第二十六話 兄弟
三貴子。伊弉諾が黄泉国より帰った際、禊を行ったことにより生まれた三柱の神。
天照。月讀。素戔嗚。
多くの神産みの果てに生まれた最高の神であるこの三柱は、さぞ神話の世界で活躍したことだろう。初めて神話を読んだ、仔細を知らぬ者であれば、そう思っても仕方がない。
たしかに、三貴子の内の二柱、天照と素戔嗚は多くの場面で登場する。
まあ活躍というと素戔嗚が主で、天照は周りに翻弄させられることが多いのだが。
では、月讀はどうなのだろうか。
そう。月讀の出番は、殆どないのだ。
もちろん完全にゼロというわけではなく、日本書紀では
これらの事実が一体何を示しているのか。
一説によれば。
文字化されている神話は、日本各地の伝承を集め、強引に一本化したもので。
その過程で、支配領域が被っていた月讀と素戔嗚の神話は一本化され。
結果、素戔嗚が主役となり、月讀は隅に追いやられてしまったのではないか、と。
◇◇◇
「く……っ、はは……っ、やっぱりいいねぇ、本気の力のぶつかり合いは!」
全ての力をぶつけ合いながら、俺は笑う。
「この状況で笑うか、素戔嗚。そういうところが気に食わない」
「は……っ、野郎に気に入られなくたって、別にいいさ。俺ぁお姉ちゃんとお
「少なくともおまえ、姉上には嫌われてると思うが……」
「なん……っ、だと……!?」
「気付いていなかったのか……。だが、おまえの場合は自業自得だろう。私なんか理不尽な理由で嫌われてしまったんだぞ。いやまあ、たしかに私にも非はあったのかもしれないが……でもあれは仕方なかっただろう……。しかし、その
ギロリと、月讀は俺を睨む。
「貴様如きが……私や姉上と同列に語られ……、どころか、神話から私の居場所を奪い取り、英雄としての武勇すら残すとは……」
三十の月全てに内包された霊力が、その力を増す。
凄まじい大きさと復元能力を誇る八岐大蛇も、神剣・羽々斬から放たれている莫大な霊力も、徐々に押され始める。
「本来、あの神話は私と姉上の神話だった……! そこに素戔嗚、おまえなんかが入り込んできやがって! 私は、片隅に追いやられた!」
月讀のこんな激昂は、二千年以上の付き合いである俺ですら、見たことがなかった。つまり――月讀はそんな思いを、ずっと一人きりで抱えてきたのか。
「各地の伝承を纏め、一筋の神話をつくりあげる。なるほど、たしかに日本を一つの国にするためには、必要な工程だったのかもしれん。だが、なぜ私の居場所は奪われねばならなかったのだ!」
その叫びと共に、月に籠められた霊力が、最大値にまで上昇する。
確実に抑えきれない。そう断言できるほど、その力は凄まじかった。
「私は私の立ち位置を取り戻す。そのためには、
月讀は、今までで最も激しい怒りを籠めた眼差しを俺に向け、宣告した。
「何よりも、おまえが邪魔だ、素戔嗚!」
そして遂に、月の霊力を食らいきれなかった八岐大蛇が押しつぶされた。
加えて、神剣・羽々斬から発せられる霊力でも月の落下を完全には食い止められず、すぐ間近まで月が押し寄せてきている。
しかし、
「なるほどな。まあ、おまえの言うことはもっともだ。だがよ――」
俺は獰猛に笑い、叫んだ。
「黒霊衆の味方をするのなら、どうあれおまえは俺の敵だ!」
月讀が俺を恨んでいるのはわかった。
愚痴も聞こう。仇討ちが御所望なら是非ともかかって来るがいい。もちろん、抵抗はさせてもらうが。
しかし、そんなものはこの事件が片付いた後にしてもらおうか。
それはそれ。これはこれだ。
今はただ、目の前の敵を討ち滅ぼすだけ。おまえの事情に関わっている暇などない――!
