第5話 フリーダとアジュラ

 フリーダは、屠殺場に案内された。

 ウシやブタの声があちこちから聞こえてくる。忘れようもない血脂の匂いも鼻をついた。皮革も同じ場所で作っているのだろう。革特有のなんとも言えない異臭も混じり合っている。

「さあ、ここだよ」

 おばさんに案内された小屋へ入ろうとしたら、中から女の子の悲鳴がした。

「あァァァァァッ! いやァァァァッ!!」

「何事だね?」

 おばさんが戸を開けると、両足の縛られた頭のつぶれたブタと、それを押さえ込んでいる男たち二人、床には大槌。そばで震えている女の子がいた。手には、牛刀がある。

 事情を察したフリーダは、素早く小屋へ入った。

「貸して」

 彼女は牛刀を奪うと、ブタの喉笛をかき切った。大量の血しぶきが噴き出す。

「アジュラ! オマエ、どうしてためらった?」

 男の一人が、アジュラと呼ばれた少女に詰め寄った。

「アンタ、誰だい?」もう一人の男がフリーダに詰め寄った。「ためらいもなく、一息に」

「この子は、流れ者のフリーダって子だよ。村長さんからあずかってね。生まれ故郷でも屠殺をやってたらしくてね。…なかなかの腕前だよ」

 すっかり感心されたフリーダを横目に、アジュラは涙ぐんでいる。まだ屠殺の経験がないのだろう。今、まさに試そうとしたときに、ためらってしまった。その現場にフリーダはたまたま居合わせたのだ。アジュラは、フリーダを下目遣いにじっと見つめている。見ようによっては、にらんでいるようにも見えた。

 おばさんは、フリーダに向き直った。

「この子にも屠殺やってもらおうかと思ったけど、もうやらんでもいいねぇ。相当な手練れだよ、この子は」

 それに比べてアジュラは…もう大人だというのに、おばさんはぶつぶつ呟いている。

「フリーダ、外に出な。その血まみれになった服を取り替えよう。お風呂にも入らないとね」

 フリーダは、アジュラという自分と同じ年頃の女の子のことが気になった。




 お風呂から上がって、長屋に案内してもらった。自分のことを評価してもらったとしても、フリーダの身分は、やはりカースト以下の卑賎民であり、あちこちからウシやブタの声の聞こえる長屋だった。朝になれば、これが断末魔に変わるのだろう。

 すし詰め状態のその長屋に入ると、自分にあてがわれたスペースに、先ほどの女の子がいた。もう涙の跡はない。

「…失礼します」

 なんとなく気まずい思いで、隣のむしろの上に座った。

「わたし、フリーダって言います。きのう、この村に来ました。これからお世話になります。よろしくお願いします」

「…スゴいね、アンタ」彼女はぽつりと呟いた。「まゆひとつ動かさずに、ブタをやっちまうなんて」

「イヤ。あの場合、ブタが苦しむ間もなく屠殺しないといけないんだよ」

「知ってる」冷え冷えする声で言う。「あたしだって、ここの住人なんだ。そんなことくらい知ってる」

「じゃあ…」

 フリーダはその続きの言葉に窮した。

「じゃあ、なんだい? モタモタしてないでさっさと殺れ、っていうのかい?」

 フリーダは自分が怒られている気がしてうつむいた。いたたまれず藁を一本一本むしってゆく。

「…そうゆうことじゃないけど」

「わかる。アンタや大人たちの言うことはわかる。生きるためには、家畜を殺さないといけない、ってことくらい。そうしないとあたしたちが生きいけないからね。…耳にタコができるくらい聞いたよ。でも、あたしは、そんな一般論を聞きたいんじゃないんだよ。そんなこと百も承知なんだ。それでも、できないことってあるんだよ。あたしには、ね。向いてない」

 向いてない、といっても、卑賎民の仕事は、屠殺か皮革作りか、ほぼ奴隷みたいに有力者の家で飼われ、飯炊きや風呂焚きをするくらいしか仕事の選択肢はない。

「…わかる。わたしにもわかる。わたしも決して好きで家畜を殺しているわけじゃないから。ホントは、わたしだってイヤだよ」

「あーなんで、生き物殺して生きていかないといけないんだー」

 この世界がおかしい、間違ってる、狂ってる、と言い始めた頃には、二人で共感して笑い合った。

 あらためて、彼女は、アジュラ、と名乗った。

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