第20話 相撲
反対側のゲートが開く。
先ほどの牛よりもさらに大きな牛が、勢いよく闘技場に飛び込んできた。
牛は、飛びかかる機会を窺うように土を蹴っている。荒い鼻息が鎮まり返った闘技場に響いた。
「ヨイチ、剣を抜かないと」
ユリィが大声で叫ぶ。しかし、忠興は両手を広げて牛の前に立ちはだかった。
「何と、あの騎士……牛と力比べをするつもりか……」
バセロナ伯も思わず心配そうに声を上げた。
「無茶よ」
ルシアも驚く。
忠興は、そのつもりであった。
(親父も昔、よく牛と力比べをしたと言っていたな)
そんな事を考えていた。
忠興の父、細川藤孝(幽斎)は、戦国武将でありながら、歌人としても古今和歌集の秘伝『古今伝授』を受けた教養人であり、鼓を持たせても一流、料理までこなした文化人であった。
しかし、その本分はやはり武士、剣豪塚原卜伝に秘伝『一の太刀』を受けた剣豪でもあった彼は、その腕力が自慢でもあった。
そんな藤孝は若い頃、暇を持て余しては牛と相撲を取っていたと、忠興は老臣から聞かされた事がある。
(ワシもやってやろう)
そう思ったのである。忠興は父が嫌いであった。彼自身も父と同じく文化人としては、千利休の高弟『利休七哲』に数えられた程の才人であったが、それ故か、父とは性格が合わなかった。
珠の死後、関ケ原の戦いの前哨戦とも言える、丹後田辺城の戦いにおいて、父の細川幽斎は僅か五百名の手勢で、西軍一万五千の大軍を相手に一月半もの間、城を守り切った。
それは幽斎の、武力だけではなく政治力までを動員した一世一代の戦いであった。
結果、幽斎の持つ『古今伝授』の失伝を憂いた天皇が勅使を派遣、勅命により已む無く、城を明け渡したという形で戦を終え、幽斎は面目を保ち、西軍一万五千は関ケ原の本戦に間に合わなかった。
それが、忠興には気に入らなかった。
(女の珠でさえ、家のために命を棄てたというのに……)
その連絡を急使から伝え聞いた忠興は、
「何故、城を枕に討ち死にしなかった!」
と、人目も憚らず父の所業を罵った。
だからこそ、
(親父には負けられない)
そう思ったのである。
牛が頭を下げた。忠興が腰を落とす。
「来るわ」
ルシアが叫んだ。
「ヨイチ!」
ユリィが思わず、手で顔を覆う。
「ぬうううう」
牛の突進を忠興が真正面から受け止める。両手が、それぞれ左右の角をしっかりと握った。
「ウオオオオオ」
牛が低く唸り、さらに歩を進めようとする。
「おうらああああああああああ」
忠興は、力任せに両手で持った角ごと、牛の頭を下へ下へとと押し下げる。牛も抵抗するが、忠興がそれを上から強引に押し込んで行く。
「お……おお」
バセロナ伯が、その光景を見守る。孫娘のルシアも驚きを隠せない。
「どっせいいい」
牛の頭を地面に押し付けると、忠興が素早く刀を抜き、牛の首を叩き落とした。
「見事!」
忠興の膂力にバセロナ伯が惜しみない拍手を送る。
観客も忠興の剛力と、その勇気を総立ちで称えた。
「流石ヨイチ! そうこなくっちゃ」
先程までの心配を忘れて、ユリィも、飛び上がって喜んだ。
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