第二章 立身編

05.新たな神の化身が現れた話

 僕、イーサン=アンセットは神の化身である。


 神の化身というのは、その名の通りの「神自身が地上で活動するための仮の姿」などではなく、神の代理として奇跡を起こし、信者を稼ぐための、“神の奇跡のゴーストライター”みたいな役職だ。要はただの人である。

 真面目に信者獲得に動かなければ神罰が下り、生きたまま八つ裂きにされ、死後も永遠に地獄で苦しみ続けることとなる。

 真面目にやっていても、結果が伴わなければ死後、天界へ送られることなく魂を消滅させられる。

 ふざけた話だろう。


 そういうわけで、僕は今日も真摯に神の奇跡を起こしている。


「イーちゃん、あれ出して頂戴?」

「うん」


 僕はボウルの中の鰯ミンチに、神の奇跡たる聖灰をもたらした。

 この聖灰、効果は火傷の治療や便通の向上といった、アロエ程度の万能薬なのだけれど、味はほんのり塩味に、コクと深みが効いている。粉末調味料として食品に振りかける他、水に溶かせばとろみの出る特性から、ツナギや増粘剤としても有用だ。


 奇跡の力が発現したその日から家族の前でも実演して見せ、今では時折このようにして、学校が休みの日には、母の料理の手伝いをすることもある。


 なお、前述の「イーちゃん」とは、母が僕を呼ぶ際のニックネームである。


「イーちゃんの魔法のお陰で、最近お姉ちゃんもお腹の調子良いって言ってたわよ」

「魔法じゃなくて、神の奇跡だよ」

「はいはい、奇跡奇跡」


 そう、神の奇跡は魔法ではない。魔法の存在するこの世界では今一特別感が薄いけれど、あくまでこれは神の力なのだ。この辺りをきちんと説明しておかないと、八つ裂きと地獄行きが待っている。

 説明を信じてもらう必要は、必ずしもあるわけではない。努力の姿勢が重要なのだ。


 しかしこれ、十四才という僕の年齢があるから「はいはい」で済んでるけど、五年も六年も立って同じことやってたら、まあ、わりとまずいことになるのではなかろうか。

 前世では十九才まで生きていたけれど、大学にそんな奴は……ああ、いたなぁ。いたいた。まだ五年は大丈夫だわ。


「あ、イーくんの手垢調味料? ちょっとちょーだい」


 と、僕の掌からこぼれる聖灰を、横様にかっさらう手が現れる。

 姉である。「イーくん」とは、姉が僕を呼ぶ際のニックネームである。


「手垢じゃないよ、姉ちゃん」

「はいはい、奇跡奇跡」


 母と全く同じ台詞を返す姉は、聖灰を手にしたバニラアイスの紙容器にパラパラと散らせ、スプーンで一口掬った。


「んー、普通」


 姉は僕の聖灰を様々な食材と思い付きで組み合わせ、思い付きで評価を付け、そのまま忘れ去る、という娯楽を最近覚えたらしい。

 今や二十歳となり、落ち着いてきた姉も、三年ほど前までは思春期的な潔癖を患い、「お父さんとイーくんの後、垢だらけだからシャワーだけでいいわ」などと言って浴槽の栓を抜いたりしていたのだけれど、今や弟の手から出た奇跡すら口にするようになったのだ。何だか感慨深いものがある。奇跡発現の時期があと三年早かったら、と思うと身震いすらする。


「今日は鰯ハンバーグか」


 と、ダイニング脇の廊下から声をかけてきたのは父である。父は滅多に人の名前を呼ばないので、僕が父の脳内で何と呼ばれているのかは知る由もない。

 リリジョンフリーの墓苑管理会社で働く父は、僕が神の化身を名乗っても「そうか」で済ませるのだけれど、聖灰の味については気に入ってくれたらしい。ボウルの中に聖灰を確認すると、少しだけ嬉しそうな顔をした。それでも信徒にはなってくれない。まあ当然だとは思う。

