第十三話 再会

 僕は禍々しい霊力が集まっている場所へ向かって急いで移動していた。そんな中視界の端で、捕まる前に見たあの黒い存在――秋空が言うところの悪霊が見えた。

 神器さえ使わなければ、僕にも充分勝ち目はある。秋空はたしかそう言っていたはずだ。ならば今度は神器を召喚せず、冷静に対処しよう。そう思い、悪霊の方を向いた瞬間、


「嘘、だろ……?」


 頭の中が真っ白になった。

 今、目の前にいる悪霊。その生前の姿を、僕は知っている。


 否。そんなはずはない。

 悪霊は姿がぼやけていて、かつ周りが黒々とした靄に覆われているため、大まかな特徴なんかは掴めてもそれが誰かなんてことまではさすがに判別できない。

 だからきっと、僕は見間違えているのだろう。あの悪霊は僕の知っている人間なんかじゃなくて、全然別の人物だ。


 僕は必死にそう思い込もうとする。だけど駄目だ。どんなに頭で理解を拒んでも、心では既に理解してしまっている。

 だって見間違えるはずがないのだ。どれほど時が経ったとしても、どんなに姿が変わったとしても、僕がこの少女を見間違えるはずなんてない。

 なにせ、彼女の死から今まで僕がこの少女を忘れたことなど一瞬たりともなかったのだから。


 認めたくない。こんなこと絶対に認めたくない。だけどもう認めるしかなかった。

 


「ああ、あああ、ああああ、あああああ……っ!」


 あまりの出来事に思考が追い付かない。感情を制御できず、いつの間にか僕はその場でへたり込み、ただ意味もなく叫んでいた。


 なぜ。どうして。そんな言葉が頭の中をグルグル回る。

 いや、なぜも何もない。秋空が言っていたではないか。輪廻の輪に還らず地上に残った魂は、浮遊霊となった挙句、けがれに憑かれて悪霊へ変貌すると。ならば妃香華もそうなのだろう。


 つまり妃香華は苦しんで自殺した後、穢れに憑かれて悪霊となり今なお苦しんでいるっていうのか。そんなの、あまりにも酷すぎる。

 なぜ、妃香華がこんなにも酷い目に遭わないといけないのか。どうして妃香華はこんなにも苦しまなくてはならないのか。一体それは何のせいだ? 誰のせいだ?


 そんなもの、決まっている。それは――僕のせいだ。

 あの廊下ですれ違ったとき、僕が妃香華に話しかけていれば違う未来があったかもしれない。それなのに僕は──


「ごめん……なさい」


 無意識に、口から言葉が漏れる。

 悪霊となってしまった以上、声など届くはずもないのに。

 それでも、僕の口は勝手に動く。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 赦してほしいわけじゃないし、赦してもらう資格もない。だってどんなに謝ったところで、妃香華が自殺し、その後悪霊となった事実は変わらないのだ。

 だから、こんな謝罪はただの自己満足だ。僕の気持ちなんて届かなくても構わない。それでも、謝らなくてはならないと思った。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 妃香華が襲い掛かってくる。だが、僕は迎撃することも、避けることもできず、どころか動くことさえできなかった。そんな当たり前の行動をする余裕すら今の僕には無かったのだ。


 いや、例え余裕があったとしても、僕はこの攻撃を避けなかっただろう。だって僕が妃香華に攻撃されるのは当然なのだから。

 妃香華が苦しんでいるときに、僕は何もしなかった。幼い頃、妃香華に何かあったら助けると、妃香華のヒーローになると約束したのに。僕は助けるどころか、声をかけることすらしなかったのだ。

 結果、妃香華は死んでしまい、それどころか穢れに憑かれ悪霊になってしまうなんていう想像を絶するほどの苦痛を味わうことになってしまうなど、考えもせずに。


「ごめん、なさい、ごめん……なさ……」


 妃香華の攻撃が、何度も何度も僕を貫く。痛くなどなかったし、辛くなどなかった。だって妃香華はもっと痛かっただろうし、辛かったのだろう。ならばこの程度の痛み、僕に拒む資格はない。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――


