06.神の名の下に聖戦に赴く話
神の化身たるこの僕、イーサン=アンセットを擁する中流家庭・アンセット家一同は、食い入るようにテレビを見つめている。
完成当時は世界一の高さを誇った念波塔、その展望室から、夜景を見渡す構図。
顔の右半分を隠す真っ白な仮面を被り、左上四分の一を隠す金髪をそよがせ、黒いタキシードを纏ったイケメンが、不気味な笑みを浮かべていた。
「あなたの選んだ動物は、こちらですね」
テレビの中の男が、徐に窓の外を示す。
夜闇の果てに聳える国境の稜線、その山肌に、炎が間の抜けた犬の顔を象っていた。
会場の空気が困惑に揺らぐ。カードを選んだバラドルが、困惑顔で口を開こうとした時だ。
「おや、違いましたか? そんなまさか、もっとよく御覧下さい」
そう言って指を弾く。
瞬間、犬の額と頬が激しく燃え上がり――虎縞を描いていた。
「わあっ、当たりです! トラです、ほら!」
バラドルは伏せていた色紙に書かれた「トラ」の文字を掲げ、掌を返したように「すごーい!」などと男を褒め称え、司会の芸人や他の出演者も、驚きの声と共に拍手を打ち鳴らした。
「すげえええ! 無駄に壮大!」
とは僕の率直な感想であり、
「はああ、どうしてわかるのかしら」
とは母の素朴な感想であり、
「この女イラつくわー顔が」
とは姉の歪んだ感想であり、
「犬にトラの模様を描いたら、トラに見えるものか」
というのが父の真摯な感想だった。
結論から言えば、自称「神の化身」ことミスター・サバキは、手品師だったらしい。
まあ、確かに僕も自分が神の化身でさえなければ、「神の化身」なんて名乗る輩はまず狂人か、イカサマ師か、でなくばそういう芸風の政治家か、芸人か、手品師辺りだと予想しただろう。
……となると、僕は世間からどう見られているんだろうな。改めて不安になる。
自分と同じ神の化身に会うことで、新しい奇跡を得られるかもしれない。
初めはそう思って、彼に会いに行こうと思ったのだ。
それを聞いた両親や姉も、承諾と応援の意味を込めた「へー」、「ふーん」ないし「そうか」といった相槌を返してくれたし、家庭内には特に障害もなかった。
とはいえ、僕の持っていたミスター・サバキに関する情報といえば、名前と、神の化身であるということと、「鳩を出す」という話くらいのものだ。
ちょうどテレビに出るということだし、それを見てから明日会いに行こう、と、思ったらこれだ。
何より腹が立つのは、東洋人っぽい名前なのに、普通に金髪碧眼な点だろう。別に僕が怒ることでもないんだけど。
「どーしたのイーくん。確かに今の『すごーい!』は死ぬほどむかついたけど」
「別にそれで怒ってるわけじゃないんだけど」
「やはりあれはトラを馬鹿にしているよな」
「それで怒ってるわけでもないんだけど」
眉間を揉みほぐす。うん、皺も取れた。
「それでイーちゃん、明日の汽車の時間は調べたの?」
「今から調べる」
明日のことを考えるとまた憂鬱になって、また皺が寄った。
***
前世で言うところの電波は念波、電話は念話と、バッタものみたいな名前のついているこの世界だけれど、電車はそのまま汽車になっている。そりゃそうだ。念じて鉄の塊を動かすなんて、魔法というよりサイキックの類だもんなあ。
念波は風魔法の応用で、汽車は水魔法の応用による蒸気機関。そもそもの仕組みが全然違うんだから、名前が似ないのも当然といえば当然なんだけれど、前世の記憶を取り戻してから改めて世の中を見回すと、こういう些細な事柄が妙に面白く感じる。
ミスター・サバキの事務所はうちから四駅先で、まあ近所といえば近所だけど、歩いていくのはちょっと厳しい距離だった。
汽車の中で少しだけ盛り返した気分が、駅から事務所へ向かう間に、徐々に沈んでゆく。僕は一体何をしているんだろうか。
ミスター・サバキの事務所は煤けた四階建てのマンションの三階角部屋で、陽当たりの良さそうな立地にあった。
現地到着はお昼過ぎ。今更だけど、アポイントメントも何もない。
