第26話 父との確執

  第四章


 一


 戦いから一週間、ようやく忠興らはフロン王国に向けて出発することとした。

 昨日、執り行われたバセロナ伯の葬儀を見届けて、一段落したからである。

 ガラシャたちも同じく街を出るが、依然としてガラシャは忠興と同行しようとはしなかった。

 挨拶もそこそこに、先に旅立って行った。

 城門の前でユリィが、そんなガラシャを見送りながら、忠興に愚痴を吐く。

「ヨイチ、もう諦めたら」

「幾らなんでも冷たすぎるよ、あの子」

 ユリィは、ガラシャを見た目から、年下扱いしている。

「ヨイチ様、貴方さえよければ早く魔王なんか倒して、このバセロナにずっと住んでくれてもいいですよ」

 ルシアは、ガラシャには負傷兵の救護をしてもらった恩がある。

 しかし、それ以上に、祖父や両親、兄弟の仇であるべリアルを倒した忠興には特別な感情を持っているようであった。

 忠興は、それに笑顔だけ見せて返事とした。

「行くぞ」

 そう言うと、黒松に跨りフロン王国に向けて出発をした。

 後ろから、ルシアをはじめとするバセロナの民衆が大きな声援を送る。忠興は、振り向かない。

 武人としての姿を、亡きバセロナ伯に代わってルシアに示そうと思ったのである。

 大きく手を振って応えるユリィが、そんな忠興の心情を察する。

「ヨイチって、そういうところは意外といい人よね」

 ユリィが笑顔を忠興に向けた。

「さて、フロン王国だけど……」

 ユリィが考え込む。

「ひとまずはモンテーニュの街に行くでしょうね」

 ガラシャたちの行く先である。

「何故分かる」

 忠興が質問する。ユリィが人差し指を立ててウインクをした。

「モンテーニュは魔法都市として有名なの。大学まであるのよ」

 忠興にはよく分からない。

「大学?」

「そう、魔法の研究をするところよ。だから、魔王や勇者のこともモンテーニュに行けば情報が得られると思うのよ」

 ユリィが得意気に答えた。

「成る程な」

 忠興は、黒松のたてがみを撫でながら頷いた。

「モンテーニュまでは、このまま海岸沿いを進んで行って、途中で少し北に行けばいいわ。だいたい五日くらいはかかるわね」

 ユリィが街道を指さした。馬の体力的にも五日に一度は休息を取らせてあげたい。丁度良い距離であった。

 移動の間、忠興はユリィからフロン王国についての話を聞かされた。

「はっきり言って、私、フロン人自体はあまり好きじゃないのよ」

 ユリィはそう前置きした上で話しだした。

 ユリィはイスパリオ人である。フロン人とは敵国ということもあるのであろう。

「そもそも、フロン人は何かにつけてお高く止まってるのよね」

「学問一つにしても、実践よりも……その、理論に凝るっていうか。文化や芸術にしても、何か鼻につくのよね!」

 ユリィの説明で、忠興は京の公家を思い浮かべていた。

 成る程、それはユリィだけではなく、自分とも反りが合わないかも知れないと忠興は思った。

「ヨイチなら心配ないと思うけど、フロンでは宗教問題には触れては駄目よ」

 ユリィが、念を押すように言った。

「フロン王国は、つい最近まで宗教間の対立で内乱が起こっていたの」

「しかも、そこにイスパリオや東側の帝国、世界中が介入した三十年にも及ぶ内乱よ」

 仏教にも諸派あるように、こちらの世界にも宗教上の対立はあるのだなと忠興は思った。忠興は、この世界に転移した時に聞いた『神の声』を思い出した。

「表面上は、手打ちってことになってるけど、火種はいまだ燻っているから注意は必要ね」

「まぁ、モンテーニュは学問の街だからそれ程まではひどくはないと思うけど……世界中から魔法の研究者が集まってきているから」

 学問奨励の非武装地帯としての暗黙の了解がなされている。そうユリィが説明した。

 そして、五日の後に忠興らはモンテーニュの街に到着した。

 宿に馬を預けると、早速、二人は街に出た。

「確かに独特な雰囲気だな」

 忠興が周囲を見まわして言う。老若男女問わず、黒い長い布を纏い、頭には黒い正四角形の帽子を被った者が多い。

「あれは大学の学生や、研究者よ」

 ユリィが説明する。

「黒い式服だけのが学生、その上から斜めに帯を掛けているのが、大学を卒業した学士以上の証」

「帽子の房も、大学を卒業した者だけが付けるのよ」

 確かに言われて見れば、青色や赤色の房を帽子に着けた者もいる。

「ん、あいつなんかは二つ付けているぞ」

 忠興が指を指す。

 目の前の老人は、赤色と緑色の房を帽子に付け、同じく体に帯を掛けている。

「あの色は、それぞれ魔法に対応しているの」

「赤は火、青は水、緑は風、黄色が地よ」

 ユリィがエヘンと胸を反らす。

「あと、白色が聖、黒色が闇ね」

「つまりは、それぞれの専門分野である魔法の属性を現しているのね」

 ユリィは、魔法使いだけあって魔法のこととなると饒舌である。

「まっ、勉強したからって魔法が強くなるわけじゃないけどね。理論と実践は違うからね」

 と、最後に付け加える。

 それは忠興も同感であった。剣術においても、忠興自体は特定の剣の師を持っていなかった。

 大名の子であれば、何かしらそういった教育を受けてしかるべきであったが、忠興の幼少時は、それ程、恵まれた物ではなかったのである。

 永禄八年五月十九日(一五六五年六月十七日)に、忠興、当時は幼名熊千代は親に見捨てられたのである。

 その日、将軍足利義輝が家臣である三好、松永の軍勢に御所を攻められ自害するという前代未聞の事件が起こった。

 将軍の側近であった父の藤孝は、その変を聞くや否や、仲間の明智光秀と共に、将軍の弟である僧覚慶(後の十五代将軍義昭)を救い出し、京を脱出した。

 熊千代を別邸に残したままである。

 当時、同じ細川家でも別家である細川輝経への養子の話が上がっていた熊千代は、家臣にも見放された。

 唯一、乳母だけが幼き熊千代を匿い、育ててくれたのである。その際も、迫りくる追っ手に対して自らの長女と次女を犠牲にしてくれたのである。

 乳母と、その三女とともに裏長屋に隠れ住んだ熊千代は、名を「宗八」と変え町人として幼少期を送った。父が迎えに来たのは、それから三年の後、数え六歳であった。

 その間の事を、忠興は忘れたことがなかった。その間に父は流浪先に、母を呼び寄せており、弟の頓五郎興元が生まれていた。

「自分は親に捨てられた」

 それが、忠興の父藤孝を好きになれなかった原因でもあり、同時に家族という絆を強く求める妻ガラシャに対する異常なまでの執着を生む遠因となったのかもしれなかった。

 兎に角、彼は剣については特定に師は持たなかった。

 父が塚原卜伝に剣を学んだことに対しての反感もある一方で、彼は独自で工夫することが好きでもあったのである。

「肥後拵え」

 という、刀の拵えには忠興独自の工夫が施されていた。

 柄と刀身を短くした、片手打ちに適したこの拵えは「茶室」と「抜き打ち」という彼の持つ精神性が現れたものである。

 その他にも、甲冑、フンドシなども彼は独自に工夫を凝らしていたのである。

 それが、戦場で学んだ彼の剣であった。

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