第10話 すぺるん、絶体絶命

 走って逃げるコニタン、走り続ける。追うすぺるんも走り続ける。おそらく二人とも気づいてはいないだろうが、すでに、かつての水の森王国、つまり今はマジョリンヌの支配している国に進入してしまっている。国外れの村から42.195キロは走ったであろうか。全速力で走るコニタン、しかし徐々にペースが落ちてくる。どうも疲れたからではないようだ。そして何やら、鼻をくんくんしている。

「いい匂いがする」

 コニタンは匂いがする方へと歩いて行く。ようやくすぺるんが追いついてくる。

「ハアハア……お前、走るの速えな」

 コニタンが小高い山から見下ろすと、ひらけた土地があり、そこに大きな屋敷が見える。コニタンは「腹減ったああああ」と言いながら走りだす。追うすぺるん。

 屋敷の前まで来た二人は、すごくいい匂いに包まれた。見ると、背の高い中年女性がかまで何か食べる物を焼いている。杖をついて歩いているようで、小汚い茶色のローブを着て作業をしている。きっと屋敷のお手伝いさんがこき使われているのだろうとすぺるんは勝手に思った。お手伝いさんが食事の用意でもしているのだろうと。だが、なぜか屋敷の中ではなく、外でだ。だから、いい匂いが漂ってくる。

「おい、おばはん、ここどこだ?」無礼なすぺるん。

「誰がおばはんだ」女は豪快に答えた。

「ピザの匂いだ」幸せそうなコニタン。

「これはあたしのピザだ。お前らにはあげない」

「腹減ったあああああ!」

「やかましい!」すぺるんが殴る。

 女は焼き立てのピザを頬張りながら、泣き叫ぶコニタンを見ている。

「やかましいおっさんだねえ。あたしもお腹が空いてんだよ。ピザの後はケーキ食いたいねえ。その後はコーヒー」

「おばはん、ここどこだ? 国外れの村の方角はどっちだ?」

「だから、誰がおばはんだ! 無礼な奴だねえ。ケーキくれたら教えてやるよ」

「ケーキなんか持ってねえ。ケーキくらい自分で買えよ、おばはん」

「買うと高いから、自分で作りたいけど、小麦粉ももうねえのよ。ところで、次おばはんって言ったら、ただじゃおかないよ」

「ケーキがねえなら、パンを食ったらいいだろうがよ。おばはん」

「何だと、小僧! おばはんだと! お痛が過ぎたねえ」

 女は、怒りの形相で魔法を唱える。

「真空魔法!」

 ダンッ! という音が聞こえたかと思うと、大型動物に体当たりされたような衝撃が全身を駆け巡った。

「うわあ! 痛え! このおばはんが!」

 すぺるんは殴りかかる。何度も殴るが、この女はびくともしない。

「何だ、効かねえのか」

「効かねえよ、防御魔法で防御力を最大まで高めてあるからね。火炎魔法!」

「ぐあああ! 熱っ! こっちの攻撃が効かねえなら勝てるわけねえ」

「ぎゃああああ! 怖いいいいい!」

 二人のやり取りを見て、コニタンは逃げ出した。

「おい、こら!」追うすぺるん。

「待てーーー!」女が叫ぶ。

「嫌だあああああ!」

「待てよ、コニタン! 待て!」

 逃げるコニタンを追いかけるすぺるん。

 騒動に気づいて、屋敷の中から柄の悪い連中が数名出てきた。

「ボス、どうかしました?」

「お前たち、逃げてったあの二人を捕まえな。ちょいと礼儀を教えてやらねえとな」

「あいよ、ボス」

「あたしの国の中にいるんだ。逃げられやしないよ」

 ボスとよばれたこの女は、走り去ったコニタンとすぺるんに向けて魔法を唱える。

鈍足どんそく魔法!」

 走る二人の足元に薄黒い霧がまとわりつく。

「追うよ!」

 女は部下たちと一緒に追跡を開始する。


 コニタンは死に物狂いで走り続ける。すぺるんも必死だ。しかし走る速度を遅く感じる二人、どれくらい走ったのかわからないくらい、走った。森の中をずっと走り続けて、ついに平野に出た。先に大きな川が見える。だんだんと、コニタンのペースが落ちてきた。

