香りを嗅ぎ直したけれど、幸い、ジャスミンの香りはしなかった。
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