第12話 ゴブリンの巣

忠興たちは、歩を速めた。伏兵を倒した今、残すは本隊である。


「間もなくです」


 先頭を行くサイモンが言う。


 しかし、それがなくとも、洞窟内に響き渡る剣戟の音が、すでに前方で戦いが始まっていることを知らせていた。


 一行が駆け出す。


「珠」


 ガラシャの姿に気付いた忠興が、声を上げた。ガラシャは手を組んで祈りを捧げている。


「おおおおおお」


 その前面でショウサイ以下の騎士が、並み居るゴブリンと斬り結んでいた。


 洞窟の奥は、広い空間となっていた。ここが、ゴブリンの巣である。


「どけいいぃ」


 ゴブリンの群れにショウサイが突っ込む。手にした槍が回転する度に、ゴブリンたちが吹っ飛ぶ。


「続けえー」


 エンリケら騎士が、それらにとどめを刺す。


 ガラシャの加護が、ショウサイら騎士の攻撃力、そして防御力を高めているのである。


 彼らの身体が光に包まれ、薄暗い洞窟内を煌々と照らしている。


 数はゴブリンの方が勝るが、正規兵である騎士らの敵ではなかった。


「これは……」


「俺ら……要りませんね」


 サイモンと、アルトが構えを解いて、それを見守った。


(所詮ゴブリンなどはこの程度か……)


