16.テレビに出た時の話

「うぉ……うぇ……し、死にたいゲロゲうぉぉぉえぇぇぇぇぇぇぇえおぼろぼろぼろぼろ」


 ラナ=モンディ氏は、バケツに顔をうずめて悲痛な声を上げた。


 彼はその、『死にたいゲロゲロ』という、たった一つの一発ギャグのみを武器に芸能界の荒波を乗り切ってきたわけでは、決してない。


 養成所等には一切通わず、弟子入りもせず、ただひたすらに自分自身のお笑いセンスのみを信じて大学卒業後すぐにオーディション番組に出演。

 その、たった一分間という限られた演技時間の中で、『死にたいゲロゲロ』等という何が面白いのかまるでわからないギャグを、都合十回も口にした、その胆力。

 そして、その後の強制退場時に開いた床の、穴の縁。そこに顎を強打した際の、真に迫ったリアクション芸。

 デビュー当初は頑なに汚れ役を断っていた、芸の道への理想の高さ。にも関わらず、近頃ではどんな仕事でも引き受けるようになった、柔軟さ。

 それら全てが、彼の本当の武器なのだ、と、イケメンスポーツマンの友人が言っていた。

 それを聞いた当時の僕には、どう聞いても悪口にしか思えなかったのだけど、かの友人としては、純粋な賛辞のつもりでその評価を僕に告げたのだろう。



 何故僕はこんなことをしているんだろうか。



 スタジオに居並ぶ面々、神の奇跡のインチキを解き明かすために集められた、各分野のエキスパート達は、思い思いの表情で絶望を描き出す。


 狂気を帯びた“神の奇跡検証実験”。

 その企画者たるディレクター、ハリエット=ハンターは、スタジオの端で鼻栓をし、陰湿な笑顔を浮かべていた。



 シュールリアン・ストレナット・ヤックーフェ、という缶詰料理がある。


 それはこの世界で最も臭い料理とされ、食べ物の話をするのにあまり綺麗な表現じゃないんだけど、「大便の山にマグロ一本分の血を注いで三日寝かせた臭い」と称されることもある。