「な……っ!」
月讀が、驚いた表情を浮かべる。
それもそのはず。俺は落ちてくる月に真正面からぶつけていた羽々斬の霊力の流れを、後方にずらしたのだ。
結果、一番先頭にあった月の進路も後方にずれた。当然、月は俺の真後ろに落ちる。
これで直接月に押しつぶされるのは免れた。しかし、逆に言えばできたのはそれだけだ。月の落下の衝撃は少し後ろにずらした程度では無効化できない。
当然、凄まじい衝撃波が俺の背中を叩いた。それだけで数度、破壊と再生を繰り返すことになったが、その痛みは気合いで乗り切る。重要なのは、この衝撃波を利用すること。
「うおおおおおっ!」
その衝撃にあえて逆らわず、俺は天高く跳んだ。
「馬鹿め。そんなことをしてなんの意味がある」
月讀の言うことはもっともだ。空には、未だ幾つもの月が浮かんでいる。この行為は自ら死地に向っているようなものなのだ。
しかも、地に足がついていないため、羽々斬で相殺すべく踏ん張ることもできない。自分から絶体絶命の状況に突き進んでいる。そう思われても仕方がない。
しかし、こちらとてそれは百も承知。そのうえで、こんな行動をとったわけは――
「おいおい、いつまで寝てんだ糞大蛇。俺に嵌められたときみたく酔っているわけでもなし、休んでねえでとっとと本気を出しやがれ――!」
そんな俺の挑発に怒ったのか。
ピキピキ、と、八岐大蛇を押しつぶしていたはずの月に亀裂が走った。
「ま、まさか……」
「ああ、そのまさかだ。大体、この俺を苦戦させたあの大蛇が、
月が割れ、その中から八岐大蛇が躍り出る。日本列島にも等しいその巨躯は、丁度俺の足場になる位置まで首を上げる。
「ははっ、サンキュー。さすがは俺の相棒……ってうおおおおおっ!」
しかし、俺が乗った瞬間、大蛇は首を振り回し始めた。
「ふんっ、馬鹿が。無駄に煽るからだ。ペットは大切に扱わないと噛み付かれるぞ」
「ああ、わかっているさ。だからこそ煽ったんだよ、まぬけ」
そう言って。
首を振り回す大蛇の勢いをそのまま利用し、俺はさらに跳躍した。
さすがは八岐大蛇。その勢いを利用しただけだというのに、俺の跳躍距離は凄まじいほどに伸びた。
その高度は――
「おまえ――最初からそれが狙いだったか」
「ご明察。すべてはこのための布石。おまえを倒す最良の位置取りができるこの一瞬に賭けたのさ」
月讀の持つ権能は、本物の月を三十も生み出し、それを問答無用で相手に叩きつけるという、無敵の力だ。
たしかにそんな権能を打ち破るのは殆ど不可能に近いが――しかし、どんな権能にも弱点が存在する。
では、この権能の弱点とは何か。
それは、高度だ。
巨大質量を落下させる系統の権能は、高度が高ければ高いほど凄まじい破壊力を発揮する。霊力で編まれているため、大気圏や空気抵抗などの影響を受けないのだからなおさらだ。
故に、こうした系統の権能には、必ず高度制限が存在する。
では、月讀の権能にかかっている制限はどの程度なのか。
答えは明白。月である以上、限界高度は、月の軌道上に他ならない。
すなわち、地表から月までの距離よりも上に跳べばいいのだ。
――今、この俺がしているように。
落下による威力の増大がなければ、月讀の権能の効果は半減だ。
もちろん、膨大な霊力で編まれている以上それなりの力はあるだろうが、しかしそもそも上から狙われることは想定していない権能だ。この位置なら、羽々斬の概念解放でもなんとか対抗できる。
おまけに、下には八岐大蛇もいる。よって、三十の月は上と下それぞれに割り振って攻撃しなくてはならない。一極集中ができず、分散してしまうのだ。それならば俺にも勝機はある――!
