第2話 アムゼン村
村を囲む木柵が見えてきた。ぼうっと赤く炎が見えるのは、村の出入り口の目印だろう。
オルヴィスは、門番にこの村を訪れた経緯を話した。許可を得て、入ろうとしたら、村の中から走ってくる者があってオルヴィスにぶつかった。
「いてッ」
「気をつけろ! バカ野郎!」
オルヴィスと同じくらいの歳の少年だった。こちらの方が被害者なのに、なぜバカ呼ばわりされなければならないのか。オルヴィスとしては抗議をぐっとこらえた方だった。村の中からにこにこした好々爺然とした老人が出てきた。
「すまないのう、少年。アレには、わしもほとほと手を焼いているのじゃが、根は決して悪いヤツじゃないのじゃ。許してやっておくれ」
「ああ、別になんとも思ってねぇよ」
「ところで、オマエさん方。まだ若いのに、旅の身とは、いったいどのような事情があって?」
門番の男に話したとおりのことを、老人にも話した。
「…なるほど。エラい苦労したんじゃのう」
「別に苦労ってほどのことじゃねーよ」
「もうすぐ日が暮れる。早く中へ入りなさい」
老人の邸宅に案内された。遠くから見てもずいぶん立派な邸宅だと思ったら、案の定だった。村長のモンマス、と名乗った。
しかし、今までのことがあったため、また馬小屋じゃないかと思っていたら、邸宅の中へ通された。しかも、オルヴィスとフリーダが見たことのないほど豪華で整った客室だった。
「…フリーダ。ダマされるんじゃないぞ」オルヴィスは声を潜めた。「オレたち、今までこんな立派ところに泊めてもらったことがあるか? なにか魂胆があるのかもしれねぇ。起きたら、身ぐるみ全部剥ぎ取られているか、馬小屋の中にいたりしてな」
「オルヴィス、聞こえちゃうよ。わたしもまさかと思ったけど、村長さんいい人そうだし、今は甘えようよ。もう歩きすぎで疲れちゃったし」
「そのいい人そうな人に、ムスティリ村でころっとダマされたのは、どこのどいつだよ」
「…わたしだよ。そうだね。警戒は常にしておかないとね」
フリーダは両のこぶしをぎゅっと握りしめた。彼女なりに何度もオルヴィスを危険な目に遭わせて申し訳ないと感じている。お人好しもいいところだった。
「一人ずつ部屋を使いなさい。落ち着いたら、下に降りてきて、夕食を出そう。…イヤ、その前に行水だな。オマエさんたち汚いなあ。まずはゆっくり旅の汚れを落としなさい」
「ありがとうございます」
二人は、腰を直角にして礼をした。
オルヴィスは部屋に入った。見たことのない調度品や椅子があった。暖炉もある。いくつか気になるものがあって、触れると柔らかかった。表面を覆っているのは、革だろうか。
座ってみると心地よかった。やはり一風変わった椅子なのかもしれない。なんなら、ここで横になって眠れそうだし、何人も同時に座れそうだった。
もう一つ。
高級そうな絹製品に包まれた長い置物。触れてみると、やはり心地よい。フリーダの方も同じなのだろうか。
オルヴィスは部屋から飛び出した。
それとほぼ同時に彼女もドアを開けて飛び出してくる。
「フリーダ!」
「オルヴィス!」
「オマエ、見たか?」
「見たよ。部屋めっちゃスゴいねー」
平民であるオルヴィスも見たことがない。卑賎民であるフリーダには、言わずもがな。
さっそく、階下へ行った。使用人みたいな男に行水場まで案内してもらった。
「もう湯は沸いておりますので」
「フリーダ。オマエ先行けよ。汚ねーぜ」
「ふん! わたしだけじゃない。オルヴィスだって汚いじゃん」
「いいから行けって」
使用人の男が、フリーダにしわひとつない衣を手渡した。
「え? こんなことまでしていただいていいんですか?」
「モンマス様よりその通りにせよ、と仰せつかっております」
フリーダが行水しているあいだ、使用人の男と立ち話をした。
「ところでさ、部屋の中にあったふかふかの椅子や上等な絹を敷いた台みたいなの…あれってなんなの?」
使用人の男は、あごに左手の人差し指を添えて、しばらく考えた。たぶんあまりにもこういう生活が当たり前で、質問されたことがなかったのだろう。
「あッ、なるほど」左手の手のひらに、右手のこぶしをポンと打った。「ソファーとベッドのことですね」
「そふぁーと、べっど、ってなんですか?」
「座るための道具と、寝るための道具ですよ」
「オレ、初めて見ました。さすが村長さんの邸宅ですね」
「いえ。村長は村長でもモンマス村長はまた違うんですよ。モンマス村長は、いわゆる西洋趣味が強いお方で。あれらの製品は、すべて大陸から取り寄せてご購入されたものなんです」
「へー、大陸から。大陸って、スゴいっスねぇ。でも、神聖サハルト帝国と、飛鳥ノ国とその子分の国は、対立しているんじゃないんですか?」
「貿易と政治は、また別なのです」
「ふうん…。よくわかんねーけど」
「私も細かいことは存じ上げておりませんよ」
話し込んでいると、村長モンマス氏がやってきた。
「オルヴィス。君はライナ村で木こりをやっていたのだったね?」
「はい」
「では、あした、ひとりオマエさんにつけるから、その木こりとしてのスキルを見せてやってはくれんかね?」