 缶詰を開けると、茶色い液体と白色の煙が舞い上がり、そのいずれかを浴びた服には蝿がたかり、人の身でそれを浴びれば数日間は臭いが離れず、犬猫も寄り付かないという。


 一発ギャグ芸人、ラナ=モンディ氏は、スタジオ内にガラスに仕切られた小部屋の中でその缶詰を開封した。


 飛び散るは濁った飛沫。


 吹き出た煙で、白一色に埋め尽くされる小部屋。


 何も見えない小部屋の中で、何かが激しくぶつかったような衝撃音。


 徐々に晴れてゆく煙、その全てが換気扇に吸い込まれた所で、小部屋から転がり出てくるモンディ氏。


 悲鳴を上げる女性陣と、呻きを上げる男性陣。

 その場からある程度離れた一般観覧席のお客さんからも、苦々しげな声が上がる。


 ステージの真ん中、正面カメラの前に這い出たモンディ氏はおもむろに立ち上がり、そして、冒頭へ、だ。


 正直、モンディ氏から漂う移り香だけで、こみ上げてくるものがある。

 魔法学者の先生は実際に、貰いゲロをして涙目になっていた。


「お解りいただけたでしょうか、シュールリアン・ストレナット・ヤックーフェの威力を」

「いや、これ無理でしょー!? モンディさん今日これ使い物なりませんよー!」


 鼻栓をした司会とバラドルの会話が、何処か遠くに聞こえる。

 担架で運ばれてゆく芸人と、運びながら咳き込みえずくスタッフ達が、視界の端に見える。


「これを神の化身、イーサン=アンセットはどう乗り越えるのか。世紀の一瞬です!」


 僕は思い足取りで、しかし悠然と、泰然と、毅然としたままで。

 小脇に三つの缶詰を抱え、ガラスの小部屋で足を踏み入れた。


 床に落ち、茶色い汁にまみれた缶切りを拾い上げる。

 汚れたガラス越しに、僕の手品の師匠――ミスター・サバキの、哀れみを含んだ表情が見えた。鼻栓をしていた。


 カメラ目線で、僕は缶切りを持った右手を顔の前に翳し、


「それでは、会場の皆さん、テレビの前の皆さん」


 かっこいい感じに、手首を捻りつつ、横一文字に空を切る。

 「ちょっとした動きも、メリハリを付けたら、割りとそれっぽく見える」――貴方の教えは僕の中に生きていますよ、師匠。


「皆さんは今、神の奇跡を目の当たりにします」


 鏡の前で何度か練習した表情で、ニヒルに笑って見せ。

 缶切りを、缶に突き立てた。


 溢れ出る茶色い汁。ガラス越しに聞こえる、「うわぁ」というバラドルの慄き。

 魔法学者の先生の、えずき。


 煙が小部屋を覆ってしまう前に、二つ目と三つ目の缶を開ける。


 視界を白煙が閉ざし、感じるのは飛沫が服を濡らす感覚だけ。


 ゆっくりと視界が晴れるのを待ち、カメラに向けて微笑を浮かべる。


「え、まさか……!」

「そんな、信じられない!!」


 会場を、どよめきが包んだ。


 ガラスの小部屋のドアに手を掛けると、魔法学者の先生が身じろぎをして、息を止めた。

 僕は顔の前で片手を軽く振って、それを制す。


 そして、ドアを開け放った。


「こ、これは……!?」

「きゃーっ、信じられない! すっごい良い香りー!!」

「花の……ジャスミンの香りだな……」


 奇跡。


 それは、“ありえない”現象を起こす力。


 僕は缶詰の臭いが身体に触れた瞬間に、リアルタイムでそれを奇跡に捻じ曲げ続けた。


 ジャスミンの香りに、だ。


「奇跡……魔法では、こんなことは絶対に不可能だ……!」


 魔法学者の先生は立ち上がって「ブラーヴォ!」と喝采し、大きく拍手をし始めた。

 え、そんななの。まぁ凄いのは凄いと思うよ、自分でも。いやこれ凄いよね。

 でも、そこまでなの?


「そもそも、一切の魔法が使われた形跡がない。正に奇跡だ」


 と、魔法技士の偉い人。


「水魔法の魔道具なら香りを作ることは出来る。風魔法の魔道具で臭いを防ぐことも、ある程度はできる。だが、こんな規模の現象を起こすには、隠し持てる程度の魔道具や、遠隔地からの干渉では、絶対に無理だな」


 魔道具技士の偉い人も長々としたコメントをつける。


 いや、正直ね、ハンターさんがこの話を振ってきた時、こいつ何考えてんだ、って思ったんだけど、そうかぁ。これアリなのかぁ。

 やっぱりテレビの人ってすごいね。


 匂いなんてテレビで伝わらないから全然意味ないと思ってたんだけど、“臭いを嗅いでる人”は映るんだねぇ。

 臭いの凝縮された汁とか、臭いの出る煙とか、臭いの映像表現には色々な方法がある。

 そして、五感の中でもより人間の記憶や野生に結びついた、根源的な感覚であるが故に、強い共感力と想像力を働かせる。

 「ラナ=モンディにも、死ぬ以外に使い道があって良かったですねぇ」とか言ってたけど、あれだよ、死ぬために生まれてきた人間なんて一人もいないんだよ?


 と、司会やバラドルも絶賛、まさに大団円ムードと言った所で。

 眼鏡のコメンテーターの人が口を挟んできた。


「あの缶詰が偽者だったんじゃないんですかねぇ?」


 まぁ、そうなるわなぁ。僕だって、まずそれを疑う。

 ジャスミンの香りの偽缶詰を作れば、ここまでの現象は容易く再現できる。

 でも絶対に、自分ではそれを一切指摘することはない。この場にいる他の誰かがその台詞を口にするまで、黙って待つ。


「では、改めて御一緒に、あのガラス部屋に入ってみませんか?」


 だって、ほら、こうなるからだ。

 僕は笑顔でコメンテーター氏に手を差し伸べた。


 コメンテーター氏は嘔吐して担架で運ばれ、僕は相変わらずジャスミンの香りを漂わせていた。


 そして、そのタイミングを見計らったように。


「これは手品でも再現不可能ですね。正に奇跡、我々の完敗です」


 師匠が困ったような笑顔を作って、敗北宣言を出した。

 ほら、師匠も絶対思ってたけど、誰かが言うの待ってたクチだよね。



 出演者が満場一致で、神の奇跡を、奇跡と認めた。

 これは当初、誰も予想していなかった展開だろう。

 出演者の面々、番組ディレクターであるハンターさん、一般観客、視聴者、そして、奇跡を奇跡と確信している僕自身でさえ。


「今、ここに驚くべき事実が証明されました。番組が、そして各分野のエキスパートが認めた、真なる神の化身! イーサン=アンセットに、盛大な拍手を!!」


 司会がそう宣言する。


 僕は穏やかな笑顔を浮かべ、片手を上げて、拍手の渦に応え続けた。

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