20.知らない人のお見舞いに行ったりした話

 自分を呼ぶ声に、僕はキツネ(推定)の消えた杉林を背に振り返る。


「お散歩ですか」


 予想通り、村長の息子にしてエリート大学院生、ユリアンさんがそこにいた。

 今現在のこの村に、僕の知り合いなんか三人しかいないしね。


「はい。ユリアンさんは、何処かへお出かけですか」


 こんな時間に、と思ったけれど、時計を見るとまだ午後八時だった。山は日没が早いから、時間の感覚が狂うな。


「うん。ちょっと友達の所に」


 教授や村長からは敬語というか、丁寧語で話し掛けられる――いや、村長の方言はよくわからないけれど、たぶん丁寧な口調ではあるんだろう。そんな感じなので、こう、ちゃんと子供扱いをしてもらえると、何というか、落ち着く。あくまで僕は、まだ十五歳のガキなのだ。


「こう遠いと、帰省の機会もなかなかないですよねぇ」


 道程を思い出しながら相槌を打つ。口にしてから、少し失礼な物言いだったかと後悔したけれど、僕はあくまで十五歳のガキなのだから仕方がない。仕方がないのだ。


「ま、ド田舎だからね」


 笑って答えるユリアンさん。

 この回答は恐らく、僕が自分で失言をしたことに気付き、内心で些か心臓をばくばく言わせていることを見抜いて、その心理的負担を軽減するために、敢えて自分から故郷を貶め、僕の発言には大した問題がなかったと、子供にも判りやすくアピールしてくれているのだ。

 さすがエリートは人間の出来が違うよね。


 で、僕がその人徳に心を打たれ、その道行きを邪魔しないよう早々に部屋に戻って寝る決意を固めた所で、だ。


「そうだ、良かったら、化身君も一緒に会ってくれませんか」

「え、誰にです?」

「友達に」


 この流れで「誰にです?」は、なかったな、と思った。



 僕はユリアンさんと二人、村長宅から一件開いた程近い民家を訪れていた。

 田舎村と言っても、田畑のあるような土地ではないから、家々の感覚はわりと近い。


 ユリアンさんの友人宅は、二階建ての木造で、村長宅と同様に古いけれどしっかりした造りの家だった。庭には小さな花壇があったけれど、今は雑草がぽつぽつ生えているくらいで、花は植えられていない。

 家を建てる時に作ったは良いけど、後から面倒になって放置したパターンかな。うちのベランダにあるプランターの残骸とかそうだよ。


「こんな田舎だと、イベント事もないしさ。テレビに出た有名人が来たって言えば、あいつも喜ぶと思うんだ」

「はぁ」


 ユリアンさんはドアチャイムも押さずに上がりこむので、僕もその後に続く。

 二階の一室の前で立ち止まると、ドアを三回ノックする。


「はーい、どうぞ」


 と、中から女性の声が響いた。


「久しぶり」


 ドアをガチャリと鳴らして、ユリアンさんが入室する。

 ベッドの上の女の人が、身を起こした状態から後ろにのけぞり、壁に頭をぶつけ、眼鏡を落とし、あわあわと振り回した手に落とした眼鏡が跳ねて床へ飛び、焦ってそれを追いかけて布団から落ちそうになった所を、滑り込んだユリアンさんが受け止めて寝床に戻した。

