10.買い物に行った先で思わぬ邂逅をした時の話
デパートの玩具売り場で、僕の姉弟子ことミシェル=ヴァレリーは、潰れて「ぷいー」と音を立てる豚のゴム人形をふにふにと弄んでいた。
「一、二、……三つ、ありましたね。これなら『三匹の仔豚』ができます」
僕の分のトランプを確保した後、僕と姉弟子は、何かしら手品に使えそうな道具を適当に物色している。
専用の道具、例えば特殊な加工のしてある紙や布、魔道具なんかは、専門のショップでまとめ買いした方が安いし、質も良いらしいのだけれど、人形や造花みたいな小道具類は、普通のお店で売っている物の方が品揃えも良く、何より、日常生活で当たり前に目にする(物に見える)道具で不思議な現象が起こる方が、手品としては面白い。らしい。
これは全て姉弟子の受け売りであり、姉弟子個人の意見であって、師匠は「普段全然見ることもない、意味不明な道具やド派手な演出を使う方が、非日常感が出て面白い」という考えの持ち主なのだけど。
なお、弟子入り一週間を少し回っただけの、見習い手品師である僕には、そんな主義主張のようなものはまだない。
「『三匹の仔豚』で何するの? 家から無限に豚が出てくるとか?」
「無限に出てきた仔豚を食べた狼のお腹が破裂して、中から……うーん、ダメですね。その辺りは後で考えます」
「あ、後からでいいんだ」
「場合によりけりですけどね」
『三匹の仔豚』というのは
天与聖典は遥かな古代、神から人へ直々に与えられた書籍であるとされている。
神様に植えつけられた知識に寄れば、この伝承というのはほぼ実際にあったことで、当時存在した幾つかの大国に送られた神の化身達が、本を配って回ったとのことだ。
当然、突然神の化身なんて名乗った全然知らない人が、神が書いた聖書だよっつって本を携え現れた所で、まともに取り合う国なんてそうそうあるものではない。それどころか、多くの神の化身は不敬罪だとか、その国の民間信仰――つまり人間のオリジナル創作なんだけど――に歯向かう異教徒だとして、逮捕なり処刑なりされてしまったんだそうだ。
そういう時代に神の化身として生まれなかっただけ、マシはマシなのかも知れないけれど……。
神の怒りに触れて八つ裂きにされたトランプのことを思い出すと、滅多なことは言えないけども。
「どうかしましたか、アンセットさん。血を吐いた後のような顔でしたけど」
「あ、いや、何でもないよ」
気付けば、姉弟子は怪訝そうな顔でこちらを眺めていた。
血を吐いたのは僕じゃなくて、もっと前の時代の神の化身達だ。
そんな、神の化身としての先輩方の、血と汗と涙の結晶。主に血の結晶か。それが天与聖典なのだ。
現代で一般的に書店などに出回っている本の内容も、その原典のままに記されている。
過去に創られた世界では、創世やプロフィール等の最低限の部分だけを人間に啓示した所、あんまり短すぎて箔がないってんで、時代時代の宗教家が天界や神についての創作や捏造、自由すぎる解釈などが付け足されまくって、矛盾だらけのなんだかよくわからない聖書が出来てしまったらしい。
そんな信憑性の薄い本だから、地域によっては神様自体が完全創作のオリジナルで作られたり、何かちょっと喧嘩の強いだけの人間が新しい神として祀られたりという自体も多々発生した。
ならばこの最新の世界では初めから、付け足す余地もないくらい分厚い本を作って人間に与えよう、等と、この神様は思い立ったわけだ。まぁわかりやすい対策ではあるよね。
文庫本で棚二段を占領しているのは、些かやりすぎだとは思うのだけれど。
で、その際、日記にしたって特に書くことのなかった神様が水増しのため、古い世界での著作権の切れている童話や説話を思う様つめこんだ。これが今でも残っている天与聖典の起源なのだ。ので、昔話の類なんかは前世とよく似たものが多い。
「……仔豚を食べ過ぎてお腹の重くなった狼が井戸に落ちる……となると井戸は赤い頭巾だから、流れとしては早着替えが入って、それだとステージになるから豚の大きさが足りないかな。ううん、本末転倒だ……」
自分の世界に入った姉弟子を横目に、時計を確認する。
今お店を出れば、ちょうど師匠が営業から戻ってくる頃に事務所に戻れる按排かな。
「……叩いて潰しても起き上がるカードタワー、これかな、となると接合が四箇所と滑り止めが二箇所、接着剤と形状記憶の合成樹脂と液体ゴムで二千五百円くらい……高いから没……」
「ほら、行くよ」
豚の人形をぷいぷい鳴かせながらぶつぶつと呟き続ける姉弟子を引きずってレジ前の列へ並んだ。
姉弟子は時折落ち込み、時折にやけ、時折自分の財布を覗き込んだりしつつも、比較的大人しく会計を待っている。