「おのれ、素戔嗚オオオオオォォォォォッ!」
「いくぜ、月讀イイイイイイィィィィィッ!」
俺は、月讀を守るように配置されている月の束に神剣・羽々斬の切先を向け、閃光の如き勢いで落下する。
そして、落下の勢いを乗せた羽々斬の神器開放と、真価を十全に発揮できていない数多の月が激突した。
一つ、二つ、三つ……月が徐々に壊れていく。
加えて、下でも八岐大蛇が幾つかの月を破壊したようだ。
そして――
「うおおおおおっ!」
遂に、残る月はあと三つとなった。
だが、こちらとて危うい状況。八岐大蛇も神剣・羽々斬も、力は殆ど残っていない。
「間に合え――っ!」
その叫びに応じ、八岐大蛇が月の一つを破壊する。
しかし、破壊と同時に自らも衝撃に耐えられず、八岐大蛇は力尽きた。
残る月は、あと二つ。
「うおおおおおっ!」
羽々斬に最大限の霊力を籠める。
最大級の霊力がぶつかり合い、羽々斬と月、双方に亀裂が入った。
「砕けろおおおおお――ッ!」
そして――
「馬鹿な……っ!」
驚く月讀の目の前で、月の一つが砕け散った。
残る月は、あと一つ。
こいつを砕けば、俺の勝ちだ――!
そう思ったそのとき、
バキリ、と。
膨大な負荷に苛まれ続けていた神剣・羽々斬も、月と同じように砕け散った。
再構成する余裕などない。仮にできても、霊力がほぼ枯渇してしまった今、概念解放どころか神器開放すら発動できないだろう。
今度こそ本当の手詰まり。
月讀は、丸腰になった俺を愉悦の籠った笑みで見上げ――
「これで終わりだ」
最期の一つとなった月が、俺を襲った。
「ああ、おまえの勝ちだ……」
俺はそう言ってゆっくりと息を吸い込み――
「なんて、言うわけねえだろおおおおおォォォォォッ!」
グッと、自らの拳を固く握り。
月の表面を、思いっきり殴りつけた。
「おまえ、何を……っ!?」
たじろぐ月讀。
無理もない。
月讀の権能でなくとも、神の権能そのものに向って素手で殴りかかるなど、ただの自殺行為だ。
事実、ただでさえ無理し続けた俺の身体は、この行為によって凄まじいダメージを受けている。
霊力が完全に枯渇し、復元能力は風前の灯火だ。
しかし。
自らの全てを賭し、諦めずに挑めば、不可能も可能に変えられる。
麻布灯醒志はそう信じて戦い、はるか格上の俺に対して、勝利してみせた。
ならばそのくらいの奇跡、俺も起こしてやろうじゃねえの。
「いっけええええええええええええ――ッ!」
自らの全てを拳に乗せ、叫ぶ。
徐々に月の表面に亀裂が入り、そしてその亀裂はどんどん大きくなっていく。
「これで、終わりだあああああ――ッ!」
そして、俺の拳は月の中心核へと届き――
遂に、最後の月は粉々に砕けた。
同時に、俺の半身も持っていかれたが、そんなものは些細なこと。
「そんな、馬鹿な……っ!」
俺は自由落下に身を任せ、茫然としている月讀に突撃した。
「ぐ、あああああっ!」
倒れ込む月讀を、砕けていない半身のみでなんとか抑え込み、俺は痛みを堪えながら告げる。
「はあ、はあ……。俺の……勝利だぜ、月讀」
「……何が勝利だ。そんなにボロボロになっているくせに」
「……なあ、月讀。なぜ黒霊衆に協力する?」
俺はそう尋ねた。
正直、半身のみになった状態で、このまま月讀を抑え続けるなど不可能だ。
月讀が本気になれば、今すぐにでも俺は殺されるだろう。
しかし月讀は、俺の拘束を振り解こうとはしていない。
ならば――今が話を聞く
「神話の再編――伝承の統合によって形を変えてしまった神話を、過去に遡って、あるべき形へと戻し、それを現在まで伝え行く。そうして私は、自らの居場所を取り戻すのだ。そのために、私は黒霊衆を利用した」
「……? 過去改変なんて大それたこと、いくらなんでもできるはずが――」
「できるさ。
訝しむ俺の言葉にも揺れず、完全に信じきった様子で月讀は告げる。
その様子を見る限り、黒霊衆には本当にそれだけの力があるのだろう。
今の黒霊衆の活動は、その力を十全に発揮させるための下準備といったところか。