 忠興も、もはや出る幕はないかと静観する。


 その時である。


「グルオオオオオオア」


 洞窟の最深部からけたたましい唸り声が響いた。


「む……」


 ショウサイが足を止めると、素早く横に飛んだ。


 そこに、巨大な棍棒が振り下ろされる。地面に叩きつけられた棍棒が、すでに死骸となったゴブリンたちの身体を押しつぶした。


「あれは……」


 騎士たちにざわめく。


 暗闇から姿を現したその怪物は、人の倍以上の背丈を持つゴブリンであった。発達した筋肉はもはや異形の様相を呈している。


「ゴブリンロード!」


 コエンの声に、動揺の色が出ている。


「オアアアアア」


 ゴブリンロードが棍棒を振り回す。重い棍棒がまるで小枝の様に風を切る。


「がっ……」


 その一撃を受けた騎士の身体が軽々と吹き飛ばされる。


「フィーゴ」


 エンリケが、その騎士に駆け寄る。


「まずい」


 アルトが剣を構える。


「何だあいつは?」


 忠興が呑気に尋ねる。


「あいつは、ゴブリンロード……そこらのゴブリンと違い高い知能と戦闘力を持っています」


 アルトがゴクリと唾を呑みこんだ。


「サイモン……迂闊に近づくな。コエンは攻撃魔法の準備、ユリィは負傷者の回復を!」


 アルトが指示を出すと、ゴブリンロードに向かって行く。


「グルオアアアアア」


 ゴブリンロードの棍棒が、騎士たちを襲う。


「くそっ……」


 思った以上に動きが速く、その巨体のリーチの深さと相まって近づくことが出来ない。


「ぐはっ……」


「ぎぃやあああ」


 いくら広いと言っても、所詮は洞窟内である躱すにも限界がある。避けきれず、棍棒を受けた騎士たちが一人、また一人と倒れていく。


 アルトとサイモンも何とか粘ってはいるが、躱すのが精一杯である。


 ユリィにしても、回復魔法を使おうにもゴブリンロードの近くの騎士まで近づけないのである。


「ええい、食らえ」


 コエンが「炎の球」をゴブリンロード目がけて放つ。ここで初めてゴブリンロードがたじろぐ。


「今だ」


 アルトとサイモンが、ユリィの元に倒れた騎士を運ぶ。


 しかし、コエンの火球は、ゴブリンロードを倒すまでは至らない。


「ショウサイ、援護します」


「他の皆は下がって」


 ガラシャがショウサイに呼びかける。ショウサイがコクリと頷いた。


「オアアアアア」


 ゴブリンロードが棍棒を振り上げる。


「そこぉ!」


 すかさずショウサイが、その腹を槍で突く。そして、飛びのく。その後もゴブリンロードの棍棒を華麗に躱しつつ、ショウサイが槍を繰り出す。


「グウウウウ」


 ゴブリンロードが、ショウサイの動きに不審を感じたのか、動きを止める。


「ガウアアアアアア」


 そして突然、駆けだした。地鳴りが響く。


「しまった」


 ショウサイが叫ぶ。


 ショウサイの動きは、ガラシャが攻撃魔法を使う時間稼ぎだったのである。


 それに気付いたゴブリンロードが、ガラシャに向かって一直線に襲い掛かる。


 残った騎士たちもガラシャを守るが、その巨体を止められない。


 弾き飛ばされた


「うぬぅ」


 忠興もガラシャに駆け寄るが、距離が遠い。


 ゴブリンロードの棍棒が轟音を立てて、ガラシャに振り下ろされた。


 しかし、


「グ……」


 その棍棒はガラシャに届かなかった。光の壁がガラシャの周りを包み、それを防いだのである。


 やがて、ガラシャが組んでいた両手を離した。右足を引き、ガラシャが構える。


 左手を突き出し、グンと引いた右手に、光線が走る。


「光の弓」


 エンリケが見たという、魔王の幹部プリーテを打ち倒した魔法である。


「主の裁きを――」


 そう言って、ガラシャが右手を離そうとした時である。


「うううおおおおおあああああああああああああああああああああああ」


 凄まじい斬撃が、ゴブリンロードの身体を斬り上げた。


 忠興である。


 ガラシャの前に立ちはだかった忠興の一撃が、ゴブリンロードの身体を、左下から右上に切り裂いた。


「ガ……」


 その威力は背後まで突き抜け、その巨体を両断していた。肉がずれていく様を、怪物は哀れな顔で見た。


 しかし、


「きさまあああああああああああああああああああああああああああ」


「珠にぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」


 忠興の刀は、その怪物が倒れる時間すら与えない。


 闇の魔力の迸る斬撃が、その巨体を斬り刻んでいく。


「死ねぇええええええええええええええ」


 すでに、命も尽きているであろう怪物の身体がコマ切れとなって消し飛んでいく。


 しかし、なおも忠興は刀を振り続けた。


「散れ散れ散れ散れ散れ――――――――」


 返り血を全身に浴びた忠興の狂気に満ちた声が、響き渡った。


 やがて、ゴブリンロードだった肉片は、闇の炎に包まれて消滅した。


 相手が魔物とはいえ、あまりの凄惨な光景に誰も言葉を発することができない。


「下郎が……」


 ようやく、忠興が刀を下ろす。まだ怒りが収まらないのか、顔の筋肉がピクピクと痙攣している。


「珠! 大事ないか?」


 忠興は向き直ると、さっきまでとは別人の様な声色を上げ、ガラシャの顔を見た。


 その忠興を、ガラシャが冷たい目で見る。


「む……」


 ガラシャの右頬に、赤い血が付いているのに忠興が気付いた。


「それは……」


 ゴブリンロードの返り血である。ガラシャがそっとそれを拭った。


「おのれ、おのれぃいいい」


 忠興が歯噛みする。


「美しいお主の顔に、汚らわしい血を……」


 みるみる表情が強張っていく。


 遠巻きに見ていたアルト一行は、もはや気が気でない。敵のいない今、怒りの矛先がどこに向くか分からないからである。


 その気配を察してか、ガラシャが布を取り出すと、


「与一郎様こそ」


と、忠興の血まみれの顔を拭った。


 忠興を包んでいた闇の魔力が引っ込んでいく。


「珠……」


 優しい声で忠興が囁いた。


「危ないところ、ありがとうございます」


 ガラシャが頭を上げる。


 すると、ガラシャを抱こうとした忠興をすかして、倒れたポルテギアの騎士に向かってガラシャは走った。


「フィーゴ」


 声を掛けて、エンリケに抱かれたフィーゴに駆け寄る。


 兜を取ったその顔は髭を蓄えた歴戦の勇士を思わせる風貌である。


 しかし、すでに血の気はない。


 身体がビクンビクンと痙攣をおこし、口からコポコポと音を立てている。ゴブリンロードの棍棒を食らったのだ、ガラシャの加護により防御力を高めていなければ即死であったろう。


 しかし、おびただしい出血から見ても、内臓が潰されていることは明白であった。


 もう長くはない、その場にいる誰もがそれを理解した。


「頑張って」


 しかしガラシャは諦めていなかった。フィーゴの鎧の上に両手を当てる。


「主デウスよ、貴方の従順なる使徒に癒しの手を差し伸べ給え」


 一心に祈る。その姿を、忠興も茫然と見守る。


 決して侵されざる、聖なるものを誰もが感じたのである。


「かっ……」


 喉の奥の血を吐き、フィーゴの目が開いた。


「聖女様……」


 フィーゴがその右手を弱々しく上げた。その手を、ガラシャの両手が優しく包み込む。


「もう心配はいりません」


 ほほ笑んだガラシャの顔を見て、フィーゴの目から涙が溢れた。


 髭面の男が、大声を上げて少女であるガラシャの胸で泣いた。


 そして、そのフィーゴの髪を、ガラシャが慈しむように撫でるのであった。


「聖女様……」


 その光景を見たアルトが呟いた。


 あれほどの瀕死の重傷を、瞬く間に癒すことなど並大抵の魔法使いにできることではない。


 そして、それ以上にその少女の風貌に似合わぬ慈母の表情をアルトは見たのである。


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