隣室の表札脇には、押し売りと宗教関係者を同列に並べて拒絶する旨の手書き紙片が貼り付けられているけれど、幸い、ミスター・サバキ芸能事務所にはそのようなルールは記されていなかった。
ドアチャイムに手を伸ばし、下ろす。今のは準備体操であり、決して怖じ気付いた訳ではない。準備体操である。チャイムを鳴らすためのね。
一応の目的としては、商売敵に文句を付けに来た、ということになる。
神の化身を名乗って勝手なことをされると、本物の神の化身が迷惑をこうむるのだ。ブランドというか、信憑性が落ちる。元々ないものが、マイナスになるのだ。
だから、僕はそれに文句をつけなければならない。
ならないのだけれど、ほら。
知らない人は、怖いじゃないか。
「帰るか」
決意を固めて振り返った所に、
「お客様でした?」
根菜溢れるエコバッグを抱えた小さな女の子が、小首を傾げて立っていた。
***
冷や汗で失った水分を補給するべく、差し出された麦茶を飲み干す。すぐさまお代わりが注がれる。
「そうでしたか、お父様のお仕事の」
「うん、まあ、何というか、商売敵というか」
僕はミスター・サバキの娘さんにお招き頂き、ダイニングキッチンでガラスのコップを揺らしながら、どうしたものかと考えていた。
「今まで同業のお友達がいらっしゃることもありませんでしたから」
同業というわけでもないし、お友達というわけでもないのだけれど、何より僕は、目の前の少女の危機管理意識の低さに対して、他人事ながら強い不安感を抱いていたのだ。
知らない人を家に上げたら駄目だとか、サバキ家(暫定。本名は知らない)ではそういう最低限の教育もしていないのだろうか。
家に上げられて、麦茶をごちそうになって、それから素性を聞かれた、というのは、どう考えてもまずいんじゃないだろうか。僕の立場で言うのも何だけど。
「お父様も売れてきたのだと、嬉しく思いました」
ホッとしたような、本当に嬉しそうな顔でそんなことを言われると、自分の目的を正直に話すのも気が引ける。
娘さんは、齢十歳にしてサバキ家の家事を取り仕切っているらしい。十四の僕が言うのも何だけど、しっかり した子供だな。知らない人を簡単に家に上げるのは頂けないけどな。
怖くて聞いてはいないけど、たぶんミセス・サバキは収入の不安定な夫に愛想を尽かして出ていったか、若くしてお亡くなりになったかしたのだろう。
「ミスター・サバキは今、何処に行ってるの?」
「結婚式の余興で
国内の大規模墓地、墓苑の実に四割を有する霊廟都市は、案外結婚式の場としてもそこそこ人気が高い。亡くなった親や祖父母に晴れ姿を見せたいとか、そういうプランを導入した式場があるのだ。
「テレビに出てるような人でも、そういう小さな営業とか行くんだねえ」
拘束時間も短いから、時給換算したら結構な額にはなるのかな。僕は脳内で算盤を弾く。
「お父様がテレビに出るようになった切欠も、お友達の結婚式で演じたオリジナル手品が、そのお友達の勤め先の社長さんに気に入って頂いたことだったんですよ」
娘さんはにこにこと、本当に幸せそうに親御さんの仕事について語る。
「売れない間はずーっと、私に謝ってばかりでしたから」
だから、忙しくはなっても、父親の心情に余裕ができた現況は、彼女にとっても穏やかなものなのだろう。
どうしような。これ。
いや、別に「お前は偽物の神の化身だ! インチキだ!」とか何とか訴えて、営業妨害をしよう、なんてつもりは毛頭ないんだ。
そもそもミスター・サバキは「神の化身」を騙ってはいても、職業としては自ら「手品師」と名乗っている。この「神の化身」というのは、プロレスラーのキャッチフレーズ程度の意味なんだろう。
神の化身ブランドに傷を付けるのはやめて欲しいんだけど、それ以外に不満はない。あの無駄に壮大な芸風とか、如何にもな衣装とか、わりと好きな方だ。
化身キャラで売ってる訳じゃないから、仮に神の化身を返上したって、仕事に影響もないはずだ。よって、この家庭の平穏を崩すものではない。
