第7話 ゲルノット

 この日は、カンバに所用があり、オルヴィスは一人で森の作業場にいた。

 一人で作業場へ来ると、さらに森の奥へ伸びている林道が気になり、仕事の前に足を伸ばした。

 それほど行かないうちに、お社があった。その前に人影があった。後ろ姿から見て、少年に違いなかった。肩が震えている。泣いているのだろうか。

 こっそり近づくつもりはさらさらなかったが、不運にも、足元の小枝をパキッ、と踏んでしまった。少年は振り返った。目元が赤くなっている。

 名前が思い出せなかった。しかし顔は見たことがある。あれは確か…この村に初めて来たときだ。それなら、名前は知らなくて当然だ。というより、話したことがない。

「あ、オマエ。見たのか?」少年がにらむ。

「なにが?」

「とぼけんじゃねーよ。俺が泣いてるところ見たのか?」

「見たよ。なんかワリィか?」

「誰にも言うんじゃねーぞ。とくに、村長にはな」

「安心しろ。オレは、誰が泣いたとか泣かないとか、別に興味ねー」

「オマエ、なんつったっけ?」

「オレは、オルヴィスだ」

 オマエは? と聞く趣味もなかったが、向こうから名乗った。

「俺は、ゲルノットだ」

「そうかい。よろしくな。一応、社交辞令で聞いとくが、オマエ、村長の息子か?」

「なぜ気になる?」

「だから、ただの社交辞令だって」

 だいたい、これまで村長の息子という人種には、ひどい目に遭わされてきたのだ。自分は村長の息子なる人種とは相性が悪いのかもしれない、とオルヴィスは思った。

「いや。俺は、村長の孫だ」

「孫かぁ、チクショウ」

「なんで残念そうなんだ? オマエ」

「イヤ。…系統としては、似ているよな」一人呟いた。

「俺も社交辞令で聞いてやる。オマエは、木こりなんぞやっていていて、つまらないと思ったことないのか?」

「イヤ。あるよ。もちろん」

「あんのかい」

「当たり前だろ? 仕事なんだからな。つまらないと思うことは誰にでもあると思うぜ。ただ、つまらないなりに、森の中で木を切ることは、なんかこう…あれだよ」

 オルヴィスは耳を澄ませるようなジェスチャーをした。

「あれってなんだよ?」

「だから、あれ、だって」

「森の中で野生の声に耳を傾けていると自分が生かされているなぁ、って感じることはステキだ、ってことか?」

「ああ、そんなカンジだよ。オマエ、頭イイなあ」

「俺は別にそうは思わないがな」

「でも、オマエも木こりだろ? 今から一緒に仕事しようぜ」

 山道を戻ったところで、オルヴィスは急に振り返った。

「ところで、あのお社、誰の墓? 今度は社交辞令じゃねー」

「あれは……父と母の墓だ」

 だから泣いてたのか、とオルヴィスは納得した。別に笑うつもりはない。泣きたいなら泣けばいい。自分の身近にもよく泣くヤツがいる。

 二人は作業場に戻った。

「まず俺がやる」

 オノを肩に乗せてゲルノットが進み出たが、杉の大樹に向かったので、オルヴィスは釘をさした。

「おい。その木はダメだぞ。森の中にある大樹は、カミサマの宿る樹だから切っちゃいけない、って教わらなかったか?」

「そ、そんなこと、知ってる…」

 うろたえぶりから、知らなかったか、忘れていたのだろうと思った。オルヴィスは別に彼を馬鹿にするつもりはなかった。

 次に向かった先の樹では、ホーミーをやらないで樹を切ろうとしたので、オルヴィスは制した。

「おい、ちょっと待て。幹に樹を入れる前にホーミーやらんとダメだろ。もし、倒れたところに、人や獣がいたらどうすんだ?」

「…うっせーなオマエ。んなことわかってるよ! 慣れてきたら、んなもん省略したっていいんだよ」

 よくわからないが、ゲルノットの逆鱗に触れたらしい。新入りのくせに、あまり細かく言いすぎたからだろうか。

 だが、オルヴィスにも木こりとしての信条があるし、空気を読まないことには自信がある。

「いいや。慣れてきてもダメだ。どけ。オレが代わりにやる」

 偉そうに言える身分ではないが、ゲルノットの木こりとしての腕は、申し分なかった。

 ただ、どこかに、迷い、というか、集中力に欠けた印象があったことは否めない。

「オマエ、さっきオレに、木こりなんぞやってつまらなくないか、って聞いてたよな? じゃあ、今度はオレが聞く。オマエは、木こりやってつまらないのか?」

「ああ、つまらねぇよ。今すぐにだってやめてぇ気分だ。毎日、毎日、汗かいて、血まめ作りながら、木をぶっ倒す。仕事終わったら、もうバタンキューだ。こんな泥くせぇ肉体労働なんかやってらんねー少なくとも俺がやるような仕事じゃねぇわ。こんなモン、卑賎民にやらせときゃいいんだよ」

 オルヴィスは、無言でゲルノットのほおを殴った。

 勢い、ゲルノットは吹っ飛ばされて、近くにあった木の幹にしたたか背中を打った。オルヴィスは冷ややかな目で見下ろす。

「テメェ、ふざけんな。なにが卑賎民にやらせておけばいい、だ。テメェ、彼らがどういう仕事をしているのか知ってんのか。卑賎民をバカにすんな。それに、木こりの仕事を見下すのも許さねー木こりやってる全員に謝れ」

「う、ッ、せーな。新参者のくせに。殴りやがった。筋肉バカどもには、こういう荒くれ者が多いからタチが悪りぃってんだよ」

 オルヴィスは、ゲルノットの襟首をつかむと無言でもう一撃を加えた。

「じゃ、テメェは木こりじゃなきゃ、どんな仕事をする人間、なんだよ」

 よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、ゲルノットは殴られた痛みも忘れたようにすらすら話し始めた。

「俺は、村を出て首都ウッドワイドで高級官僚になる。それが俺のすべき仕事だ」

「ふうん…。悪くないんじゃねぇ? でも高級官僚になるには、超難しい試験があるって聞くぜ」

「俺はそれの勉強を進めている。近々その試験があるんだが、軽く突破して、こんな木を切って、家畜を屠殺するくらいしか芸のない、短気暴力野郎のいる田舎村とは、とっととおさらばしてやる」

「ふうん、なるほどねーいいんじゃないのか」

 陽が暮れてきたので、二人は別々に村へ戻った。

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