手品が絡むと妙に頑固になったり、攻撃的になったり、興奮のルツボに飲み込まれたりする姉弟子だけど、流石に人前ではそれなりに抑えるんだな。近くで見てると感情が駄々漏れというか、ただ声と動きが小さくなっただけだって判るんだけど。
と。
向かいから見知った人物がこちらに近寄ってくるのが見えた。
「ん、アンジーじゃねえか」
見えた、というか、声も掛けられた。
「リック。奇遇だね」
「ちょっとな。弟の誕生日プレゼントだ」
そう言って、聞いたこともないトレーディングカードゲームのブースターパックを振って見せ、僕らの並ぶ列の後ろに並ばれだ。
リックことパトリック=リカルド=ディックは学校で同じクラスに通う友人であり、顔が良く、ジャンプ力とか走るのとかすごい系の少年だ。なお「アンジー」とは、リックが僕を呼ぶ際のニックネームである。
あれだよね。友達とか家族とかと一緒にいる時に、全然違う活動範囲での友達に会ったりすると、なんかこう、恥ずかしいっていうか、違うな、不安になるっていうか、そう、妙に焦るよね。
今それ。
気付かなかった振りでもできたらいいんだけど、向こうから話し掛けて来たらな。
肩越しに姉弟子を振り返ると、ふっと、彼女が自分の世界から帰ってくる気配を感じた。
「アンセットさんのお友達の方ですか?」
姉弟子は瞬時に舞台人らしい外面を貼り付け、リックにふわりと微笑みかける。可愛らしい。
「どうも、初めまして。えぇと、アンジーの……えぇと、何さん?」
リックは顔が良く、運動神経にも優れているが、頭はそれほど良くもなく、社交性も案外低いため、初対面の相手とはまともに会話が成り立たないのだ。
「初めまして、ヴァレリーです。アンセットさんの、バイト先の先輩みたいなものです」
姉弟子は表面を取り繕うことにかけては年齢以上の腕前を持ってはいるが、基本的に人見知りする性質であり、また手品が絡まないことには、ほぼ興味がない。この短い挨拶には、リックと深い付き合いをする気がまったくなく、この場限りで済ませようという意図がふんだんに込められていることが、弟弟子である僕にはよくわかった。
僕より先に会計を済ませた姉弟子は、「それでは、私は向こうの方をもう少し見てきますね」と軽く会釈をして離れてゆく。僕もこれ買ったらすぐ帰るから、あんまり離れられてもあれなんだけどな。
「なあ、アンジー」
「ん」
「お前ロリコンなの?」
これは極めて難しい命題だと言えた。
まず第一に、僕の前世での最終年齢は十九歳だかそれくらいだったと思うんだけど、現在の僕の年齢は十四である。
それでは僕の精神年齢は十九+十四で三十三歳か、と言われれば、まぁそんなことはない。前世の記憶が戻ったのは十四歳の誕生日のことだから、最高でも累計十九歳数ヶ月ということになるだろう。
そもそも、精神年齢は生きてきた時間に従って単純に加算されてゆくものではなく、その立場に従って成長してゆくものなのだ。
そう、近所のお兄さんも言っていた。「最近さ、二十代後半で会社辞めて、十数年フリーでやってた奴が急に上司として入ってきたんだけど、あいつマジ二十代後半気分で仕事してやがるんだよな。全部自分自分。何か上手く言ったら自分の手柄、問題起きたら部下のミス、責任感も糞もねーの。マジ死ねよあのハゲ」と。精神年齢というのは立場により育ち、ただ漫然と時間を過ごすだけでは停滞するか、ともすれば若返りすらするのだ、と。
要するに、僕の現在の精神年齢は十四歳なのだ。
そこで次に問題になるのは、十四歳の人間が、十歳の人間に対して恋愛感情を持つことは、果たしてロリコンに当たるのだろうか、ということなんだけど……あれ。
よく考えたら、僕別に姉弟子と付き合ってるわけでもないし、惚れてすらなかったわ。
そりゃまぁ顔も良いし、可愛いのは可愛いと思うけど、「猫可愛い」と同系統の可愛さだもんねえ。
「違うよ」
故に、僕は自身を持って回答する。
「ふーん。じゃ、また学校でな」
リックは興味なさそうに相槌を打つと、自分の分の会計を済ませ、別れを告げて去っていった。
軽いな。別にいいんだけど。
「お話は終わりましたか?」
離れて様子を窺っていた姉弟子が、露骨なタイミングで戻ってくる。
「お話ってほどのこともなかったけどね」
「そうでしたか」
「それより、そろそろ師匠が帰ってくる頃じゃないかな」
そうでしたね、と姉弟子は頷き、二人連れ立って店を出る。
僕達は気持ち早歩きで、事務所への帰途についた。
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