ないのだけれど。
僕はしかし、何と、しょうもない話をするために、この幸せな家庭に介入して、この真面目で純真っぽい少女の時間を、浪費してしまっているのか。
食事の準備などもあるだろう。掃除、洗濯なんかもしなきゃならないんじゃなかろうか。だというのに、来客対応に時間を割かれるわけだ。そしてその来客は、父親の友人でも何でもない、赤の他人となっている。
そんな来客たる僕はあと三時間くらい、ここに居座ることになる。その事に、妙な罪悪感を抱いていた。
「あっ、そうでした! アンセットさん」
と、娘さんの明るい声が、僕の意識を表層に呼び起こした。
「良かったら、手品を見せてもらえませんか? お父様以外のプロの人の手品、近くで見たことがなかったので」
そんな提案をされる。
うん、よし、せめてもの償いだ。
「いいよ。手品じゃなくて、神の奇跡だけどね」
神の呪いに操られた僕の口が勝手に余計な前置きをつけるけれど、まあスルーだ。
娘さんも特に怪訝な顔もしてないし、そういうキャラ付けだと思ってくれたことだろう。
テーブルの上に開いた右手を乗せ、左手の指で指し示す。
「じゃあ、行くよ。この掌の上を、よく見ててね」
念じる。じわじわと、聖灰が溢れ出す。
「おおーっ……」
娘さんは楽しそうな愛想笑いをたたえて、合いの手を入れてくれた。
地味だよね。
知ってる。
でも今の僕には、これしか出来ないんだわ。
聖灰はまだ、掌に積み重なってゆく。
テーブルにこぼれる。
娘さんは律儀に、その様子を眺めてくれている。
あまり汚すのも申し訳ないし、僕は聖灰を止めた。
「えっ、あれっ」
と、次第に。今までただ単ににこにこしていた娘さんの両目が、大きく見開かれてゆく。
驚愕。混乱。そして。
「ええっ、嘘、すごい、えっ、わぁ、すごい! すごい!」
満面の喜色。
「すごいです!! アンセットさん!!」
今日一番の輝く笑顔が、圧力を伴ってこちらを向いた。
僕はぶん殴られたような勢いに圧されて、少しよろめく。うわあ。可愛らしい。
「隠す場所はないし、地肌は地肌だし、手術跡もないし、陣もないし詠唱もないし、コップの水滴ついてたから
何か興奮してぶつぶつ言い出した。
ばっ、と身を翻してテーブルの下に潜り、起き上がって天井を見渡し、鼻をくんくん鳴らして匂いを嗅ぎ、目を瞑って耳を澄ませ、「わぁ、わぁ、わかんない」と呟く。
にこにこを通り越して、ニヤニヤし始めた。気持ち悪いけど可愛らしい。
「再現するなら、汗で膨らむ系の薬剤かなぁ。でも止まるタイミングとか一瞬だったし、紫外線で陣描いて……は、粉で埋まった時点で止まるよね、途中で焦がした粉に切り替え? だったらそういう動きが……おおっ、おおっ、全然わかんない!」
そこで一旦区切って、また真正面から僕の目を見る。
「全然わかりません!!」
すっげえ嬉しそうだな。
ちょっと怖い。怖いけど可愛らしい。
顔の良い人間は得だと思う。
僕は何と言って良いのかわからなくなり、仕方なく、
「それ、一応食べられるよ」
と、聖灰を指し示した。
少女は、声を立てて笑い始めた。
***
「おおっ、おおっ、面白い! すごい! 全然わからん!」
仕事を終えて帰宅した所、最愛の娘が少々年上と見える見知らぬ子供と談笑していたことに、訝しげな顔をしてみせたミスター・サバキは、娘さん一押しの奇跡を目の当たりにし、大体娘さんと同じようなリアクションをしてみせた。
「やるなあアンセット君!」
「言ったでしょう、お父様!」
ばしばしと僕の肩を叩くミスター・サバキと、ばしばしとミスター・サバキの肩を叩く娘さん。
何だこれは。
僕は誰の肩をばしばし叩けばいいんだ。
その状況は、僕がミスター・サバキに、聖灰が食用にも適することを伝えるまで続いた。
伝えた後には、また、娘さんの時と同じようなリアクションが、待っていた。
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