第32話 ご令嬢様一行


 出立は、明日ということで、忠興は屋敷に泊まることとなった。

 暇を持て余し、屋敷の周りを散歩する。

(やはり……妙だな)

 忠興は首を傾げた。すかさず、モーレットが声を掛ける。

「旦那、どうしたんで?」

「む……見よ。あの者どもを」

 忠興は、門の前の衛兵を顎で示す。

「あいつらの態度、とても訓練された兵とは思えん」

 衛兵たちは、だらけた様子で槍にもたれ掛っている。その他のギュスター家の兵士らも離れの建物で昼間から酒を飲んでいる。

 兵とは名ばかりの、ならず者の集団と言えた。

「だから、ワシを騎士と見て、パリースまでの従者として雇い入れたのだな」

 こんな兵を連れていては、恥を掻くだけである。

 それにしても、なぜ領主であるギュスター家の私兵がこのような者しかいないのか、しかるべき騎士の一人もいないことが、忠興には不思議であった。

 そんな時である。

 館に戻って来たソフィアの姿が見えた。街まで使いにでも出ていたのだろう、荷物を提げている。

 ソフィアは忠興に気づくと、頭を下げた。忠興も礼を返す。

(この娘……)

 忠興は、そのソフィアの所作に気品を見たのである。

「おい……」

 忠興は手を挙げたが、ソフィアはそそくさと屋敷に戻って行った。

「なんでい、アンタ、あの娘に気があるのかい」

 その様子を見ていた衛兵が、忠興に茶化す。

「それにしても、可哀そうな娘だぜ、へへへ」

 下卑た笑いである。

「……」

 忠興の鋭い目つきに、衛兵が息を飲み込んだ。

「おい、あの娘の何が可哀そうなんだ?」

 忠興が、怯んだ衛兵に問いかける。

「え……そりゃあ」

 衛兵二人が、顔を見合わせる。

「早く言え」

 忠興が、さらに詰め寄る。

「ここの領主は、本当のギュスター男爵じゃあないんですよ」

「何!」

 忠興も、これには驚きを隠せない。

「今の領主は、つい去年までは金貸しをしていた商人さ」

「へへへ、本当の領主様が戦で死んじまったのを良いことに、あの男が貴族に取り入って、金で爵位と名前を買ったのよ」

 そういうことか、忠興にも合点が行った。

「あのメイドの娘は、本当のギュスター男爵の娘よ。本当ならご令嬢のご身分なのに、ああやって召使いとしてこき使われてるのよ」

 どうりで、礼一つ取っても気品を感じたのはそういう訳かと忠興は納得した。

 気品とは、そう簡単に身に付くものではない。

 ベアトリスが、忠興を無礼者と罵りながらも、騎士として雇い入れたのは、この気品が忠興から感じられたからであった。

 礼法は違えど、身にまとう風格が、忠興の人品が卑しくないことを示していたからであった。

「そうか……」

 忠興は、一人で頷きながら屋敷へと戻った。

 事情を知ったからと言って忠興は、ソフィアに同情はしていない。

 彼も、戦国乱世、下克上の世に生きてきた男である。立場の浮き沈みは世の常だという考えは持っていた。

(しかし、これで胸のつかえが取れたわ)

 ギュスター家の親娘に抱いていた不審が晴れたからである。成り上がり者である、現ギュスター男爵には子飼いの家臣がいないのである。

 そこで、ならず者どもを兵士として雇うしかなかったのである。

 カラクリが分かれば、忠興としても、契約をただ果たすのみであった。


 パリースまでのベアトリスの一行は

    馬車一両(馭者一名)

    騎士一名(忠興)

    兵士四名

    召使い一名(ソフィア)

という編成である。

 ソフィアは、召使いであると同時に、ベアトリスに貴族の礼法を教える係でもあるのである。

 馬車に、ベアトリスとソフィアが乗り込むと、忠興は出立を宣言した。

 鎧も、ギュスター家が用意した西洋風の甲冑に改めている。

 流石に、自前の甲冑では悪目立ちするからである。

 パリースまでは、まだこの編成からだと一週間はかかる。その間に、忠興もソフィアからフロン流の作法の手ほどきを受けることとなっていた。

「僭越ながら、よろしくお願いいたします」

 そう言って、頭を下げるソフィアの姿は忠興には好ましく映った。

 しかし、作法には辟易したのも事実であった。

 イスパリオの礼法は武張ったところがあったが、フロンのそれは優雅を重んじる気風があったのである。

「ヨイチ様、そこはもう少し腰を柔らかく」

 宿屋の一室で、ソフィアが忠興に指導をする。右手を腰の前に、左手を背中に回してするお辞儀一つ取ってもこの調子である。

「こう……か」

 忠興が、ソフィアのお手本を真似る。

「そうです。そうです」

 なお、服装もこれまでの直垂姿ではなく、フロンの騎士らしい装束に改めている。

 着てみると、これが意外と窮屈ではなく、機能的な物であることが分かる。忠興は、これについては気に入っている。

 刀だけは、自前の兼定と、二代左安吉作の長巻を脇差に改めた、号「晴思剣」をそのまま差している。

 この脇差は、忠興が主君織田信長から拝領した物で、茶坊主に化けた間者を手討ちにしたことから、思いが晴れたと忠興が「晴思剣」と命名した物である。茎には、ガラシャが忠興を評した「退くことを知らない人」という彼の性格を現すように「運有天敢莫退」、運は天に有り敢えて退くことこと莫れという文字が刻まれている。

 この二振りは、忠興にとっても命を託す得物である。

 フロンまでの道のりにしても魔物との戦闘は避けられなかった。

 魔物を、いとも容易く撃ち払う忠興の姿は、ベアトリス以下の者の信頼を勝ち得るには十分すぎるものであった。

 しかし、忠興は、このように苛烈な性格を持つと同時に、文化人としての教養を重んじる人物でもあった、。

 それゆえ、このフロン流の作法を学ぶことについても、苦戦はしたものの苦痛ではなかった。

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