07.新たな信者を得、新たな奇跡の力に覚醒した話

「いや、それでサニー、本当にすごすご逃げ帰ったの?」

「本当に帰った」

「ああ、そう……」


 翌日、登校途中の通学路。僕は隣人にして幼馴染たる少女、レインにこの二日間の動向を伝え、結果として呆れの表情をもって迎えられていた。この呆れの表情は、彼女の心情を表すものではない。嘲笑のための演技だ。

 そりゃまぁ、僕だって自分が週に二日の休みをミスター・サバキに費やし、それでいながら何の成果も得られなかったことについては、遺憾の意を持っている。

 同じことをレインがしていたら、相手を深く思いやるような表情で、優しく肩を叩いて慰めたことだろう。嘲笑のための演技として。


 何の話をしているのか、というとだ。


 神の化身であるところの僕ことイーサン=アンセットは、神の化身を名乗る手品師、ミスター・サバキを糾弾し、真なる神の化身としての威光を知らしめ、あわよくばミスター・サバキを真なる神の信者として改宗せしめん、と思っていたのだ。

 思っていた、とわざわざ言葉にするということは、当然、そうはならなかったのだけれど。


「で、原因はどっちなのよ?」


 レインは努めて哀しそうな色を言葉に滲ませ、要領を得ない質問を投げる。


「どっちとは?」

「逃げ帰った原因。ものすごく期待された方か、ものすごく失望された方か」


 ああ、それね、と、眉根を寄せた。


***


 僕がその奇跡の力――手から聖灰を生み出すという、実際目の当たりにすれば比較的しょっぱい力をミスター・サバキ父娘に披露した際の、二人の狂喜乱舞は、正直引くほどのものだった。

 しかしその後の種明かし、というか、これが神の奇跡であると説明した際の反応は、両極端と言って良いものだった。


 意外にも、聖灰の出現が奇跡の力によるものだということ自体は、あっさりと信用されてしまったのだ。

 両親や幼馴染に何度説明しても「ちょっと気持ち悪い魔法」か「美味しい手垢」程度にしか認識されなかった神の奇跡が、そういった物でないことを二人が信じた理由は、その手品師としての素養に拠る。


 魔法が当たり前に存在するこの世界において、“ただ物が突然現れる”程度のことは、別段不思議なことには思われない。

 先天的に各人が属性として持っている、地水火風の四属性、光と蕎麦の二属性。ごく稀に、四属性の組み合わせを持つことで生まれる雷、氷、毒などの複合属性。それらに基く物質、ないし現象の創出は、個々の属性で扱える範囲ならば、勉強と訓練によって身に付く技術だ。地属性や水属性持ちの一般人が、聖灰のような粒状の物質を生み出すために必要な能力を得るには、大体一般的な成人男性が腕立て伏せを三回できるようになるのと同程度の努力を要する。なお、聖灰と同レベルの味を再現するには、一般的な成人男性が片足立ちしながら目を瞑ってケン玉で世界一周を決めるのと同程度の技術が求められる。凄いには凄いが、やってやれないことはない。


 しかしだ。


 魔法でそれらのことを行うためには、それなりの手順が必要になる。“魔法を使う素振り”。それは呪文の詠唱か、魔法陣の使用か、魔法を付与された金属製の魔道具の使用。そのいずれかだ。

 魔法というのは簡単に言えば、各属性を持つ精霊に対して、決められた方法で“指示”を出すことにより、物質を生成したり、現象を起こしたりする技術のことだ。決められた方法でなければ、精霊には指示を理解することができない。