「なるほどな……。それほどの奴らになら、おまえが執着するのもわからなくはない。だが……」
月讀は、大事なことが頭に入っていないようだ。
「そんな、神をも超えるほどの力を持つ奴らが、おまえの望みも叶えてくれるなんて思っているのか? 利用されるだけされて、捨てられるだけだろ」
「……そ、それは……」
言われるまで気付かなかったのか、月讀は明らかに狼狽えた。
「おまえだって知ってるだろ? 昔っから、人間ってのは神を尊敬しているようでいて、その実、都合よく利用しているだけなのさ」
「たしかに、そうだが……」
人間が勝手に伝承を一本化しようとしたために、今こんなことになっている月讀には耳に痛い話だったようで、月讀は揺れ始める。
「雨を降らせてください、病気を治してください、なんて純粋な願いを聞き届けてくれる対象としてはもちろん、統治のための機構や、民族性を調べる為の研究材料、果ては創作物のキャラクターなんかとしても、人間は神々をいいように利用する。
「ぐ……」
「ったく、そんなことも頭から抜け落ちちまうほど冷静さを失っていたのかよ。まあ、元凶たる俺が言えた義理じゃあねえのはわかっているがな。
ったく、おまえは周りに相談せず自分で抱え込んじまうから、いいように利用されんだよ。
一人で思い悩んでたって、間違った方向に突き進んじまうだけだぜ」
「……」
反論する気力が失せたのか、月讀は押し黙った。
二千年以上も悩みを一人で抱え込んでしまうような意固地な男だ。
俺の言葉なんかで考えが変わるとは思えないが、しかし、思いを抱え込んでしまう奴に対してはこちらが心を開いてやるしかないだろう。
「俺はおまえの居場所を奪っちまったのかもしれないけど、でもさ、自分の居場所ってのは常に変動していくものだと思うんだよ。
居場所だけじゃない。時代が変われば、信仰の体系も、価値観も、全部変わっていく。
俺たち神は、そういうのに振り回されながら、それでも今いる場所を自分の居場所としてやっていくしかないんじゃねえのかなあ……。
いや、神だけじゃないな。きっとそれは、人間も同じだ」
すると、暫し黙っていた月讀が口を開いた。
「しかしおまえ、人間のことをあーだこーだ言う割に、あの麻布灯醒志とか言う元人間を甚く信頼しているようだったが」
「な……っ。勘違いするな。別に俺は、あいつを信頼なんてしていない。ただ一度あいつに負けているから一目置いているだけでだな……」
「ふっ……おまえも素直じゃないな」
「いや、だから違うって……。まあでも、心配ではあるかな。あいつ、おまえ以上にいろいろ抱え込んでいる気がするんだよな。今後、大変なことにならなきゃいいけど」
少し前までただの人間だった奴がこの俺に打ち勝つ――何があいつを、それほどまでに駆り立てているのだろう。
「おまえの言い分に納得したつもりは毛頭ないが……しかし、黒霊衆に協力するのはやめにする。どう利用されるかわかったもんじゃないからな」
ポツリ、と月讀が言った。
いや、それちょっとは納得してくれたってことだよな、と言ってやりたいが、そこは必死に堪えた。月讀の意固地さが再び発動し、また蒸し返しになってしまっては困る。
「だが、ただでとは言わないぞ。交換条件だ。黒霊衆との協力を止める代わり、おまえに一つ頼みがある」
「――なんだよ?」
ここで無理難題でも吹っ掛けられたら困る。
そう思って身構えていたのだが……
「その……なんだ、今度、愚痴を聞いてもらえないだろうか」
ブッと、俺は吹き出してしまった。
「な……何を笑っている、素戔嗚!」
「いや、なんでもねえよ。で、愚痴を聞くだっけ? いいぜ、お安い御用だ」
一人で抱え込むなという話にも、納得してくれたようで何よりだ。
「やはりまだ笑いを堪えているな……!」
「いや、ほんと悪かったって」
なんというか――生まれてから二千年以上経って、ようやく俺と月讀は兄弟になれた、そんな風に思ったのであった。
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