第41話 おさらば

  第五章


 一

「き……貴様、何てことをしてくれた!」

 ようやく、事態を飲み込んだ騎士たちが騒ぎ始めた。忠興を取り囲み剣を抜く。

「ほう……」

 忠興も、提げた刀を構えると、全身に魔力を纏う。

「ヨイチ」

 ベアトリスが後ろから声を掛けるが、もはや事ここに至っては掛ける言葉はなかった。

「よせ」

 そんな騎士たちと忠興の間にギュスター卿が割って入る。

 彼もまた、剣を抜いた。魔力を解放したのだろう。青い気が、全身から立ち上る。

 二人の溢れ出た魔力がぶつかり合い、バチバチと爆ぜた。

「国王様!」

 呆然と立ち尽くしていた王に、ベアトリスが縋るような声を上げた。

 王は、その声で我に返った様子であった。

 しかし、王はギュスター男爵を止めようとはしなかった。

「貴公は恩人……しかし、教会への反逆は重罪だぞ」

 ギュスター卿がにじみ寄る。

「では、教皇と帝国に怯え、救国の英雄であるジュベーを差し出すのがフロンのやり方か?」

 忠興も、幾分か冷静さを取り戻して言う。

「特使を斬っては、申し開きもできん」

 ギュスター卿が間合いを詰める。

「それで、ワシの首を手土産に教皇とやらに尻尾を振るか……」

 忠興も一歩、前に出る。

 王は、その両者を前に考えを巡らせていた。

 この異世界から来たという騎士は、本当に魔王の手先などであろうか、東の国境で帝国の侵攻から国を守っているジュベーを異端者として教会に引き渡すべきであるか、帝国は、イスパリオは、他の諸国はどう動くか、内乱の中で生き抜いてきた経験と嗅覚を駆使して考える。

 そして、生き残る道を模索するのである。

「オスカー」

 ようやく王が、背後からギュスター卿に声を掛けた。

「王宮を壊す気か! 厩でせい!」

 その言葉で、ギュスター卿は全てを察した。

 コクリと頷くと、忠興に目配せをする。

「こっちだ」

 構えを解かずに言うと、ゆっくりとそのまま扉に向かう。

「……」

 忠興も、それについて行く。

 この異常な状態から、王の意図をベアトリスは汲み取った。

「ヨイチ、もう止しなさい」

 そう叫ぶと、忠興の前に立ちはだかる。

 さらに、

「くっ……何を……」

と、三文芝居のような声を上げて、忠興に抱き着いた。

 そして、

「卑怯な、騎士ともあろうものが女を人質に取ろうというのか!」

と言ってのける。

「ベアトリス……」

 忠興が、呆れ顔でベアトリスを見る。

「く……女を人質にされては……」

 王が、そのベアトリスの作戦に乗る。もはや忠興の眼前でギュスター卿も笑いを禁じ得ないといった表情である。

「あぁ、馬を用意しろと言うの?」

 ベアトリスが、忠興の言ってもいない言葉を周囲に告げる。

 忠興も、ここに来て、周囲が忠興を逃がそうとしていることを理解した。


 用意された馬に乗り、忠興はベアトリスを人質とし、王宮を後にした。

 一旦は、ベアトリスの屋敷に戻り、武装、荷物を整える。

「ヨイチ、これからどうするの」

 鎧を着こむ忠興に、ベアトリスが尋ねる。

「無論、バルカノに行く。珠を助け出さねばならぬ」

 忠興は、手早く支度を進めて行く。

「そう……よっぽど、その転生したという奥様が大事なのね」

 ベアトリスがため息を吐いた。

「王都を出たところまでよ。その後までは力になれない」

「願わくば、フロン王国への疑いも晴らして欲しいわね」

 それは、フロンの貴族として、そして国民としての本心であった。

 長きに渡る内乱が終わり、ようやく訪れようとしている平和の芽を摘まれたくはないという、切なる願いである。

「手伝うわ」

 ベアトリスが忠興の、背後から鎧の着込みを手伝う。その手が名残を惜しんでいるのが忠興には伝わった。

「バルカノは、諸国に絶大な影響力を持っているわ。その権威は国王を遥かに凌ぐわ」

 異世界から忠興が来たということは、つい先ほどまで知らなかったベアトリスであったが、思い返せば、納得できるところも多かった。

 その上で、この世界における神の代理人たる教皇の力を、忠興は知らないと思うと、あまりに無謀であると思うのである。

(神とは……あの声の主であろう)

 一方の忠興は、この世界に来た時に聞いた声を思い返していた。

(神が珠を呼んだというのであれば、教皇などは問題ではない)

 しかし、忠興は思う。

(魔王の手が、バルカノ内にまで及び、それが珠に害をなそうとしているかもしれぬ)

 いずれにせよ、行ってみなければ分からない。

 支度を済ませた忠興は、足早に厩に向かう。

 黒松が、鼻息荒く忠興を歓迎する。

「ご令嬢」

 忠興は、ベアトリスの右手を取ると、その甲に軽く口づけをした。

「え……」

 驚きと、気恥ずかしさで顔を真っ赤にしたベアトリスに、ニヤリと笑ってみせた。

「おさらば」

 そう言ったと思うと、あっという間に馬上の人となり。一目散に駆け去った。

 取り残されえたベアトリスは、そっと右手を愛おしそうに眺めた。

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