第17話 風の谷に起きた悲劇

 ウマシカがなぜナウマン教を創設するに至ったのか。それを語らねばならない。それにはまず、風の谷に起きた悲劇を説明する必要がある。最もわかりやすいのは、ウマシカ本人に語ってもらうことではないだろうか。なので、ウマシカの記憶の中へと飛んでみることにしよう。ウマシカの記憶の奥底に横たわる、決して忘れることのできない悲しい記憶へと。


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 ・

 ・

 13?

 14歳?

 いや、15歳くらいだったろうか。たしか私がそれくらいの年齢の時だった。その当時、毎日が平和に過ぎていた。嫌なことなど全くなかった。だから、幸せだったのだと思う。

 だけど、ある日、起こった。

「水だー! 水だー!」

「川が増水で溢れてるぞ!」

「水の森で洪水だ!」

「水が谷に流れ込んできたぞ!」

「早く高台に非難しろー!」

 谷の者たちが叫びながら村々を駆け回って知らせていた。水の森で長期間雨が降り続いたために、風の谷へと膨大な水が流れ込んできた。みんな高台へ避難した。谷を囲む崖から、滝のように水が流れてくる。一部で地すべりが起こった。濁流が谷を呑み込み、流木が家々を壊した。逃げ遅れた大勢が亡くなった。水が引いた後、大人たちは悲痛な面持ちでいた。

「これで畑がダメになった」

「畜生!」

「家も大半が立て直しになるな」

 私の、そして風の谷の平和な日々がこの時壊された。数日経って、水の森王国から使者が訪れた。使者は洪水の件で谷の長に告げ、長はその内容を谷の人々に知らせた。

「水の森が言うには、今回の洪水は風の谷から吹き上げる風が原因だったということじゃ。だから、水の森には落ち度はないとのことじゃ」

 水の森の見解は谷の者たちにとって信じがたいことだった。

「そんなのおかしいだろ!」

「谷からの風が雨雲をつくって、そのせいで大雨になって、洪水が起きたっていうのか?」

「言いがかりだ!」

「そもそも水の森には洪水対策として貯水池があるじゃないか!」

「人災じゃないのか!」

 大人は皆激怒したが、風の谷が他国に逆らえるはずもなく、谷の者たちは失った生活の基盤を元に戻すために黙々と働いた。私の両親も、もちろん、私も、妹のアマザエも一緒に。


 それから約半年後、家も畑もつくり直され、以前のように平和な日々がしばらく続いた。でもまた、災害が谷を襲ったのだ。

「大変だ! 火の丘で火山が噴火したぞ!」

「溶岩が流れてくるのか?」

「水の森へ行って貯水池の水門を開けてもらおう!」

「俺らが行ってくる!」

「川の向こうの住民をこちら側へ移すぞ!」

「船を出せ!」

「準備のできた者から順に高台へ!」

「ダメだ、水の森に拒否された! 水門を開けてくれない!」

「なぜだ! どうやってこの溶岩を防ぐんだ!」

「溶岩が流れてきた、逃げろ!」

「早く高台へ行け!」

「溶岩が川を越えて来るぞ! 早く高台へ!」

「畑も家も、全て灰になってしまう!」

「くそ! せっかく復興できたのに!」

 谷のほとんどが溶岩に覆われた。皆、悲しんでいた。ひどく悲しんでいた。

 なぜ水門を開けて水を流してくれなかったの? 洪水の時は谷へ水を垂れ流していたのに……。私はそうつぶやいていた。

 火山灰を吸い込んだせいで、子どもが大勢亡くなった。私の友達も、妹の友達も。子どもたちの亡骸の前でただ佇むことしかできなかった。

 谷の平和がまた壊された。谷の長は助けを請うために火の丘王国に出向いた。だが、助けはなかった。火山の噴火は自然現象だから火の丘には責任はないというのだ。それどころか、谷から吹く風が火災を広めて火の丘で被害を悪化させたからその責任を取れ、食料をよこせというのだ。目茶苦茶な理屈だ。谷の使者が水の森王国へ行き、助力を求めた。しかし自国の復興のためにそのような余裕はないという。谷の者たちは嘆いた。

「食料をよこせだなんて」

「どうせ俺たちは従属して生きていくしかないんだ」

「それよりも、なぜ水の森は水門を開けて、谷へ水を流してくれなかったんだ」

 溶岩のせいで大地が固まっているので、畑をつくれなくなった。数か月の間、川で魚を取ることができなかった。近隣の海でも濁りがひどいために漁をすることができなかった。大人たちは被害が少ない地域を開墾し始めた。土の里の崖に面した急斜面にだ。私も妹のアマザエも、開墾する両親を手伝った。


 また半年ほどしてからだ。痩せた大地にやっとの思いで畑をつくり、初めての収穫を迎えた時だった。再び谷に悲劇が起った。

「崖崩れだー!」

「逃げろー!」

 あまりに突然のことだった。多くの者が畑で汗を流していた時、土の里の崖が崩れてきた。私の両親は亡くなった。何百人もの人々も亡くなった。私と妹は学校にいて助かった。

「数日雨が続いていたから、そのせいか……」

「畑もまたやられた」

「また一からやり直しか」

 十分な食料がない。毎日ひもじい思いをしてきた。そんな思いも家族がいたから乗り越えられた。だけど両親はいなくなった。妹のアマザエと二人だ。なぜ、風の谷がこんなことに……。水の森の洪水、火の丘の噴火、土の里の崖崩れ……。谷の人たちが大勢亡くなった。私の家族も、友達も……。なぜ、なぜこんなことが……。そう思いながら、私は妹の手を握りしめていた。