「腹が減って動けない……」

 ようやく、コニタンが止まった。しばらくして、すぺるんが来る。

「おう、やっと追いついた。ハア、ハア……逃げ足だけは一流だな……」

 すぺるんが息を切らしていると、何やら動物の鳴き声と人間の話し声が聞こえてくる。

「ん、誰か来るのか。隠れるぞ」

 すぺるんとコニタンは茂みの中に隠れた。

 何者かが来るのをじっと待っていると、そこへ現れたのは、ペットのカピバラを散歩させている男だった。その男、耳の前の髪の毛だけがすごく長い。すぺるんよりも背が高く、すぺるんよりも筋骨隆々である。タンクトップに、ホットパンツ、黒の鉢巻をし、両腕にひょう柄のガントレットをはめている。センスが悪すぎると誰もが思うだろう。この男がカピバラにリードをつけて散歩させているのだ。キモい。

「今日はずいぶん遠くまで来たな、バッピーよ」

 このキモい男はカピバラに話しかけた。

「メエエエエーー」と鳴くカピバラ。いやちょっと待て、カピバラってそんな鳴き声なの?

 ともかく、ボスと呼ばれてた長身の女が部下たちと一緒に、急ぐわけでもなく普通に歩きながら、このキモい男の前にやって来た。女は不気味な笑みを浮かべて、男に話しかける。

「おやおや、誰かと思えば、モミアゲじゃないか。元気かい?」

 すぺるんは驚いた、モミアゲとは4Kの一人の名前だからだ。コニタンは震えている。

「何だ、マジョリンヌか。散歩の邪魔だ、失せろ」と男が言った。

 すぺるんは肝を潰した、マジョリンヌとは4Kの一人の名前だからだ。コニタンは戦慄わなないている。

「この辺に、ぎゃーぎゃー叫んでる弱っちい不細工な男と、筋肉バカみたいな男が来なかったかい?」

「知らんな。おお、バッピーよ、よしよしよし。怖くないぞ」

 モミアゲは、怯えているカピバラのバッピーを優しく撫でる。

「メエエーーーー」

「気持ち悪い男だね。でかい図体して、ペットをかわいがってるさまが、ほんと気持ち悪い」

「ケンカ売ってるのか、おばはん? お前も十分キモいだろ」

「誰がおばはんだ! 買う気があるんならケンカぐらい売ってやるよ」

「であえ!」

 モミアゲがまるで時代劇のセリフみたいに言うと、周囲から筋肉質な男たちがぞろぞろと現れた。

「親びん、マジョリンヌと戦闘ですかい?」ガラの悪い手下だ。

「お前ら、存分に暴れな!」マジョリンヌが部下に指示した。

「あいよ、ボス!」ガラの悪い部下だ。

 モミアゲがペットのバッピーのリードを木につなぎに行く。

 マジョリンヌがいきなり魔法を唱える。戦闘開始だ。

「火炎魔法!」

「うわあああ!」

 モミアゲの手下たちが炎に巻かれる。

「回復魔法!」

 モミアゲがすぐに魔法を唱え、手下たちの傷が癒える。すぐさま手下たちの反撃だ。マジョリンヌの部下たちに殴りかかる。部下たちの数名が防御魔法を唱え、自分たちの防御力を上げた。そして残りが火炎魔法を唱えて攻撃する。モミアゲの手下たちは炎を受けながら、パンチを繰り出す。その間にも、防御魔法は唱え続けられる。マジョリンヌの部下たちはひたすら殴られるが、あまり効いていないようだ。一方で、モミアゲの手下たちは魔法を食らって体力を削られていく。

