第50話 正体

 民衆の多くは、すでに広場から逃走したことが救いであった。

「せめて……枢機卿を」

 テオドールは枢機卿の姿を探した。確か、異変の前はすぐ近くにいたはずである。

「あそこか……」

 テオドールの目が、ようやくマルドルク枢機卿の姿を見つけたのは、ガラシャたちが陣取る広場の入り口であった。

「皆の者、神の恩寵を受けなさい」

 そうガラシャが、大声を張り上げると、光の柱は一気に天へと昇った。

 そして、次の瞬間、無数の光線となって大地に降り注いだのである。

「あぁ――」

 テオドールは、天を仰ぎ、死を覚悟した。

 あの魔力から打ち出された魔法を耐えきれる自信はなかったのである。

 それだけではない、元より死は覚悟の上であったが、この場において神の守護者を自負する聖堂騎士団が壊滅することが無念でならなかったのである。

 しかし、

「これは……」

 降り注いだ、光を受けたテオドールは自身の異変に戸惑った。

 光が、温かく体を包み込み、力が溢れ出るようであった。

「何だこれは……」

 その異常な事態を、他の騎士たちも感じていた。いや、それどころではない、傷付き倒れていた者が何事もなかったかのように立ち上がったのである。

 ガラシャの放った魔法は、「癒しの光」であった。

 暗闇での戦闘は、双方が見えないせいもあり、負傷はすれども致命傷に至った者はいなかった。

 それを、今、ガラシャは一斉に治療したのである。

「団長……」

 テオドールの横で、騎士が呟いた。

「あいつは、本当に魔女なのですか……」

 その騎士も、塞がった傷口を不思議そうに眺めている。

 テオドールは、魔法については門外漢である。しかし、今受けた光に、邪悪な物は感じなかった。むしろ、彼はそこに神を感じていた。

「まさか……」

 ガラシャは、本当に聖女なのかと、テオドールが疑念を抱いた時である。

「うぐうおおおおおおおおおおおおお」

 苦しみ、叫ぶ声が響き渡った。

「枢機卿」

 マルドルク枢機卿が、頭を抱えこむように苦しんでいるのである。

「くそっ」

 テオドールが急いで、枢機卿の元へ駆け寄ろうとした時である。

「――!」

 枢機卿の体が激しく揺れ動いた瞬間、その体がバリバリと内側から破られる。

「これは……」

 テオドールの眼前で、マルドルク枢機卿が姿は異形の化け物に変化した。いや、正体を現したのである。

 黒光りした肉体に、真っ赤に燃え盛る様な目、大きく開かれた口からは、鋭い牙が飛び出している。

「馬鹿なっ」

 慌てて、テオドールは足を止めて、剣を構えた。この姿を見て、テオドールは初めて己の非に気付いたのである。

「おれの、人間……」

 魔物が唸り声の中から言葉を吐き出した。

「枢機卿に成り代わり、我らを貶めようとした目論見……もはや、これまでです」

 ガラシャが眼前の魔物を睨む。人語を話す点から見て、並みの魔物ではない。

 その全身から溢れる闇の力が、ガラシャを纏う光とぶつかり合う。

「ククク、それがどうした……確かに、貴様らを処刑する計画は露見した」

「しかし、これで貴様ら人間は、我ら魔族がすでに人間の中に潜んでいることを知った……互いを疑い、そして滅びの道を歩むのよ」

 甲高い笑い声が響く。

「滅びるのは、あなた方です」

 身構えたガラシャに向かい、魔物が唸り声を上げて、襲い掛かる。異常に長い腕が、凄まじい速度で繰り出される。

「下郎……」

 忠興が、その腕を受け止める。

「ぬぅう」

 本来の忠興の力であれば、受けた腕をそのまま往なす事が出来たはずである。

 しかし、今回ばかりは余りにも魔力の消費が激しかった。魔力の消費が、体力に影響を及ぼしているのである。

「クククハハハ、脆い、脆いぞ」

 魔物が、忠興を吹き飛ばす。

「ヨイチ殿」

 後方に飛ばされた忠興の体を、エンリケが受け止める。

「おのれぃ」

 ショウサイが、槍をしごいて魔物に挑みかかる。

「ショアアアアアアアアアアアアア」

 それを、魔物は体に似合わぬ素早さで回避したかと思うと、一気に飛び上がった。

 そして、後方に宙返りしながら、その長い足でショウサイの体を蹴り上げる。

「ぐう……」

 僅かに後方に体を反らさなかった、魔物の鋭利な爪はショウサイに胸を引き裂いていただろう。鎧の胸部が抉られただけで済んだのは、ショウサイの技量でもあるが、槍を得物とし、間合いを十分取っていたのが幸いであった。

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