 谷の長が土の里王国へ補償を求めに行った。良い返事は得られなかった。他の国へも使者を送ったが、結果は同じだった。

「何の補償もないのか」

「土の里は、自然現象だから自分らには非がないと言い張ってるのか」

「だからといって、人手を貸すくらいのことはできるだろうに」

「火の丘はわが谷に一切援助はしない方針らしい。それどころか、言いがかりをつけるようなら、宣戦布告とみなすと通告してきた」

「水の森も、何の援助もしてくれない」

「一体どうすればいいんだ」

 大人たちは困り果てていた。無理もない、生活していくことができないからだ。

 数日経って、谷の人たちが今後のことを決めるために集まりを開いた。

「何もかも、灰や土砂に埋まっちまった」

「もう谷を捨てて他の国へ移住するしかないんじゃないか」

「受け入れてもらえるんだろうか」

「移住するのは危険だ」

「じゃあ、どうするんだ。畑をつくる場所はもうない。川も汚染されたままだ」

 私は母から言われてきた、他の国には行ってはいけないと。風の谷の住人は他の国の人々から迫害されるからだと。

「虹の都へ移住しようかと思うんだが、だれか一緒に行かないか?」

「俺、行くぞ」

「俺も」

「私ら一家も」

「じゃあ、俺も行く」

 何人もが虹の都へ行くという。私たち姉妹も彼らについて行こうと決めた。


 約数百人の風の谷の住人が虹の都王国へ向けて出発した。虹の都は火の丘王国と土の里王国の北にある。風の谷から出る道は火の丘と土の里とのちょうど間に通じている。まずはそこまで出て、二つの国の国境辺りを通って、約二カ月かけて虹の都へ行く予定だった。しかし、老人や子どももいたため、三カ月かけてようやくたどり着いた。途中、モンスターに何度か襲われたが、狩猟を生業とする谷の屈強な男たちにとって戦闘は容易いものだった。

 私たち谷の者は虹の都のとある街まで来た。防御壁を守る兵士たちは集団でいる私たちを怪しんだが、街の中へ入れてくれた。大陸一豊かな国だけあって、街の人々は皆、鮮やかな服を着て人生を楽しんでいるみたいだった。泥だらけの服を着ている自分がみすぼらしく思えた。

 谷の代表は街の代表者と話をしたい旨を伝えた。私たちは街の出口付近で待機するように兵士から言われた。多くの人々が、じろじろと私たちを見るために集まってきた。

「あいつら、風の谷の連中か」

「汚い奴らだな」

「お前らみたいな貧乏人が来るとこじゃねえ、帰れ!」

 母が言っていたことを思い出した。

「帰れ! 帰れ!」

 そう叫びながら街の子どもたちが私たちに石を投げてきた。妹に覆いかぶさって、私は自分の頭を手で守りながら、怖くて震えていた。大人たちが私たち姉妹の前に立って守ってくれた。

 それから、数十人の兵士がやって来た。

「話は聞いた」

「虹の都王国は、お前たち風の谷の住人が虹の都王国で生活することを認めない」

「速やかに立ち去れ」

 信じられない言葉だった。街の門が開けられた。今すぐ出て行けということだ。

「そんな……」

「谷へ帰っても、住む家も畑もないんです。だから食っていくことができないんです」

「どうか、この街に住ませて下さい」

「何卒、ご慈悲を」

 谷の者たちは懇願したが、冷たい返事が返って来るだけだった。

「何なら、奴隷にでもなるか? だったら食わしてやってもいいぜ」

 そう言って、街の男が妹の手を引っ張って群衆の中へ連れ去った。私はすぐさま追いかけて、男の腕に噛みついた。男の叫び声を聞いて、周囲の人間たちが私に殴りかかってきた。背中を蹴られて、頭を殴られた。妹を守れないかもしれないと思ったその瞬間、それまで感じたことのない感情が私の中に生まれた。私は叫んでいた。強風が巻き起こり、周囲にいた何十人もの人間を吹き飛ばしていた。

「魔法か!」

「使ったのは誰だ!」

 兵士たちがこちらへ向かって来る。その時、群衆の中から高貴な身なりの男が出て来て、私と妹の手を掴んで走り出した。でも妹は転んで手を放してしまった。その男は私を谷の人々の中に放り込み、妹を助けに戻ろうとした。だが、妹はすでに兵士たちに取り囲まれていた。

「アマザエーー!」

「お姉ちゃーん!」

「君だけでも助かるかもしれない、いいか、逃げろ!」

 男は私にそう言ってアマザエの元へ走った。兵士たちが男に敬礼している。すでに谷の人々は街の外へと出始めていた。街の人と乱闘になった何人もの谷の者が兵士に捕らえられている。私にはどうすることもできなかった。谷の人が私を抱えて街の外へ連れ出した。

 谷の者が追い出されている。蹴られたりしながら、街の外へと追い出されている。そして防御壁の門が閉じられた。さっきの男が、あるいは、まだ街の中にいる谷の誰かが、アマザエを助けてくれるかもしれない、そう思った。谷の長が虹の都王国と交渉して、アマザエを助けてくれるかもしれないと。

 街から出ることができた私たちは、風の谷へ戻った。

 なぜ受け入れてくれないんだ。私たちはどうやって暮らしていけばいいんだ。なぜ、ここまでさげすまれなくてはいけないんだ。私たちも、虹の都の人たちも、みんな同じ人間なのに……。

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