 そんな父が、珍しく僕に、化身トークを振ってきた。


「そういえば今日、テレビに神の化身が出るぞ」

「えっ。僕そんな予定ないけど」

「お前の話じゃない」


 僕以外にも神の化身がいるというのか。

 化身だから何人いてもいいんだろうけど、色々大丈夫なんだろうか。


「神の化身、ミスター・サバキでしょ。イーくんとは化身レベルが段違いだよ」


 姉が僕も知らない化身用語を使い始めた。化身レベルとは一体。たぶん特に意味はないんだろうけど。


「その、ミスター・サバキって?」


 サバキ、というのは前世の日本語の発音と同じだから、たぶん東洋の方の言葉なんだろうな。

 僕が今話しているのは、前世で言うところの英語に近い言葉なんだけれど、日本語に近い言葉を話す国々が、東洋の方にはあるのだ。文化や言語に共通点が多いのは、それぞれの世界を創ったのが同じ神様だからなんだろうけど、いや、今はそんな話はいいんだ。

 僕の他にも神の化身がいるのなら、会って相談に乗ってもらわなければ。

 僕だって、何の準備もなく、八つ裂きにされて地獄に堕ちるのは嫌なのだ。

 準備してても、八つ裂きにされて地獄に堕ちるのは嫌だけど。

 準備をして、回避する。知恵こそ人の武器である。


「イーくん、神の化身の癖に知らないの? 今一番熱い神の化身じゃん」


 姉は知らない物事について語る時、わりと適当なことを言う。恐らく、そのミスター・サバキについて、彼女は名前以上の情報を持ち合わせていないのだろう。


「母さん、ミスター・サバキって知ってる?」


 僕は早々に情報源をシフトした。


「ミスタアー! サーバキイー! って言って、魔法も使わずに鳩出す人でしょ」


 何と言うことだ。母の言うことが本当だとすると、ミスター・サバキは自分で自分の名前を名乗り、それを掛け声にするというのか。まあ恐らく母の記憶違いで、ミスタアーサーバキイーと叫ぶのは、彼を呼び出す司会の人か何かだろうと思うけど。だって神の化身が自分の名前なんか売ったら、即八つ裂きだもんな。


「へー、さすがサバキ。私の見込んだ男だわ」


 姉が適当な相槌を打つ。

 でも確かに、魔法も使わず鳩を出すってのは、確かに僕とは化身レベルが違うな。火や水や蕎麦じゃあるまいし、魔法で鳩出すってのも人間業じゃないけどさ。

 僕が一人思案に暮れていると、姉が胡散臭い真顔で口を開いた。


「イーくんも鳩くらい出しなよ。鳩」

「鳩は無理じゃないかなぁ」

「やる前から諦めるのは良くないぞ」

「そうよ、何事も挑戦よ、イーちゃん!」


 姉の適当な気風は、両親から受け継いだものである。

 まったく期待のこもっていない六つの瞳に見つめられ、仕方なく僕は掌に意識を集中させ、念じた。


(鳩……出ろ……出ろ……鳩…………!)


 出ない。


「出ないじゃん」

「出ないよ」


 知ってた。


 神の化身に与えられた奇跡とは、主には物質化と予言の力である。物質化とは即ち、万能の霊薬たる聖灰を初めとして、無から物質を生み出す能力。予言とは、これから起こる未来の出来事を知り、信徒に伝える能力である。


 などと、僕に植え付けられた神の記憶は述べている。

 ん。予言って何それ。それ僕全然知らなかったんだけど。

 あれかな、僕の周りには、あの神様の信徒が僕しかいなくて、伝える相手が存在しないからかな。


 父はリビングのソファに移動し、姉も自室に戻る。母は料理を続けている。予言の力というのは気になるけれど、今すぐ信徒を得ようにも、うちの家族じゃちょっと難しいよなぁ。こんな聖灰より予言の方が奇跡っぽいし、信者も稼げると思うんだけど。


 そこで。僕は決心する。そう、発想の転換だ。


「僕、ミスター・サバキに会いに行ってくる」


 信徒を増やすことが難しいのなら、初めから信徒な人に会いに行けばいいのだ。

 その点で神の化身は、うってつけの相手だったのだ。

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