「回復魔法!」

 モミアゲの手下たちの体力が瞬時に回復する。

 すぺるんはこの戦いを目の当たりにして興奮している。そして思わずつぶやく。

「なんちゅうめちゃくちゃな戦闘だ。ダメージを受けたらすぐ魔法で回復させて戦わせるなんて。でも、ある意味、最強の戦い方かもな」

 戦闘は続く。しかし、コニタンが我慢しきれずにとうとう叫んでしまう。

「ぃぃぃぃいい……嫌だあああああ! 助けてええええ!」

「おい、コニタン、静かに……あれっ、バレた……」

 すぺるんとコニタンは、茂みに隠れているのを発見された。

「おやおや、そんなとこに隠れてたのか?」

「何だ、お前たちは?」とモミアゲ。

 すぺるんはモミアゲの方に小走りに近づいた。

「俺たちはあのおばはんに追われてるんだ。助けてくれ。なあ、お前4Kのモミアゲだろ? 僧侶だよな。俺も僧侶なんだ」

「知らんな。どうせ、あいつのことをおばはん呼ばわりしたんだろ、自分で何とかしろ」

「同じ僧侶同士、何かの縁だ、助けてくれ」

「知らんな。この世には神も仏もおらぬ」

 あっさり断ったモミアゲ。顔面蒼白のすぺるん。

「おい、モミアゲ、その筋肉バカみたいな奴をこっちに渡しな」

「何だと、おばはん、お前の言うことなど聞けぬわ。こいつをボコりたかったら、勝手にしろや」冷たいモミアゲ。

「おい、ちょっと待ってくれ!」焦るすぺるん。

「へっへっへっ、お前、よくもおばはんと呼んでくれたねえ」

「ひいいいいいいい!」コニタンは卒倒した。

「俺の拳が全然効かねえんだ、こんな奴勝てるわけがねえ!」

 じりじりとマジョリンヌと部下たちがすぺるんに近づく。絶体絶命のピンチだ。逃げるという手もあるが、コニタンを置いていくことはできない。覚悟を決めて身構えるすぺるん。その時、誰かが大きな声を上げる。

「待てっ!」

 皆が声のした方を見ると、森の中から襤褸ぼろを纏った一人の男が出てきた。国外れの村でコニタン一行を見ていたあの男だ。襤褸ぼろの下には鎖帷子くさりかたびらを着用し、左前腕に小さな盾を装備している。長い剣を背負い、腰のベルトに短い杖をつけている。男の長い髪は頭頂部で束ねて結ってある。歴戦の強者のように鋭い目つきをしている。登場の仕方はカッコいいが、マイナスオーラを放出していて、なんかキモい。

「マゲ髪!」手下や部下たちが口々に言った。

 そう、この男、4Kの一人マゲ髪だ。

「何だ、マゲ髪! お前もあたしの邪魔をするのかい?」

「何しに来た、マゲ髪。邪魔するなら容赦せんぞ」

 気が立っている二人からそう言われ、マゲ髪は冷静に答える。

「すまないが、俺の顔を立ててくれないか。モミアゲ、マジョリンヌ。こいつらをケガさせるわけにはいかないんだ」

 モミアゲもマジョリンヌも無言だ。何か考えている。マゲ髪は続ける。

「俺たちのパーティーでは、どうしてもナウマン教を倒せなかった。その時の悔しさは、お前たちも忘れてないだろう」

 二人はじっとマゲ髪を見ている。

「だが、ついに見つけたんだよ」

 マゲ髪に言われて、二人から怒りのオーラが消えていく。

「マゲ髪、今日はお前の顔に免じて引いてやろう。皆、帰るぞ!」とモミアゲ。

「あたしらも帰るよ!」とマジョリンヌ。

 二人の4Kは引き返していった。モミアゲは川の向こう側へ、マジョリンヌは森の方へ。モミアゲの手下もバッピーを連れ戻しに森の方へ行ったのだが。

 すんでの所で助かったすぺるんは、深く息を吐いている。コニタンは気絶したままだ。

「お前たち、4K二人を相手にして、ケガがなくてよかったな」

「あっ、ああ。あんたが来てくれなかったら、俺ら二人とも半殺しにされてたところだ。あんたも4Kの一人だよな」

「ああ、そうだ。俺はマゲ髪だ。お前たちとは、また会うことになるかもな。じゃあな」

 マゲ髪は去っていった。登場してすぐなのに。

「おい! 待てよ!」

 すぺるんが呼び止めようと叫んだら、コニタンが目を覚ます。

「ひいいいいい! 誰もいないいいい!」

「うっさい! 俺ら、助かったんだよ! おい、立て、行くぞ、ハリーたちと合流するんだ」

 今度は逃げられないように、すぺるんはコニタンの服をしっかりと掴んだ。

「ひいいいいい!」

「さて、どっちに行こうか。森へ戻るか、川を越えて進むか」


 そうこうしている間、モミアゲの手下たちは、カピバラのバッピーを探していた。同じ頃、バッピーはリードが外れて、迷子になって森の中をさまよい歩いていた。

「メエエエエーーー」

「ほーら、よしよし。おいで」

 ナウマン教の信者たちが餌を与えてバッピーを手なずけている。

「メエエエエーーー」

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