 おおう、と思った。


「ユリアン! 帰ってきてたでごんす?」


 この方言にはまだ慣れないよなぁ。


「うん、昨日の晩にね」

「帰る前に連絡の一つもよこすでごんす!」

「だって、急に行った時の方が、エリは面白いだろ」


 ユリアンさんは笑いながら眼鏡を拾い、流れるような動作で僕に手招きをした。

 僕は素直に部屋へ入り、ユリアンさんの斜め後ろに立った。


「あら、他にも誰かいるでごんすか?」


 眼鏡がないからか、こちらを睨むようにして目を眇める部屋の主から、目を逸らすように頭を下げる。


「そう。お世話になっている教授のお客さん、というか、村のお客さんかな?」

「あら、ご挨拶が送れてすみません。エレーヌ=タタンと申しまんす」


 僕が村の外の人間だと聞いたからか、エレーヌさん、は口調を標準語に改めて、背筋を伸ばしてお辞儀をする。微妙に訛りは残っているようだけれど。


「こちらこそ、お休み中にお邪魔してすみません。神の化身です」


 僕も丁寧にお辞儀を返した。


「神の……え? 何すか?」

「神の化身だよ」


 当然のように困惑するエレーヌさんに、ユリアンさんが眼鏡を手渡す。

 エレーヌさんは袖でレンズを軽く拭って、眼鏡を掛け直した。


「神の化身って……ああああ! 神の化身でごんす!! 本物でごんす!!」


 なんと。一目見て本物の神の化身だとわかるとは。

 この人あれかな、伝説の巫女か何かの血でも引いてるのかな。

 ユリアンさんは、だから僕とこの人を引き合わせたのかな。


「本当に、テレビに出てた、あの臭い缶詰の!!」


 ああ、なんだ。そういうそれね。

 臭い缶詰は僕の要素じゃないんだけどな。


 エレーヌさんは、わーきゃー言いながらユリアンさんの袖を引っ張ったり、背中をばしばし叩いたりしていて、ユリアンさんはそんなエレーヌさんを微笑ましげに見つめていた。


「サインください! ジャスミンの香りをつけて欲しいんす! ユリアン、なるたけ立派な紙! 紙を持ってくるでごんす!! ううん、この枕にサインとジャスミンの香りをつけて下さいんす! ユリアン、太いペン!!」


 たいそうな興奮っぷりである。

 これが信仰心ならありがたいんだけどな。ミーハー心だなぁ、これは。

 まぁサインもするし、香りもつけるけど。



「はぁぁぁぁ、落ち着く香りでごんす……」


 ジャスミンの香りにようやく落ち着いたエレーヌさんから太いペンを受け取り、ユリアンさんは僕に苦笑いをしてみせた。


「こんなに喜ぶとは思わなかったよ。ありがとう、化身君」


 聞き様によっては失礼な物言いだけど、僕も人のことは言えないし、内容自体にも異論はないので、「いえ、喜んで頂けてよかったです」と無難に笑い返す。


「彼女、小さい頃から病気の関係でほとんど外に出られなくてね。テレビっ子だったのは、だったんだ」

「ああ、そういう……っと、病気と言うと?」


 何だろう。重い話だろうか。


「お医者様には一生治らないって言われてるんす」


 エレーヌさんは何でもないことのようにそう言って、微笑んで見せた。

 重い話だった。


「ああごめん、初対面の人に話すようなことじゃないんだけど、初対面の人に平気で重い話をしちゃうのは、この村の気風みたいなもんでさ」


 何と言う気風なのか。

 まぁ確かに、村長からして、直接会ったこともない大学教授と宗教家に、村の重大事である教団の問題を相談するような村だ。

 言われてみれば、納得しないでもないけれども。


「母も同じ病気で、私が三歳の頃に亡くなったんすよ」


 重い。

 語尾は軽いのに話が重い。


 しかし、不治の病かぁ。

 何か最近、そんな話ばっかり聞くような気がするなぁ。

 ばっかりってこともないけど、何処で聞いたんだっけ。


 えぇと、あー、あ、ああ。あれか。


 となると、もしかすると。


「ひょっとして、“女神の涙”がここに来たのって」

「ははぁー、さすがテレビに出る人ですね。そうです、父が呼んだんす」

「化身君、流石は教授が一目置くだけのことはあるね」


 僕の問いに、エレーヌさんとユリアンさんが、揃って感嘆らしき溜息を返す。


 いや、でも、感心ポイントはそこじゃないんだよな。

 僕の拠所はテレビでも教授でもなく、神の奇跡の力なんだけれど。


 そんな話は良いんだ。


 “女神の涙”は、元々は毒属性の受け入れ元として始まった宗教団体だけれど、毒属性への差別がほとんどなくなった今では、「現代医学では手が出せない病に対する治療」の方を看板業務としている。

 いくら土地が余っていたとはいえ、こんな山奥に何の脈絡もなく、そこそこの規模の組織が引っ越してなんて、不思議だなぁとは思ってたんだけど、誘致した人がいたんだな。


 ていうか、治癒の力なら僕も持ってるんだけどね?

