第19話 闘牛

  三


 翌日、忠興は頭痛に悩まされながらベッドから身を起こした。

「むぅ……」

 ガラシャたちが出た後、忠興らは船員たちの宴会に巻き込まれ散々に飲んだのである。

 ドンドンと部屋の扉を叩く音がする。ユリィであった。

「もー、ヨイチ遅いよ」

 ユリィは、すっかり身支度を終えていた。部屋にズカズカと足を踏み入れる。

「聖女様はもう街を出たわよ」

 忠興が、慌てて外を見る。

 日が高い。どうやら昼前まで寝過ごしてしまったようである。

「いかん」

 急いで身支度を整える。ユリィが甲冑の装着を手伝う。

「酒臭い……」

 ユリィの呟きに、忠興がバツの悪そうな顔で反省の態度を示した。

 エンリケの手にかかってしまった結果である。


 街を出ると、忠興らは陸路を北、バセロナに向かった。

「王都からバレンタ、バレンタからバセロナまでも同じくらいの距離はあるわ」

 ユリィが言う。

 つまりは、五日はかかるという事である。

 馬の体力も考えると、無理をする必要はなかった。

 ガラシャたちの目指す魔王が、日本にいるとなると果てしない旅となる。焦っても仕方がない。

 ユリィは、そうやって焦る忠興を暗に諭しているのである。

「ゆるりと行くか」

 忠興も、ユリィの意を汲んでそう答えた。

 五日間の旅も、忠興たちはさしたる危険もなく乗り越えた。

 途中、魔物と出くわすこともあったが、忠興の敵ではなかった。それどころか、ユリィが魔法を使う暇もないと愚痴を言う始末であった。

 やがて、忠興たちの前に、荘厳な城郭が姿を現した。

「あれがバセロナよ」

 バセロナは城下町である。

 ここは、ピラリエ山脈に南に位置し、フロン王国とイスパリオ、そしてポルテギアを結ぶ陸地上、そして南に広がる内海は海上における交通の要所であった。

 交通の要所はつまり、軍事的にも重要な拠点でもある。

 過去、この地を巡ってイスパリオ、フロン、果ては大陸を越えた異民族との間で幾多の争いが起こった。

「今は、バセロナはイスパリオ領だけど、今後もそうだとは限らないわね」

 ユリィの語る、バセロナの歴史に忠興は耳を傾ける。

「ここの領主、バセロナ伯には挨拶しておいた方がいいわ」

 重厚な警備が門の前に敷かれている。その衛兵を前にしてユリィが言う。

 イスパリオの騎士として、一応の礼は必要ということである。

 忠興らは、門で身分とバセロナ伯への面通りを願った。

「騎士っていうのはほんと面倒ね」

 待つ間、忠興らは衛兵の待機所に通される。ガラシャたち、ポルテギアの騎士はイスパリオの友好国であるから、そのまま街に入ったとのことであった。

「イスパリオ領を抜けたら普通の冒険者で通しましょう」

 そう言うと、ユリィはギルドの冒険者が持つ徽章を取り出し、忠興にウインクをした。

 確かに、ここは仮にもイスパリオ領であるから騎士として遇されるが、他国ではどうなるか分からない。

 冒険者を称していた方が気楽な旅となるかも知れないなと忠興も感じた。

 そうしている内に、衛兵が戻って来た。

「バセロナ伯が、お待ちです」

 そう言うと、忠興とユリィを促す。

 しかし、衛兵は城内ではなく街中へと進んで行く。

「どこへ行くのかしら」

 ユリィが不審に思ったのか、疑問を忠興に投げかける。

「……」

 忠興にも検討がつかない。

「こちらです」

 衛兵が一つの建物を指さした。

「ここは……」

 忠興が衛兵に尋ねる。

「バセロナ名物、闘技場です」

 衛兵がニヤリと笑った。

 闘技場の中は、大きな盛り上がりを見せている。

「この闘技場では、伝統の牛と騎士の戦いが行われているの」

 ユリィはようやく事態を呑みこめたようである。

「バセロナ伯は闘牛がお好きなようね」

 観覧席の中の中央に、バセロナ伯の姿があった。

 バセロナ伯マルコス・バルカ、銀髪に長い髭が特徴的な長身痩躯の男である。

 忠興とユリィが挨拶するが、闘牛に夢中な様子である。

「おお、よくぞ来られた。まぁ、見たまえ」

 そう言って、闘技場を指さす。

 眼前では、牛と騎士の戦いが真っ最中である。

「あの騎士、女の子じゃない」

 ユリィが驚いた声を上げた。

 騎士と言っても、碌に武装を纏わない平服である。歳は十五歳くらいの少女である。

 灰色がかった髪の両端を束ね、それが動くたびにヒラヒラと舞う。

 左手に持った赤いマントを、ユラユラと動かす。

「あんな華奢な身体で無茶よ」

「むぅ」

 忠興も唸る。

 闘技場では魔法の使用は禁止されている。純粋な剣技のみで、騎士が牛を倒すという修練がその成り立ちだからである。

「グオオオオオオ」

 牛が、その赤いマントに向かって突進を掛ける。

 黒い身体に、大きな角を生やした、牛と言うよりも魔物と言ったほうがしっくりくる様な巨体である。

 その突進を、その少女がヒラリと躱す。

「ああやって、躱した時に剣を刺していくのよ」

 ユリィが解説する。

 しかし、その少女は違った。

「はっ!」

 気合いと共にナイフを牛に向かって投げつけたのである。

 それが、ドカッという音とともに牛に突き刺さる。

「もう一丁」

 怯む牛に、さらにナイフを投げる。

「あっ、マントの中に……」

 忠興も、その少女のマントの裏側にナイフが大量に仕込まれていることに気が付いた。

 少女は華麗に踊るように、牛の突進を躱すと、次々とナイフを投げる。

「とどめ」

 眉間にナイフを受けた牛が地面に倒れると、観客から拍手が巻き起こった。

「はー、大したものね」

 ユリィも手を叩いて健闘を称える。

「おおー、見事じゃルシア!」

 バセロナ伯も大喜びである。少女が観客らに礼をすると、バセロナ伯の元にやって来た。

「どう、おじい様」

「おうおう、良かったぞ。流石ワシのルシアじゃ」

 バセロナ伯が相好を崩す。

「んっ?」

 忠興が、ルシアとバセロナ伯の顔を交互に見る。

「どうじゃ、騎士どの。ワシの孫娘は大したもんじゃろう」

 これで、ようやく忠興も合点がいったらしい。

「しかし、武門の誉れ高いバルカ家とは言え、女の子までこんな強いなんてね」

 ユリィがルシアに話しかける。

「バセロナを守るに、男も女もありません」

 そうルシアが胸を張る。

「そうじゃ、近頃は軟弱な騎士が増えたものじゃ」

「のう……騎士殿」

 バセロナ伯の目が光った。

 忠興は嫌な予感を感じた。

「どうじゃ騎士殿、孫娘の後学の為にも一つ……」

 闘技場に視線を移す。牛と戦えと言うのである。

「ヨイチ、魔法は禁止よ。大丈夫?」

 ユリィが心配そうに忠興に耳打ちする。

「愚問だな」

 忠興はそう言うと、ゲートを開けて闘技場に足を踏み入れた。

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