 だから、呪文の詠唱も、魔法陣の使用も、魔道具の使用も伴わない魔法は、存在しない。


 手品師は、魔法で出来ること、出来ないことを知り尽くしている。

 だからこそ、「一見魔法では出来そうにない(けれど実際は魔法や、その他の技術で実現ができる)こと」がわかる。そうでなければ、手品にならないからだ。


「種のない、奇跡?」


 ミスター・サバキは、僕が神の化身であり、聖灰が神の奇跡であることを告げた途端、真顔になって固まった。


「種のない、奇跡……っ!」


 と思ったら、異常なまでに見開かれた目で詰め寄ってきた。それは喩えるならば、餓死寸前に一欠けらのピーナッツを見つけたネズミのような迫力であった。いや、前世で一人暮らししてた頃の話なんだけど、あれはマジで怖かったな。夜中ね、寝入りかけてた時だったんだよ。オレンジの電気だけ点けててさ。今回のこれも同じくらい怖かったけど。


「アンセット君!!」

「うぇ、あ、は、はい!」


 変な声が出た。


「種のない奇跡だよ!」

「え、そうです。神の奇跡です」

「種のない奇跡はね、絶対に種のバレない手品になるんだよ!」

「え、はい……はい?」

「だって、種がないんだから!!」


 種がない奇跡を、手品だと言って人に見せる。

 種がないのだから、絶対に種が人にはバレることはない。バレようがない。

 それは多くの手品師が追求する、究極の手品の一つだという。


「アンセット君! 手品師になろう!」


 わけのわからない理由でばしばし肩を叩かれる僕は、救いを求めて、先程から随分静かになったミスター・サバキの娘さんの方を見た。


 娘さんは、極めて不愉快そうな目つきでこちらを睨んでいた。それは喩えるならば、駅改札の前で死んだマグロのように横たわりながら吐瀉物に顔から突っ込んで眠っている大学生の群を見かけた際の、駅員のような目つきだった。怖い。


「……糞が……」


 当時の駅員と同じ台詞を口にする十歳の少女。怖い。


「天才は死ねよ……」


 前世、現世を通して初めて受けた「天才」の評価に、僕は激しい動悸と息切れを覚えた。怖い。

 え、何これ。何で僕は謂れもない高評価と共に、これ以上無いほどストレートな罵倒を受けているの。怖いんだけど。

 さっきまでの好意的な感じはどこにいったの。

 心臓がきゅーってするんだけど。


 手品師の父娘。

 父からは涎を垂らさんばかりの熱烈な勧誘を受け、娘からは唾を吐かれんばかりの苛烈な敵意を向けられる。


 僕は言葉にならない呻き声を上げ、手荷物を引っつかみ、廊下を駆け抜け、玄関を押し開き、そのまま、逃げ出した。


***


「両方だね」


 両方とも怖かったのだ。だから逃げた。

 まぁたぶん、どちらか一方だけでも逃げたけど。

 レインは自身の額に手を当てて、うつむきがちに、


「はぁーあ」


 などと大きく息を吐き出しながら、首を振って見せた。

 嘲笑のための小芝居として。


「あ、でも収穫はあったんだよ」

「というと?」

「新しい奇跡の力に目覚めたんだ」

「なーに、今度は薬味でも出せるようになったわけ?」

「聖灰は粉末麺汁めんつゆじゃなくて、神の奇跡だから」


 はいはい、と呆れの表情で先を促される。長い付き合いの僕だからわかるけれど、これは演技などではなく、わりと本気の呆れ方だった。

 くそう、目に物見せてやる。僕の本気の奇跡を目の当たりにして、驚き、敬い、信仰するがいい。

 僕に対する感情はどうあれ、神の奇跡を心から信じる者が、一度に二人も生まれたのだ。僕はその日の内に、新たな力に目覚めたことに気付いたのである。


「ふぬぬぬぬぬぬ……!」


 掌に意識を集中させつつ、おもむろに幼馴染の鼻先につきつける。


「ほら、嗅いでみてよレイン」

「ちょっ、何するのよっ、くさっ……く、ない?」

「何で臭い前提なんだよ……」

「何これ、微妙に甘くて、何となく落ち着く香りね。これは、あー、あれよ……あの……」

「ジャスミンの香りだよ」

「そうそう、それそれ!」


 新たな奇跡。


 それは、体臭がジャスミンの香りになるというものだった。

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