 ほら、聖灰。あれ一応万能薬だからね? アロエを万能薬って言って良いならだけど。


 信者の数が少なく、神の化身としての力が十全に揮えない内の聖灰は、皮膚疾患や怪我、便秘程度にしか効果がないが、その効力は信者数の増加によって大幅に上昇する。脳を含む臓器、感覚器、骨、筋肉、神経、血液、精神等、ありとあらゆる症状を完全に治癒することができ、最終的には死後三日以内の死者を蘇生するほどの治癒効果を生む。


 って、え、何それ怖いんだけど。そんなの聞いてないんだけど。当たり前のように死者蘇生とか言われても困るんだけど。ちょっと奇跡すぎるんだけど。


「ん、どうしたんだい、化身君。急に汗が吹き出たようだけど」

「あ、いえ、何でもないです」


 エリートならではの鋭い観察力を、慈愛に満ちた作り笑顔でごまかし、ついでにジャスミンの香りを振りまいた。

 エレーヌさんが狂喜乱舞した。


「うっ、ゴホッ……ゲェホッ……すみませ、ん、ちょっと、はしゃぎすぎてしまったようで」


 病状が、悪化した。


「わーすみません! 余計なことをしてしまって!」

「いいんすよ、化身さん。これでも、普段より調子はいい方なんす」

「そうだよ。こんなに長く話せていること自体、珍しいんだ」


 そんな重病人の所に、僕なんかが来て良かったのか。

 余計に不安になるわ。これも村の気風なのかな。


 いや、二人とも良い人だとは思うんだけど、だから余計にこう、なんだ、こう、それだよね。


 そろそろお暇したいんだけど、どう切り出せばいいんだろう。


 そんな風にね。

 お二人が楽しそうに会話を繰り広げる中、ずっと口を挟むタイミングを窺って、周囲の気配に集中していた僕だから気付いたのだろう。


「あ、誰か家に入ってきたみたいですけど」


 玄関のドアが開く小さな音が、夜の空気の端に響いたのを、僕の耳が捉えた。


「お父さんでごんすかな」

「それじゃ、挨拶だけしてそろそろ帰るよ」


 足音が階段を上ってくるのが聞こえる。

 この部屋に向かってくるのかな、なんて考えていたら、ノックもなしにドアが開いた。


「ただいま。客でごんすか?」


 部屋に入ってきたのは、鋭い目つきをした、体格の良い男性だった。

 夏にしては生地の厚いズボンに、長袖の上着を羽織っている。服の所々に泥の散った跡が見えるけれど、山にでも入ってたのかな。

 髪には少し白髪が混じっているのが見えるけれど、村長より随分若そうに見えた。


「おかえり、お父さん」

「おう、ただいま」


 この人がエレーヌさんのお父さんか。“女神の涙”を誘致したっていう。

 エレーヌ父……じゃないな。エレーヌさん苗字なんだっけ。

 エレーヌ、えぇと、エレーヌ=タタン? じゃあタタン氏。

 どうせ僕の心の中で呼ぶだけの名前だから、間違っていても問題はあるまい。


「ああ、村長のとこの倅でごんすか。親父に言っとくでごんす、くだらねえ嫌がらせはやめるでごんすとな」

「あはは、すみません」


 タタン氏の口調は、自分の呼んだ教団を追い出そうとする村長の息子に対するにしては、どうも穏やかなものであるように思える。

 村長の教団に対する印象は結構悪いように見えたし、村内部でも言い争いくらいは起きてると思うんだけどな。誘致した本人の家なんて、村八分にされていてもおかしくはない。

 この家にも投石くらいありそうなものだけど、そういえば窓ガラスの割れた跡も、割られないように警戒をしたような跡――例えば、ガラス窓の外に鎧戸を下ろすとかも見られなかった。夏場にそんな不自然な光景を見たら、印象に残ってるだろうし。

 となると、村全体としては、別に教団に対して、特別な感情はないってことなんだろうか。


「で、そっちのガキは何でごんすか」


 そんな風にぼんやり考えていた所で、部屋中の視線が僕に集まってしまった。


「お父さん! この子は、あの神の化身なんでごんすよ!!」


 やや興奮気味にエレーヌさんが僕を紹介する。

 また咳が出たりすると怖いので、僕は鎮静効果のあるらしいジャスミンの香りを漂わせた。


「神の化身でごんす?」


 当然のように怪訝そうな顔をするタタン氏。

 そこへジャスミンの香りが届いたのか、一瞬「ああ」と納得の表情を浮かべ、


「女神の敵め……出て行くでごんす!!」

「うわあああああ、ごめんなさいっ、ごめんなさい!!」


 怒声と憤怒の形相、振り上げた拳に追い立てられて、慌てて止めに入るユリアンさんと「逃げてくださいんす!」と叫ぶエレーヌさんを尻目に、僕は部屋からまろび出、階段を転げ落ち、玄関を駆け抜け、村長宅へ逃げ込んだ。

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