「わかりました」
「フリーダには、屠殺場へ行ってもらう」
「了解です」
というより、流れ者となってしまったオルヴィスたちには、こうしてお世話になっているのだから、選択の余地はなかった。腕が認められ、村人として受け入れてもらうことが二人の目的である。
フリーダが戻ってくると、オルヴィスの行水の番だった。
「フリーダ。オマエ、遅せーよ」
「ゴメン。久しぶりに熱いお湯に入ったから、ついつい長湯しちゃった」
「まあ、いいよ」
腹が減ってるから、オレはそんなに長湯できねーな、と思いつつ、オルヴィスは行水場へ向かった。卑賎民の兄妹らしき子供二人が筒を吹いて、火を熾していた。
「ありがとうな」
礼を言い、手桶に湯を汲むと身体にかけた。固形石鹸を手に含ませ、手で頭から顔、体全体とゴシゴシ洗っていく。すぐに両手と泡が真っ黒になった。背中だけ何度チャレンジしても、手が届かない。
「おにいちゃん、アタシがやってあげるよ」
女の子が石鹸を手に取り、背中のほぼ真ん中をゴシゴシ洗ってくれた。
手桶を取り、頭からお湯をかぶる。
「ありがとう。キミたち、名前は?」
「おいらは、ヴィタ」
「アタシは、ロトカだよ」
やはり兄妹らしい。聞けば、祖父の代からこの家に仕えていた卑賎民で、先ほどいろいろ教えてくれた男性が、彼らの父だという。母は、他の卑賎民たちと同様、この家で料理を始め、家事全般を任されているようだ。
このアムゼン村には、卑賎民が多いが、それほどひどい扱いは受けていないらしい、とオルヴィスは思った。これなら、フリーダも馴染みやすいだろう。
湯船に浸かって、モンマス村長の顔を思い浮かべた。にこにこしている好々爺。もし、彼が、自分たちを貶めるとしたら、どんなことをするだろう。オルヴィスは、自分たちの身を守るため、疑り深くなっていた。
しかし、だからといって、礼を欠いてはいけないだろう。
湯船から上がると、タオルの他に、小綺麗な衣が用意してあった。身体を拭くと、それに着替えて、元いた場所へ戻った。
ヴィタとロトカの父である男の人だけがいた。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい。モンマス村長とフリーダさんは、すでに夕餉の席についております」
グレイザーさん、という方の案内で一階の奥にある厨房の隣の部屋へ案内された。
彼がドアを開けると、いい匂いが鼻腔をくすぐった。
モンマス村長がにこにこした笑顔で、パクパク食べているフリーダを見ていた。
「めっちゃ、おい、しい、ッネ、これ。わたし、生まれて初めて、こんな、おいしいものを、食べ、ました」
「しゃべりながら、食うなよ」オルヴィスがフリーダの頭を小突いた。
「あ、オルヴィス、やっと来たんだ。先に食べててゴメンね」
「オマエさんもほら、座って食べなさい」
「これ!」フリーダがお椀に入った白米を指差した。「これ、めっちゃおいしいから食べてみてよッ!」
他には、ジンギスカンやお味噌汁、アサリとしじみの生野菜サラダなど、そのほとんどが二人の見たことのない料理だった。ライナ村は、海からは決して近いとは言えない森で囲まれた盆地にあるので、貝は簡単に手に入れることのできない食材だった。白米も市へ行かなければ、なかなか手に入れられない。
しかも、今、白米の量が半端じゃなかった。お椀いっぱいにあふれそうなくらいだった。
オルヴィスもむしゃぶりついた。
「なんだ、これ。今まで食った米の中で一番、甘いッぜ」
「オルヴィスも、しゃべりながら食べてるじゃないの」
「イヤ。ついつい感想を言いたくなるほどのうまさでな」
「その白米は、黄金のタネをまいて大きくなった米を使っておるからなあ」モンマス村長が変わらぬ笑顔で言った。「おいしいのも当然だ。
「黄金のタネ。なんだか、どこかで聞いたことがあります」とオルヴィス。
「すでに絶滅寸前とも言われている最高級の品種じゃ。気候の変動や虫害にも強く、炊いて食べれば、ぴんと整列しているみたいに粒立って、甘みも強い」
「そんな大事な米が、どうしてこの村に?」
「飛鳥ノ国から買い取ったのじゃ」
「でも、仙ノ国と、飛鳥ノ国は、対立してるんじゃないですか?」
「貿易だけは別なのだよ」
「意味がわかりません。貿易だけ別って」
「オマエさんにはまだ難しすぎる話だったか」
「ケンカはするけど、顔面殴るのはナシにしようぜ、みたいなカンジですか?」
「ん、なんだその例えは。少々わかりにくいが、大きく間違ってはおらんと思うぞ」
フリーダがおかわりをしたいのに、遠慮しておどおどした様子に気づいたのか、
「遠慮するな」とモンマス村長が気遣い、フリーダは目に見えてわかるほど笑みを取り戻して自分でお椀によそった。
夕食のお皿をすべて空っぽにすると二人はお礼を告げて退席した。
積もり積もった旅の疲れで、翌日、二人は、クレイザーに起こされるまで、ふかふかのベッドでぐっすり眠っていた。
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