 既に復元能力も追いつかなくなってきて、体はグチャグチャになっていた。

 肺や声帯も潰れてしまったのか、声を出すことすらできない。それでも心の中で、必死に謝り続けた。

 こんなことをしたってもう取り返しなどつかない。それでも謝り続けなければならないという衝動に、ただ突き動かされて――


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……


 そのとき、僕はふと気づいた。もう体はほとんど機能せず、涙腺どころか目すら潰れてしまっているのにも関わらず。


 なぜだか僕は、涙を流していた。


 涙を流す機能すら、涙を流す資格すら、僕にはもうないというのに。それでもなぜか、涙があふれて止まらないのだ。

 僕はあの日の約束を破ってしまった。結局僕は、妃香華のヒーローになれなかった。否、しなかったんだ。だから本当に――


 ごめんな、妃香華。


 僕の醜い涙は、そのまま地面に落ちた。

 じわりじわりと、涙が土に溶けていく。後悔が、心を溶かしていく。

 だけどそのとき、後悔まみれた地面こころに、僕のものではない涙も零れ落ちた。


「え……?」


 思わず、そんな声が出てしまった。そして気付く。声が出るし、目も見えることに。

 つまり復元能力が追い付いたのだ。こんなことが起こる可能性は二つだけ。霊力が急激に回復したのか。あるいは――


 見上げると、黒い闇に覆われている妃香華の目から、一筋のひかりが零れ落ちていた。

 その攻撃はもう止まっている。永続的なダメージが途切れたから復元能力が追い付いたのだろう。だけど、そんな分析なんてもうどうでもよかった。


 妃香華は涙を流し、攻撃を止めた。秋空が言っていた悪霊の専門家とやらの立場で考えれば、こんな機会チャンスに攻撃を止めるなんてありえない。つまり、これは黒霊衆ではなく妃香華自身の意志。妃香華は悪霊の力を抑え、僕を殺すまいとしてくれているのだ。


 秋空は、「浮遊霊は悪霊へと」と言っていた。つまり悪霊は、もはや死者本人とは別物であるということ。

 無理もない。たった一瞬穢れを取り込んだだけであれほどの苦しみが襲ったのだ。そんな穢れに慢性的に憑かれていたら、生前の思い出どころか思考すらも塗り潰されてしまうだろう。


 だけど。

 それでも妃香華は、そんな霊界の摂理すら捻じ曲げ、こうして攻撃をやめてくれた。そこにはどれほどの意志が必要だったのだろう。


「あ、ああ……」


 妃香華の口から、苦し気な声が漏れた。自身を駆り立たせる悪霊としての衝動や、それを操る奴からの指令に必死で抗いながら、何かを言おうとしている。


「ひ……ざ、し」


 妃香華は呼んだ。声を出すのもつらそうなのに、それでも僕の名前を呼んでくれた。


「妃香華……」


 だから僕も呼び返して、妃香華の次の言葉を待つ。

 すると妃香華は苦しそうに、それでも一心に言葉を絞り出す。


「早く……殺、して……。このま……まじゃ、わたしが灯醒、志を殺しちゃ……う。だか……ら、早く……っ」


 殺して、と。妃香華は僕を助けるためにそう言った。

 妃香華のヒーローになる。幼い日の約束を僕は守らなかった。本来なら恨まれて当然なのだ。それなのに妃香華は僕を案じてくれている。

 いっそ罵ってほしかった。その苦しみを、全部僕にぶちまけてほしかった。だけど妃香華は、こんな状況ですら僕に気を遣う。


 そんな妃香華が、このまま悪霊として永遠に苦しみ続けるのをただ放っておいていいのか? あのときのように、見てみぬふりをしていいのか?

――否。いいわけがない。


 ならば妃香華の言う通り、ここで殺し、妃香華の魂を消滅させてしまうのか?

――それも否。断じて認めてなるものか。


 僕は悪霊となってしまった魂を元に戻す方法など知らない。

 だけど、それがどうした。

 何も打開策がない絶望的な状況でもあきらめてはならない。それは素戔嗚との戦いで学んだはずじゃないか。道がないのなら自分で切り拓くしかないのだ。

 だから考えろ。妃香華の魂を救う方法を。


 たしか秋空は言っていた。悪霊とは魂の外側を穢れが覆っているものだと。

 それなら、外部の穢れを取り除いけばいい。

 問題は、具体的にどうするかだ。悪霊から穢れだけを取り除く方法など……

――いや、待てよ。よく考えてみれば、方法なら僕は既に知っている。


 最初神器で悪霊を斬りつけようとしたとき、僕は外側を覆う穢れの部分をもろに吸収してしまった。結局僕はその一部分ですら耐えかね、外部へと放出するのに苦労してしまったが。

 つまり僕の神器なら、悪霊の穢れの部分だけを取り除くことができるはずだ。


 しかしそれはあまりに難しい。穢れの部分へ少し刀身を触れただけで思考を塗り潰されかけたのだ。

 仮に外側の穢れすべてを吸収したのなら、精神がどうなってしまうかわからない。


 それに、穢れを吸い取った後、即座に神器を妃香華から離す必要がある。

 穢れを取り払ったとしても、魂まで傷つけてしまっては本末転倒だからだ。この作業はかなり精密に行わなくてはならない。

 絶望的に難易度は高いうえに失敗は許されない。それでも、これにかけるしかない。


「僕は妃香華を殺す気はない。かといって、このまま放置する気もない。絶対にその苦しみから解放してみせるよ。もう三年も待たせてしまったけど、あと少しだけ待っていてくれ」


 妃香華に対してそう返答し、僕は神器を顕現させた。

 今度こそ見捨てない。

 これ以上、妃香華に辛い思いはさせない。

 ただそれだけを思い――


――僕は今、妃香華をむしばけがれに挑む。

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